ステレオタイプ
つい先日の思い出話を。
雨でけだるい土曜日に、喫茶店でサンドイッチを食べてコーヒーを飲んでいた。今日の仕事の段取りを考えながら、ぼんやりとしていた。
すると、前の席に、3歳くらいだろうか。男の子とお母さんが座った。子供は楽しそうにパンを食べて、絵本を読んでいた。
あー、幸せそうだなぁ。水色のシャツって、雨の日に映えるんだなぁ
・・・はて?🤔
どうして僕はこの親子を幸せだと思ったのだろう?
よく考えてみると、旦那さんがモラハラかもしれんし。
義母と同居していて家に帰りたくないのかもしれんし。
オーガニック好きなママ友が怪しい会合に誘ってて、
しんどいのかもしれんし。
あーでも、喫茶店のサンドとかコーヒーとか全然オーガニックちゃうし。
最後のは無いか。
僕はこの人達のことを全然知らない。ほんの一瞬、一部分しか見てないのに、勝手に幸せという概念を押し付けている。
メンタル強め美女白川さんみたいな、見た目も内面も最強みたいな生き物
そんなんおらんやろし。
では、逆に僕は幸せそうに見えるのかな。
土曜の朝、一人おじさんがコーヒーとサンドイッチを片手に
ずーっとスマホを見ているおじさん。
キモオタそうだし、家族はいるのか?
デートの待ち合わせではなさそう。
ぶっちゃけ怪しい。
全然幸せそうじゃない。本人も実際しんどい。
でも、このくたびれたおっさんが、お医者さんだとすれば見え方はたぶん変わる。
お医者さんは休日は優雅にカフェ。Airpodsから流れる音楽はFreeTEMPOのSky Highだったり。
いや、Airpodsとか持ってないし、何ならKindleで後ハッピーマニア読んでいました。ヘッドホンから流れるのは岡本真夜のAloneでした(それはそれでイケてる曲だと思ってます)。
盛りすぎました。昇天ペガサスミックス盛でした。本当にすみませんでした。
さておき。
いろんな患者さん、ご家族に接しているうちに思う。
お医者さんは幸せそうに見えている。
僕も思っていました。医者になればいろんなことから解放されて
自分が年をとったら立派で誇れるような、
立派なお医者さんになっているんだと。
大学受験で医学部に入りたいときはそう思ったし、
国家試験の勉強するときもそう思ってた。
でもどうだろう。
気が付けば、疲れ果て、何かやろうとも先がみえる自分がいて。
今日も明日も人生は続くだろうけど、
上り坂が少しずつ苦しい。
仕事もしてる。収入もある。
何が足りないんだ。
気が付くとコーヒーを飲み切っていた。
前の親子はもういなかった。
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