お茶あれこれ202 2017.0603~0612

1. 芭蕉
京鹿の子が色付いてきた。ちいさな粒々が夕べの風に儚げに揺れて、名前からして美しい。咲くと、下野草に似ていると思い出す。すぐそばに、岡虎の尾がある。花穂の色はまだ緑で、白くなるのは少し先の事だろう。薄い青紫のカッコウアザミが隅っこの方に幾つか小さく咲いているが、植えたのかな。今、園芸種で背丈も高くいろんな色があるらしいが、つまらないことをする。どの花も自分の色を持つ、その色を思い浮かべるから、花だけではない連想の文化になる。人の欲は物量と同じなのか、留まることもなく広がっただけ、思いは貧祖になっていく。経済は成長しなければならないなどと、誰が決めたのか。卑しさとゴミを作り出しながら、エコという言葉すら物欲の道具にしては、もはや滅びに向かうしかないだろう。

去来の話をしている内に、芭蕉を思い出した。よく知られている句ではないが、その映像美は蕪村にも似たところがあり、そこから茶の湯を思ったことがある。
「月はやし 梢は 雨を持ちながら」
月が見えるから、今は降っていないのだろうが、木々の梢に雨がたっぷりと溜まっている様子は、それまでかなり雨が降り続いたのだろう。これだけでは、何時頃の月かはわからない。月を待っていたのに雨で見られないまま時は過ぎた、夜更け方から強くなった風で雨雲が飛ぶように流れていき、月がうっすらと見えてきた、こんな雰囲気からすると、かなりの夜更けか夜明け前と思われる。「月はやし」は月が早いのではなく、雲がだんだん小さくなって流れ去っていくことを言っている。雨雲が薄れていく時は、厚い闇から明るさが増してきて、雲の切れ間が表れ、風に千切れて飛んでいく。そんな情景が、この句から想像される。時間と景色の移り変わりがあって、句の深みが生まれる。茶事の深みも、箱書きの寄せ集めでは生れえない。取り合わせた道具の一つ一つがつながって、どんな物語を紡いでいくのか。茶の湯は連想と見立てと言ってきたが、感じ取れないような客では面白くも趣もない。習い覚えた点前手順を大事に守っていくだけでは、茶席にならない。「侘び」「寂び」よりも、「深み」なのではないか、と素人の自分は思うのである。

延宝8年(1680)芭蕉は深川の草庵に移る。そこで鹿島(現茨木県鹿島市)の根本寺から来ていた仏頂禅師と出会い、参禅するようになる。芭蕉の作風に、「侘び」の感覚が出てくるのはこの頃からと言われる。仏頂禅師の影響は大きい。
貞享4年(1687)8月14日、月見を思い立ち鹿島への旅に出る。根本寺で禅師と共に月を見ることになったが、昼からしきりに雨、月を諦めていた明け方、暁の空いささか晴れ間、とある。 仏頂の和歌に続いた句が、先の「月はやし~」である。
「おりおりに かはらぬ空の 月かげも ちぢのながめは 雲のまにまに」
芭蕉に、もう一句ある。「寺にねて まことがほなる 月見かな」

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