見出し画像

日々のこと8 娘の部活引退を客席から眺める

病は自分の一部。
こちらは日々の暮らしのいろんなことの記録です。


旅行とか、何をしよう、とかあらかじめ計画しない我が家はこれまでの年と同じく、特に予定のないGWを迎えました。
私も夫も実家がさほど遠くないので、お互いの都合があうならば前日でも当日でもふらっと実家に行くことが可能。
ということで、一週間前には予定していなかった、お互いの実家へ孫なしでふらっと立ち寄ったというのも、相変わらずでした。

この連休中で唯一、1年も前から決まっていた予定が娘の高校の部活、吹奏楽部の定期演奏会。
今回の定演で引退して、本格的に受験モードに入ります。

中学校で3年間、高校に入って3年目、同じ楽器で吹奏楽部で活動してきたので、6年目、最後の定期演奏会。
中学、高校と、部活動での3年生の引退時期というのも学校によってそれぞれだと思われます。
娘の学校の吹部ではいわゆる夏コン、夏の大会まで残ると上位大会に進んだらなおさら、夏休みがまるまるそのあとにも部活が続くということで、夏コン体制を作る前に引退するパターン。
例外として、指定校推薦狙いで今以上勉強する必要があまりなかったり、音大に行きますとか、とにかく残りたいのよ、という3年生は部活に残るようです。残るには2年生までの部員と同様に合宿等の活動に参加することなどの条件と共に、保護者にも意思確認書が配られます。

娘は夏のコンクールの後、まだがんばりたい、と思ったらしく、残りたいと言い始めました。
保護者である私は、学校からも「今の受験はおうちの方が経験した頃以上に厳しいですよ」と刷り込まれてきているわけで、大学受験をするのであれば、部活に残るなんて、と思ってしまうわけです。

まずは本人の意思で、本人に決めさせるべきだ。

と夫に言われ、

「〇〇が決めたことなら、応援するからよく考えてみて」

と娘に言いつつ、でもきっと、部活残って受験って、無理でしょ、という雰囲気だだもれでいたと思われます。

子育てや子供の教育について熱心か、と言われたら、熱心でありたいと思うけど、子供の意思を聞かずに親の方針を押し付けたくないと思っています、という姿勢でいます。
だいぶな理想です。

本当にそう思ってはいるけれど、実際の私は、日常でも子供が、例えば友達に嫌なことを言われたとか、そういったことがあれば、娘の気持ちに寄り添ったり、ちょっと俯瞰した意見を話したり、なんてしながらも、嫌なことを言ってきたというお友達のことを、「あいつ、許せん」と思っていたり、子供の落ち込みに飲み込まれて、自分まで落ち込んだり、悩んだりしています。私の思う、娘にそうあってほしい姿も「経験者」という立場で「アドバイス」とかしちゃってます。
娘はその時、友達とそんなとことがあって悲しい、と話してくれているのに、受け止めもそこそこに、じゃあ、明日こんな風に話しかけてみたら?なんて言っちゃう。次の日学校から帰れば、事態がどう改善したか、が気になってしまう。
、、自分で書いていても情けない。

とにかく、娘が悩んでいる時などは、私も本当につらくなってしまっていたので、何度も何回も、「娘との距離」について考えてきました。
それなのに、何度も何度も失敗してほしくないとか、辛い思いをさせたくないとか、先回りしてしまう。

それぞれ違う人間であること、私が娘を「見守ること」が、何年も何年も、ずっと私のテーマでありました。
どうするのがよかったかなぁ。

そして、数か月前、自分は部活には残らない、と引退するかしないか、の意見確認書に保護者の署名捺印を求められ、先日の定期演奏会の舞台上で引退し、区切りをつけました。

定期演奏会前までは演出関係やら家で作業をすることも多く、定演までやりきりたいから、と普段よりも睡眠少な目、自習室にもほぼ通えずに部活一色の日々を送り迎えた定期演奏会当日。
昨年の定演では舞台上での3年生の呼名で、部員さんも顧問も大泣きしていたけれど、今回は特に泣きじゃくる部員さんも見受けられず。
遠目で見た娘も泣いてる感じもなく、さわやかな表情。

音楽が好きで部活やってるけど、いいこともよくないことも、人間関係が一番疲れる。これまでの部活と勉強の両立で大変だったのは、部活の人間関係のストレスで疲れた後に勉強することだった。
このストレスなしで、まずは勉強に集中したい。

とのこと。

もう親の私が選んだピアノ教室や習い事の発表会で舞台に上がる娘ではなく、部活で吹いている楽器も、高校も、部活も自分で決めて立っている舞台、いったんその舞台を降りることも、自分で決めました。

明るくなったり暗くなったり、ピンスポがあたったり、他の部員さんのソロに演奏後拍手したりする娘をそれほど遠くない距離ながら、客席で観ている感じが、すごくよかったのでした。
こんな風にこれからも客席から舞台を観るように、娘の決断に付き合えたらいいなと思う。

片付けでだいぶ遅くに帰ってきた娘と色んなことを話しながら、「私たち、どこに座ってたかわかった?」と聞いたところ、
「すぐわかったよ。よく見えた」
との回答。
客席から観ている親の私は、娘からちゃんと見えてる。
なんか、親子って年齢差があって、生んだ生まれたとかの関係だけど、しっかり対等なんだと思ったGW中の出来事です。

実家の縁台でごろっとした、最高!
空は広いし、鳥も鳴いてる
うまい、うますぎるの地


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?