アニマルガールと宗教(1) ~信仰の形~

アニマルガールが、作中において神や信仰について言及したことはない。アニマルガールの中には神格が実体化した、オイナリサマや四神といったアニマルガールも存在するが、ほかのアニマルガールがそれを信仰あるいは崇拝している様子はなく、普通のアニマルガールと同じように接するか、尊敬をもって接するにとどまっている。

はじめは、アニマルガールが信仰を持たない理由を記事にしようと考えたが、そもそもアニマルガールが本当に信仰を持っていない明確な根拠はなく、またその理由を考察するより、アニマルガールが信仰を持つ可能性について議論するほうが面白い(二次創作等に活用できる)と考えた。

アニマルガールの信仰について考えるうえで、まず状況を2つに分解してみる:

A. ヒトの信仰を受け入れる

B. アニマルガールが自ら信仰を作り出す

今回の記事では、単純のためA. の場合のみを考える。B. についてはまた後日扱おうと思う。

信仰の段階

これ以降の文章はほとんど私独自の意見であり、出典などは特にないということを先に述べておきます。

「信仰している」と一口に言っても、その段階はいくつかあると考えた。後半ほど「強い信仰」とみなされる傾向がある:

1. 超自然存在を認識している

2. 超自然存在から利益を得ようとして祈ったり供え物をする

3. 超自然存在を理解しようとする

4. 自身の理解を他者に広めようとする(布教、神学論争)

段階1から順番に、アニマルガールがそれを行う可能性があるかについて考えてみる。

1. アニマルガールは超自然存在を認識するか

超自然存在とは、神や精霊といった「目に見えない人格」を表す。「目に見えない人格」とは何か?について考えるために「目に見える人格」とは何かについて考えてみよう。

結論から言うと、「目に見える人格」とは「自分の人格」だけである。神や精霊と言わずとも、動物やほかの人間に「人格がある」と考えること自体「目に見えない人格」を信じている。なぜなら、自分以外の人格が存在することを証明することはできないからである。こういった議論を「哲学的ゾンビ」と呼ぶ。

つまり、自分以外の他者の人格を認める思考があれば、必然的に超自然存在の存在も認めることができる。「目に見えない人格」の一切を信じないのであれば、いかなる他者にも人格は存在しないと考えることになる。

アニマルガールは、明らかにほかのアニマルガールやヒトに対して「人格がある」と考えて振舞っており、「目に見えない人格」を信じている。よって、アニマルガールは、超自然存在を認識することができると考えられる。彼女らに「動物は死ぬと霊になる」とか「雷は天の神が怒って落としている」と教えれば、その通り信じるだろう。

「教えれば」という条件を設けたが、これは先述の通り、アニマルガールが人間の信仰を受け入れるかだけに絞って考えているので、いずれの信仰も「教えた場合に信じるか」という基準で考えている。

2. 超自然存在から利益を得ようとして祈ったり供え物をする

超自然存在を信じるようになれば、そこからご利益を得ようと考えるのは自然な発想である。これは単に自分や自分にとって大切な人の利益のために行動しているのであり、あらゆる動物に存在する心の働きである。ご利益には現世利益、来世利益の差はあるが、いずれにしろ自分の利益のための行動であることに変わりはない。

ではどのようにご利益を得るのか?世界の多くの信仰では、超自然存在の人格を人間と似たような考えを持っているとみなす。なので神を賛美する詩や祈り、神の好む食物や美しい装飾品などをささげ、機嫌を取ろうとする。これはまさに人間に対して行うのとまったく似ている。

問題は、それが現実には相手に届いたのを確認できないということである。そのため、何か別の方法をもって相手に「届いたとみなす」のが一般的である。そのための方法はいくつかある。

A. 神の代理人にささげる

日本の神社に供え物をする際、それは神殿の前に置かれ、最終的には神職がそれを片付ける。それによって「神に届いた」とみなす。実際にその供え物がどうなったのかは、神職のみぞ知る。

B. 消滅をもって届いたとみなす

日本では仏壇に線香をさし、燃やす。それが消えてなくなることで、先祖の霊に届いたと考える。神社でも、「供養」と称して古いお札や厄除けの品を燃やすことがある。消滅しているので、「モノが残っているのに本当に神のもとに届いたのか?」という疑問を抱く必要が無い。水に沈める(流し雛)など燃やす以外の形式をとる場合もある。

C. 命をささげる

動物や人間を殺すことで、その魂が神のもとに届いたとする。ユダヤ教では、古くはヤギをいけにえにしており、スケープゴートという言葉の語源になった。ヨーロッパ人到達以前の中南米では、人身御供が一般的だったことはよく知られている。魂は目に見えないので、神のもとに届いたと考えても矛盾が無い。

D. 祈る

逆に、神は供え物は受け取らないので、祈ることだけが神に影響を与えられると考えるという手もある。浄土真宗などは「南無阿弥陀仏」(阿弥陀仏に帰依します)と唱え続けることで救済されると考えられている。言葉は目に見えないので、「神に届いた」と信じることに支障が無い。

