自殺が未遂で終わった時

自殺が未遂で終わったことがある。
それも去年の1月頃、
いまだ日本の自殺率はあがってるし年齢が低いほど自殺率は高い。


子どもの頃から学校はサボりがちだった。ぼくは女に生まれてから痛いほど女の嫌みを感じてきたし学校でおこるグループ分けやいじめもされたししてきた。
大人も経験してきたはずの学校の大変さは大人になったと思い込むほど記憶から無くなっていくのではないかとも思う。

人の顔色と感情を読み取って中間役として生きてきたからこそ職場では年上には好かれる方だった。

ぼくは、地元から大阪に移り住んだばかりで友人の職場を紹介してもらった。
そこでも僕の性格上うまくやっているつもりで半年ほどたった頃、部署の違うお局から悪口が周りに回ってくる。仲のいい上司や友人も庇ってはくれるが実際に動いてくれる人はいなかった。

ただ長くやっているだけで鼻が高くなるのは日本人の悪いとこであり日本の象徴だと思う。
あれが親だと思うと吐き気がする。子どもはどんな性格してるんだろうか。


ぼくの性格もあってか悪口は少しずつ心の傷をえぐっていき、毎日事故に遭わないかと考えながら通勤する日々、とうとう休みがちになった。


仕事をサボり始めたころから死ぬことばかり考えていた。どうやったら死ねるかなんども検索した。最近は自殺関連を検索するとサポートセンターに繋がるサイトが1番上に出てくる。
もちろん自分がおかしいんじゃないかと思って相談したい、でも電話では話したくないとラインの相談アカウントにトークをしたこともある。でもそのラインは「いま受け付けられません。」だった。


未だに疑問に思うが、こうゆうサポートセンターにしろ、精神科にしろ、死にたい奴が予約してまで死ぬのを待とうと思わないはずなのに、2週間待ちが当たり前では、そりゃ自殺率はあがるだろうと確信する。


その日も仕事をサボって、死ぬ方法を考えたら。薬を大量に、しかもそれを酒で飲もう。そのまま死ねれば苦しくもない、と。
徒歩数秒の薬局で瓶に入った薬と、9パーセントある強いゼロを2缶ほど買って家に帰る。


いちおう、遺書なるものを書いて酒でその瓶の薬を全部残さず綺麗に飲んだ。
イキった大学生がよく飲むそのお酒はまわるのがはやい。酒は強い方だが無理やり大量に薬を飲んだこともありすぐに酔えた。そのまま、死のうと家にある包丁を持った。


自分なりに力を入れて腕に刺した。お腹にも何回か刺した。でもその包丁、セラミック製で使いすぎたその包丁は皮膚には全く刺さらなかった。
ほんとにもういい、と思うぐらいには突き刺した。買いたてはあんなに切れ味がよかったのに…
青い看板に黄色い文字の包丁は自殺防止に良いことを知った日でもあった。


そのころ、サボったことを知った友人と様子がおかしいことを少し前から気づいていた職場の上司が、家に来た。
その前から電話は何度も来ていたが、もちろんとるはずはないでしょう。

なんど死のうと思っても死ねないぼくはそのまま薬物中毒なるもので救急車に運ばれた。


これが僕の自殺未遂。
このとき病院で言われたことは「今市販で売られている薬はどんだけ飲んでも致死量には到達しないよ」という事だった。
それから瓶の薬と強いお酒の缶を見るのはトラウマになった。


自殺未遂から数ヶ月経って今思っていることは、今でも死ねるなら死にたい、か、猫が生きてるまでは生きようかな。


未遂に終わったこと、救われたとも、ましてやそこからの人生が明るいものに変わったなどの綺麗な話はまったくない。
今でもうつ病のまま、まともに職に付けず猫と暮らしている。

自殺未遂から学んだことは、
この国は、死ぬことは許さないのに生きるのにお金を払うことを義務とする国で、自殺したい子の親は子どもが死ねなかったあとの苦しみよりも自分達の未来の後悔を嘆き、ぶつける。
とにかく人は血が繋がっている、繋がっていないに関わらず信用するものではない。猫はかわいい。金は必要。そんなもん、

生きることに意味は無い。意味をつけないと生きていけない人間が意味があることにしたいだけ。
人生一度ならいかに楽に暮らせるか考える。

そんなことと、猫のかわいさを1番に死ぬまで生きていく。

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