#178:源河享著『感情の哲学入門講義』

 源河享著『感情の哲学入門講義』(慶應義塾大学出版会, 2021年)を読んだ。本書は店頭で見かけて手に取った。「はじめに」によれば、本書は著者が実際にいくつかの大学の授業で講義した内容をまとめたものとのこと。「あとがき」によれば、コロナ禍で授業がオンライン化したことへの対応として、学生が読んで理解できる講義資料を作成したことが、本書のもとになっているとのこと。なるほど。

 本書の主題は感情にあるが、そのタイトル通り、主として哲学の立場からの講義、考察が展開されている。ただし、そこでは、心理学や脳科学の立場からの研究史や研究成果も積極的に素材として取り入れられている。全体として、コンパクトな分量の中で、感情とそれをめぐるいくつかのテーマについて、要領よく簡潔に、考え方と議論のポイント、関連する学説が紹介されており、おそらく初心者にとっても読みやすく、このテーマをめぐる問題の全体像がつかみやすい本になっていると思われる。

 一方で、「入門講義」であるがゆえの、つまり、わかりやすさを優先して簡略化されているがゆえの制約も気になるところではある。私が気になるポイントを、主なものに絞って3つだけ挙げておく。

 一つ目は、第4講で取り上げられている、感情と志向性の関係をめぐる議論。感情は価値判断を含むものであるという論点から、ジェームズ説を否定する論を展開(紹介?)しているが、その論の運びは私には適切とは思えない。実際、第10講でダマシオのソマティック・マーカー仮説を取り上げる中で、第4講では否定されたはずの論点が部分的にではあれ復活している。

 二つ目は、第5講で取り上げられている、価値の客観性と、「正しい感情」と「誤った感情」をめぐる議論。ここで著者が「客観性」という言葉で表現している内容には議論のあるところであるし、その延長として、感情に「正しい」ものと「誤ったもの」がある(つまり、「客観的に」判断可能であるという意味)という議論は、私の立場からは、当然想定される反論を一切取り上げていない点で、いささか恣意的であり、ミスリーディングであると思う。何らかの留保を加えるべきだと、私は考える。

 三つ目は、第6講での罪悪感につての議論。著者は、「罪悪感は、自分が道徳違反を犯したことに対する悲しみなのです。」(p.91)と、太字で強調して述べているが、ここにも留保が必要だろうと、私は考える。ここには、例えばいわゆるサバーバーズ・ギルトが含まれないことになるが、そのことにも触れておいてもらいたいと思う。

 著者は「入門講義」と断っており、第15講では本書の後に読むとよい本を紹介もしているので、これこれの考えが紹介されていない、触れられていないと注文をつけるのは、ないものねだりであることは承知しているのだが。基本的には良い本だと思うがゆえの、更なる要望である。