お茶あれこれ209 2017.0622~0702

1. 廣石村
まだ蕾の小さな毬の頃は極く薄い若草色が付いているが、花が開き始めてから散るまで、真っ白のままの大輪の紫陽花がある。ほんとに純白なので気に入っている。よく言われる紫陽花の色の移り変わりなどは、ない。これも横にはびこらず、すっと上に伸びている姿勢もいい。足元に幾つか、「瑠璃菊」が咲き始めた。和名の瑠璃菊はあまり知られていないが、ストケシアと言えば思い浮かべられよう。ただ、ストケシアよりは瑠璃菊の方が色といい姿といい、感じが出ていると思うし、茶花には、瑠璃菊の方が話し易いかもしれない。

元和7年(1621)、29歳になったばかりの古田重直は、軟禁状態の京都から7年振りに帰って来た。その当時、暮らしていた馬背戸村は、およそ200年後に古田廣計が不染斎随筆に記した頃は、廣石村と呼ばれる地域構成にかわっていたようだ。池の跡や柿が2本など当時のものと近くの百姓が言い伝える、とある。今年中には、この廣石村と廣計の隠居した三木村の確実な話を仕上げたいと思っている。つまらぬ合併を繰り返しながら、過去を切り捨ててきたこの国の歴史は、それだけでなく大切な地域や素材や技をも切り捨て、暮らしに最も重要な文化を、効率や経済より遥か下方に据えてしまった。地域の歴史を行政に尋ねても、捜しようが無かったりするのである。或いは文化遺産や歴史遺産は、市民が訪れ誇りに思うものであるはずなのに、予算が無いと草刈りもせず、荒れ放題にしておく、こんな地域行政など考えられない。行政自体が、地域本来の目的を見失っている。或いは、もっとも基本的な目的から意識して逃げている。仕方なく、お年寄りに聞き込みしたり、お寺に尋ねたりするのだが、百年以内のことならわかっても、余程言い伝えられてないと、わからない。歴史を伝える古い地名や屋号は頼みとするところだが、ばかばかしいことに、くだらない名前に変わっていることも多い。が、とにかく歩いて見ることにする。

この「あれこれ」は毎回、花を主体とした話から始まる。エッセイの意識などない。茶の湯にとって花は格別のものと思えばこそ、季節毎にどんな花があり、場合によってはどんな物語を連想させるのか、茶席に必要な要素として取り上げてきた。もちろん実物を見て、花入に入れることは大切だが、先ず名前と興味を覚えて欲しい。茶の湯に花が大きな意味を持つようになったのは、利休からである。また利休は、花を入れない花入を床に飾ることも多かった。特に以前話した紫銅の「鶴の嘴(はし)」などは、花を入れなかった時の方が多いのではないか。いろんなエピソードが利休の花にはあるが、趣向を凝らし過ぎるところがある。驚かせるという意図が、花にあっていいものかと思うのだが、多くの茶会記に数えられる。主客の間で意外性を競うような始末になる。花を扱うのに機転など不要なことだろう。また偉い客に花所望という形式も生まれた。取り合わせは、目立ち過ぎないことが肝要であろう。

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