けものフレンズ3における外の世界(3) ~無政府資本主義化した地球~

けものフレンズという作品シリーズは、基本的にジャパリパーク内部でしか物語が進行せず、その外の世界については限られた情報から推測するしかない。

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では、真実の広まりの遅さから、けものフレンズ3における「ジャパリパークの外の世界」で公教育制度が衰退している可能性を指摘した。

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では、ジャパリパークが一大企業によって運営されており、それがほかのライバル企業によって買収されようとしている可能性を指摘した。

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の指摘の通り、「突如現れた無人島に動物園を作るというのは現代の常識から考えればあり得ない」。もしそのようなことがあるとすれば「外の世界の環境が荒廃しきっている」か「人々が環境問題に関心が無い」のどちらかである、と考察されていた。

これらはすべて別個に唱えられたものであるが、これら3つを矛盾なく統合する、ある可能性に思い至った。それは、

外の世界は無政府資本主義化している

というものである。

無政府資本主義とは

時期や学説によって微妙に定義が異なるが、おおざっぱに言えば「国家が無く、国家の提供するサービスをすべて民間企業が提供している」状態の社会を指す。地域の電気、水道、ガスはすべて民間企業が有償で提供し、義務教育といったものは存在せず、警察や裁判は「法制度を提供する企業」によって提供され、人々は自分にとって望ましい法制を自由に選べる。

考えられている利点としては、全ての分野が自由競争に置かれることで効率化し、多くの人がより良い生活を享受できるであろうこと、法制を自由に選べるため思想統制や差別政策といった悪政に苦しむ必要がなくなるであろうことなどが挙げられている。

このような社会が成立したとき、教育と報道、経済、環境はどのように変化するだろうか?

教育と報道

インターネットが発達した現代においては、教育の選択肢もかなり広まった。オンラインで教育を受けることも可能になり、インドやアメリカで作られた教育動画を日本のYoutubeで見る、ということも珍しくなくなった。

それでも、私たちは「公的に認められた学校」に行かなくてはならない。私立学校も多く存在するが、国の認可を受けていなければならず、学習指導要領に沿ったカリキュラムを満たしていなければ、学位として認められない。

しかし、教育が自由化すればどの教育を受けても良いことになる。従来の学校のようなバランスの取れた教育でもよいし、宗教的教育だけを行う学校でもよい。どれが「良い」と思うかは自分や保護者の考え方による。その結果、「自分の信じる物事だけが真実」という意識が当たりまえになるのではないか。

その場合、あるグループ内では「真実」とされていることが別のグループでは「虚偽」とされている、といったことが頻繁に起こるようになり、また人々は自分の興味のない分野の知識にはほとんど触れないようになる可能性が高い。

結果として、真実の広まりは遅くなり、アニマルガールの存在が知られるのも遅くなる。

さらには、「法制度を提供する企業」がジャパリパーク買収計画にかかわっていた場合、さらに事態はややこしくなる。これらの企業は警察力を持っており、自由に(しかも気づかれないように)報道を制限することができる。そこで自分に都合の悪い情報をカットしてしまえば、簡単に真実を隠蔽することができる。

経済

無政府資本主義社会における経済体制については様々な意見があり、また時期や微妙な条件によっても変わるであろうことが予想されるため、あまり深入りはできない。

一つ言えるのは「独占禁止法」がなくなることでカルテルを組むのが容易になるという点である。


国によって色々な規定があるが、「不当な競争」を排除し「公正な自由競争」を促進するために制定されている。

この法律があるため、他社への営業妨害やカルテル(複数の企業体が共謀して、他社の影響を排除したり不当な価格操作を行うこと)は違法とされている。しかし、国家がなければこういった行為もやりたい放題である。ジャパリパークの営業を妨害し、複数の企業による買収計画を秘密裏に進めるといったこともとがめられることはない。

環境

現実世界においては、国家には明確な国土があり、国家がその環境を保護している。

では、無政府資本主義においてはどうなるだろうか。

全ての土地は私有地であり、売買可能である。土地の価格は、その土地が生み出しうる経済的利益から逆算されるため、「同じ土地からより高い利益を生み出せる」所有者へと権利が移っていく。その結果、土地の乱開発と生息地分断が進み、野生動物の生存は大きく危ぶまれるだろう。

一度バラバラになった土地を一つにまとめるのは難しい。仮に「野生動物を守るために多額の寄付をする資本家」などが現れても、土地を買い集めるコストは莫大で、しかもその事業(野生動物保護)から利益を得られなければ継続は困難である。

その状況では、環境保護活動家からしても「動物を野生の状態のまま保護」するよりも「動物をなるべく一か所に集めて効率的に管理し、個体数の回復を目指す」ほうが現実的だという結論に至らざるを得ない。また、そこを動物園として公開すれば利益を得られるので、事業の継続もしやすくなる。

しかし動物を飼うには広い敷地が必要である。発達した資本主義のおかげで農産物や輸送のコストは大幅に下がっているのでエサ代に困ることはないだろうが、開発されきった地球上で動物を飼育するための広い土地を用意するのは、集中管理方式をとったとしても難しい。

そんな中、絶海の孤島が突如誕生した。しかし岩だらけで農業には向かず、陸から遠く離れているため工業や住宅にも向かないこの土地はかなり安く手に入っただろう。そしてそこに、世界中から集められた(というか土地が足りなくてあふれた)動物を飼育し、巨大保護施設兼動物園「ジャパリパーク」を作ろう……と考えるのも、このような状況になってしまった社会では十分ありうる話である。

最初は問題なく計画は進んだ。しかしサンドスターの出現によって事態は急変。ジャパリパークの推定価値が跳ね上がり、だれもが渇望する土地に早変わり、壮絶な奪い合いが始まった……というシナリオはいかがだろうか。

以上はあくまで推測にすぎない。だが、ジャパリパークもセルリアン危機も、すべては行き過ぎた資本主義に飲み込まれた人々と、その中でも動物を守ろうとする人々の作り出したものなのかもしれない。

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