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たまには「立場や役割」から離れてみること

たまには、自分の「立場や役割」から離れ、「自分自身」について考えてみるのもいいかもしれない。そんなことを思ったので、書き留めておきたい。

先日、職場近くの定食屋さんで昼ご飯を食べていた時。店内のテレビから流れてきた話がふと耳に入った。番組は、黒柳徹子さんの「徹子の部屋」。ゲストは女優の原田美枝子さん(変わらず美しく品のある方だな、とアジフライを頬張りながら見惚れてしまった)。

惜しくも番組終盤の内容しか聞けなかったのだが、昨年92歳で他界された原田さんの母・ヒサ子さんのお話だった。認知症を患っておられたヒサ子さんの微笑ましいエピソードの中で、次の話(概要)が印象的だった。

母は周りから「おばあちゃん」と言われても振り向かず、自分の「名前」を呼ばれた時、返事をする。やはり名前は大事。生まれた時から、本人はずっとその名前を呼ばれて育っている。周囲が「お母さん」「おばあちゃん」と言っても、それは本人にとっては「立場」であり、だから忘れてしまうんじゃないかと思う。苗字もそう。「立場」で呼ばれても自分だということがわからない。
だから、どんな時も名前で呼ぶといいと思う。

生きていれば色んな立場、役割を担う

人が誰かとの関係性の中で生きている以上、立場や役割が生まれる。「私」や「あなた」だからこそ担えるし、立場や役割があるからこそ、果たせることがある。

私が普段仕事で関わらせていただく多くは50代の方々。自分より何十年も多く人生を経験されている先輩方である。

家庭では、配偶者、両親、祖父母、子として。
地域では、自治会員、パパ友ママ友、PTAとして。
会社では、熟練者として、指導者として、意思決定者として。

具体的なことは人それぞれだとしても、なんと多重に立場、役割をこなしているだろう。同時に「責任」も伴うのだから、本当に頭が下がる。

色々大変なのよ、と言いながらも笑顔で話す姿を拝見すると、自分も頑張りたいと励まされる。

違和感がある時、「やらなければならない」を一旦横に置いてみる

一方、先輩方の中には、時折こんなことを呟かれる方もいる。

「子供が手を離れた途端、何にもなくなった」
「やりたいことがあったはずなのに、いざ時間ができても結局やらなきゃいけないことばっかりやっている」
「そろそろ退職と思うと、この先何をしたらいいんだろう」

やりたい、できる、やらなければならない。
自分の中でバランスを取れている間は、大変であっても頑張ることができ、色々あっても楽しいものである。その中で、自分の使命や人生の目的がクリアになればなるほど、人生もより深く豊かにもなる。

しかし、少なくとも自分の中で違和感を覚えるとき。
忘れることはできないが「やらなければならない」をそっと横に置き、意識的にふと我に返る時間を持ってみることはできる。自分の名前を呼びながら、自分自身を顧みるのも良いかもしれない。立場も役割も自分の一部であって、それが全てではない、そんな心の拠り所もできるかもしれない。

番組締めの黒柳徹子さんの語り(概要)。
「すごいわね。どんな時でもヒサ子さんっていうと振り向くって。私はヒサ子ですって。・・略・・それで、あなたはこれからどんな人生を歩んでいきたいですか?」

この時感じたハッとした気持ちを忘れずにいたいと思う。


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