お茶あれこれ240 2017.0927~1018

1. 歌仙を巻く
金木犀も散った。山吹から朱色の花粒が、露地に散り敷いている。二日ほどは未だ色を鮮やかにとどめている。花は木に残ってはいないが、香りは庭や路に薄れつつも漂っている。金木犀の下には萩があり、萩の落花が苔を白く霜が降りたように変えていたが、金木犀が散ってもっと広い範囲を山吹色にしてしまった。
最後の花が萎んで、木槿の長かった夏も終わった。冬場の椿とこの時期の木槿は、長い間茶花として助けてくれる。ただ、八重はもう一つの感がある。宗旦の底紅も鮮烈だが、白の清涼感は極上と言ってよかろう。

以下は、ややこしかったら読み飛ばしてください。
(発句)「五月雨を集めて涼し最上川」 (脇句)「岸にほたるをつなぐ舟杭」に(第三)「瓜畑いさよふ空に影まちて」と芭蕉の弟子曽良が付けた。(四句目=しくめ)は軽く流し、次の五句目は「月の座」と言われ、月を詠む場合が多い。ただし、発句が新年の時は春の月を、春・夏・冬の場合は秋の月を、秋の時は無季の句を詠む。「五・七・五」と「七・七」の句を続けていく時に、句を次々に発展させることが決まりで、決して後戻ったり同じ所で留まっていたりしない、同じ事柄を繰り返さない、くどい、などを嫌う。「春・秋」の句は3句続け、「夏・冬」の句は2句までとする。「歌仙一巻」に「二花三月」という、花を2回、17句目と35句目に詠む位置が決まっており、月は3回詠むが位置は句の都合で詠む。その他の決まりごとはまだまだあるが、おおよその雰囲気がわかれば、茶の湯にとっての知識としては十分と思う。また、私は連歌、連歌師で覚えてきたが、どうも連句という言葉を見ることの方が多い。

ちなみに、例に挙げた芭蕉の説明を少ししておきたい。
「閑かさや 岩にしみいる 蝉の声」で有名な立石寺に泊まった後、この最上川を詠んだ大石田に来ている。ここは、山形県でもかなり川上になる船運の拠点であった。これより上は、川幅が狭かったり急峻であったりするので、上流地域の米や紅花などは牛や馬の荷駄で大石田まで運ばれて来る。ここからは船に乗せ、河口の酒田へ向かう。大石田には船宿と船と蔵が集まり、結果として豪商も生まれ、上方からの文化も浸透していた。芭蕉と曽良を招いたのは、そんな船宿の主高野一栄である。一栄は、地元文化を主導する俳人でもあった。芭蕉に教えを請おうと、一栄の屋敷へ泊めた5月28日(今の7月中旬頃)は、そのまま休んでいる。その翌日、上記の芭蕉の発句は、歌仙を巻くにあたっての挨拶句である。「すずし」とあるのは、「真夏の暑い盛りですが、開け放してあるここは雨も降って涼しいくらいですねえ」とご挨拶、後に「奥の細道」に残す時に推敲校正した「早し」に比べると弱いなどと思うところではない。芭蕉の発句に対する、一栄の脇句は、時と所は外れてはならないので、合わせて詠んでいる。芭蕉のご挨拶に対する一栄の挨拶は、「ほたる」は芭蕉と曽良をさし、「舟杭」は一栄の宿をさす。こんなところへ、よく来て下さいましたの意。(次へ)

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