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[1-2] コインランドリー・バージン|Citizine

はじめて自転車に乗れた日のことを覚えているだろうか。あるいは、はじめて異性の横顔を盗み見た日を。

私は覚えていない。けれど、はじめてコインランドリーを利用した日のことは鮮明に覚えている。


私が一人暮らしを始めたのは、20代も後半に差し掛かってからだった。京王線沿線のこじんまりとした駅で、整頓された暮らしを営んだ。日々は忙しかったけれど、できるかぎり部屋で過ごす時間を大切にした。白樺色のフローリングも、日当たりの悪いベランダも、1DKの宇宙船を、私はまるまる愛した。

家の近くにコインランドリーが建ったのは、一人暮らしを始めてから半年が経った頃だった。それまでの人生で私は“その施設”を利用したことがなかったし、利用するつもりもなかった。だから、家の近くにコインランドリーが建とうが潰れようが、どちらでもかまわなかった。気にも留めずに、もくもくと自分の暮らしに専念していた。


その秋、観測史上まれな長雨が続いた。

十五日間も降り続いた雨は関東じゅうの洗濯物を湿らせ、空を陰鬱な色で塗り込めた。うずだかく積まれた洗濯物の山をぼんやり眺めているさなかコインランドリーを思い出したのは、ある種必然だったのかもしれない。

乾燥機の潜水艦のようにぶ厚い小窓を開けると、ポッカリと空いた清潔な空洞はからりと乾き、生暖かい空気のかたまりがゆるやかに溢れた。勝手も知らぬまま、私はイケアのトートバッグから手付かずの洗濯物を放り込み、百円玉を五枚投入した。

しばらくの沈黙の後、乾燥機が稼働を始めた。小さなディスプレイには「40」と残りの分数が表示された。

私は備え付けられた背もたれのないスチールの椅子に座り、ディスプレイの数字が減っていくさまを眺めていた。その場を離れてはいけないような気がして、動けずにいたのだ。小窓の中で大げさに舞う衣類を眺めているのは、そう悪いものでもなかった。


しばらくすると、一人の女性がランドリーの引き戸を開けた。部屋着のような格好で、おそらく化粧もしていない。女性は沈黙していた乾燥機を開け、部屋の中央に置かれたテーブルに取り出した衣類をまとめて置いた。私は少なからず衝撃を受けてしまった。下着こそ目に入らなかったが、彼女は裾のほつれたTシャツや、褪せた靴下もまとめて置いたのだ。

私にとって、畳まれていない衣類は生活の延長にある、プライベートな要素だった。それを公然とさらけ出す場所がコインランドリーだったのだ。それに、衣類を乾燥機に入れっぱなしにして長いあいだその場を離れることも、私にとっては驚きだった。

個々のプライバシーがより強固なものになり続けている昨今。こんなにも人と人との境界線が曖昧で、お互いの領分すれすれで共存する場所があったのだ。それも、自宅から徒歩5分圏内の街中に。


女性は私を一瞥することもなく、務めを果たすとさっさと出ていってしまった。貼り付いたシャツに浮かぶ背骨と、ブラジャーの紐。彼女は当たり前の日常をなぞるように、緩やかな足取りで視界から消えていった。

室内は、私の洗濯物が舞うごうごうんという音で満ちている。ディスプレイの数字は、「30」になったところだ。私の初めてのコインランドリーは、ゆるやかにゆるやかに、時間が回っていた。

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