E. 功徳を積む

神に具体的に何かを与えるのではなく、行いによって信仰を表現することで「神が見てくれているので伝わっている」と考える。寺院の建立、絵画や彫刻の制作、善行を行うなどその内容は多岐にわたる。

現在世界で主流のキリスト教、イスラム教、仏教ではD,Eがほとんどである。これらは物資の消費が行われないので、お財布にやさしいという点が受け入れられやすいポイントかもしれない。

A. の場合、外部から神職を呼ばなければならないので少々ハードルが高い。また、ジャパリパークからヒトがいなくなった後は維持することができなくなってしまう。

B. の場合、アニマルガールは火を扱うのがうまくないので、水に流す方が主流になるかもしれない。特にパークからヒトがいなくなった後ではパークの外を知るすべがなくなるので、海に何か捧げものを流すという信仰が生まれるかもしれない。さながらニライカナイである。

C. をアニマルガールが積極的に選ぶとはあまり思わない。パークにヒトがいる間は制止されるであろうし、現在一般的には行われない形態の信仰である。他の信仰の形がある中で、あえて犠牲を選ぶ必要性は薄いが、アステカ神話のように教義上犠牲が重要な地位を占める宗教も存在する。

D. はおそらく最も一般的に行われるであろう。行うためのハードルが最も低く、だれでも実行可能だからである。人間の世界でも、一般民衆が行う信仰はほとんど祈りだけになってしまっている。

E. の場合、アニマルガールは宗教規範を守る、という形で信仰を表現するだろう。大抵の宗教が定める、盗みの禁止、暴力の禁止、他者への寄付や親切などはアニマルガールにとってはたやすいことである。

結論としては、アニマルガールは現世利益のために信仰表現をする、そしてその内容は祈りと宗教規範の順守が主になると推測される。

3. 超自然存在を理解しようとする

アニマルガールがさらに踏み込んで、聖書の内容について議論したり、神の意志について考えるということはあるだろうか?これは全くの未知数である。というのも、アニマルガールは一部を除いてそこまで高度な知的活動を行った例が無い。

とはいえ、けものフレンズ3などで行われた作戦司令などを見れば、アニマルガールが人間と同等かあるいは平均以上ともいえる抽象的思考力を持つことはわかっている。そのため、宗教に対してもきちんと学べば、神学について考えることもできると私は考えている。

4. 自身の理解を他者に広めようとする

アニマルガールは純粋であり、「信仰によって利益が得られた」と感じたらすぐにほかのアニマルガールにも信仰をすすめるだろう。ジャパリパーク全体が単一の宗教であればよいのだが、複数の宗教が混じった場合はどうなるだろう。

宗教が複数あるとほとんどの場合どこかに矛盾が生じる。宗教Aでは良いとされていることがBでは悪いとされていたり、同じ役割の神が複数いたりしてしまう。そういった場合にアニマルガールはどのように反応するだろうか?

まず異なる宗教を持つ二人がその矛盾に気づき、自分の方が正しいと主張しだすだろう。そこで別のアニマルガールにどちらが正しいかを判断してもらおうとし、困らせるかもしれない。しかし先述の通り、「アニマルガールは一部を除いてそこまで高度な知的活動を行った例が無い」ので、途中で何が問題なのかわからなくなってうやむやになり、初めから何もなかったかのように仲良しに戻るといったことが起きるような気がする。これは完全に私の想像であるが。

ここまでの話を総合すると、アニマルガールは

1. 宗教を受け入れる下地はある

2. 祈りや行動による信仰表現を行う

3. 宗教を積極的に広めようとする

4. 宗教を深く理解するかは不明

ということが分かった。

現在のジャパリパークは宗教が入り込んでおらず、いわば「宗教的に無菌室」の状態にある。しかし、何らかの宗教が広まりだすと一気に全体に広まる可能性が高い。アニマルガールに対する宗教教育というものを、パークスタッフは真面目に考えなければならないかもしれない。

神格のアニマルガール

最後に少しだけ、特別な存在について話したい。ジャパリパークには神格がアニマルガールとなった存在が複数いる。四神、オイナリサマ、ケルベロスなど、異なる宗教から生まれた神格が一堂に会している。しかも、オイナリサマは稲荷寿司を無から生み出したり、ケルベロスは地獄の門を召喚するなど、神話上でのみありうるような事態を現実に起こしている。

彼女たちにとって宗教がどのようなものなのか、を考えるのはあまりに困難である。そもそも彼女たち自身が理解しがたい存在であり、しかも資料が少ない。稲荷寿司や地獄の門が「実際にある」ものなのか「けものプラズムによる具現化」なのかすら我々にはわからないのだ。

神格のアニマルガールが宗教にとって極めて重要な存在であるにも関わらず、そこに深入りできないのは忸怩たる思いであるが、この解釈については読者に任せたいと思う。


今後は、アニマルガールが独自の信仰を作り出す可能性について考えてみようと思う。

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