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Ver.7

◎9月
大きな寒暖差と少し冷たい風に、秋のにおいを感じる。
かなり良いコンディションで8月31日から9月7日まで、大学病院で長時間ビデオ脳波モニタリング検査を受けた。
個室入院もビデオモニタリングも生まれてはじめてのわたしは、自分の病室に置かれた医療器具に興味津々。身体拘束具がすべて準備されていたのには少し身構えたが、数多くあるてんかん発作の中には、意識のないまま立ち上がったり歩き回ったりしてしまう等という発作もあることを事前に知っていた上、看護師さんが丁寧に説明してくださったことですぐに落ち着くことができた。
頭・額・耳・肩に計40-50本の電極を着けて過ごした入院中は、ひとりでベッドから降りることは禁止だったため、トイレに行くのにも着替えをするのにもナースコールが必要とされた。入院初日に行ったさまざま検査は、すべて車いすでの移動だった。
クロスワードをしたり、ペン字を練習したり、折り紙を折ったり、パラリンピックやプロ野球を観たりと、ベッドの上だけでできることをした。
主治医の指示のもと2時間だけの断眠をして迎えた、入院4日目の深夜に意識減損を起こした。この発作が起きているときのわたしは意識も記憶もない。看護師さんから「ずっと左を向いたまま、呼吸はしているようで2分間止まっていた。本当に静かな発作なんだね。」と説明されて、はじめて自分が4月から闘ってきた意識減損について理解できた。
退院してから2週間後の21日、患者説明のため総合病院へ母といっしょに通院。不思議なことに退院から1度も意識減損がないことを伝える。検査入院の結果、脳波には異常はなく脳にダメージはないこと、意識減損は今後消えていくのではないかという見立てをお話くださった。ただし2022年3月まで、自動車の運転は禁止という判断が下された。今後も経過観察を続けるという治療方針のもと、神経内科と同じ2か月に1度のスパンで診察をしてくださることになった。
復職に向けての最後の休息期間と決めていた検査入院が終わって、安心感と社会復帰に対する意欲で胸がいっぱいである。
発症から1年という節目を迎え、より元気でしあわせな生き方を模索していきたいと思う。


◎10月
大型台風が最接近した月初め、よりにもよってこの日に神経内科の診察。リハビリでかなり筋力は回復してきていること、感覚異常・聴覚過敏に加えて筋疲労から来ていると思われる関節痛と、ところどころ痙攣を自覚していることを話す。軽く筋力を診ていただき、リハビリと自宅トレーニングの成果がきちんと出ていることを伝えられた。9月から脳神経外科も定期通院することと決まったため、今後は神経内科・脳神経外科・リハビリテーション科の3科で連携していくことに決まった。
総合病院でのMRIは半年をひとつのスパンとすることとなっており、人生7度目の頭部MRIを受ける。発症から1年ちょっとでこれだけMRIを受ける患者さんは少ないそうで、この日から検査技師さんに「ベテラン」と言われるようになった。独特な音が鳴り響く検査機器の中でも、楽しく生きていくことしか頭にないわたしは、我ながらどこまでもしあわせな頭をしていると思った。
医療ソーシャルワーカーさん・ハローワークの長期療養者担当の方と相談を重ね、通院しながら目指している社会復帰は未だ至っていない。程度にもよるが脳血管疾患の方の復帰率は約50-60%だそう。原因も病態もよく分かっていない先天性脳疾患と左不全麻痺を抱えているわたしは、きっともっともっと壁が高いんだと思う。だからといって、しっかりと仕事をすることも、ひとり暮らしを再開することも、わたしにとって絶対に諦めたくない目標である。これからまた前向きに生きていくために、自分から臨床心理士さんとの面談をさせていただき、置きどころのない心のモヤモヤを吐き出したり、少しずつヒントをいただいたりしながら、わたしの向かいたい道へと進むための解決法を模索していくことにした。

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