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午前2時の『深夜高速』

令和にフラカンの『深夜高速』を聞くとは思わなかった。しかも歌うのは岡崎体育。

最高。反則やん。

***
3年前。夏の夜。午前2時。
色々煮詰まって眠れなくなって、翌朝取りかかるはずだった仕事に前倒しで手をつけようとパソコンの前に座った。
座ったものの、いまいち頭が回ってないからスマホでTwitterをひらく。よくない癖。

「この歌詞で深夜高速ってタイトルは反則」

フォロワーが1分前につぶやいて、フラワーカンパニーズの『深夜高速』の動画URLを貼っていた。


何をどう「反則」と思ったのかはわからないけれど、深夜2時にこの曲をうんぬんしたい彼の今日(正確には昨日)はどんな1日だったんだろう、とふと思ったし、もちろん知ったこっちゃないのだけど、たぶんいつもどおり、色々うまくいかなかったんだろう、と推測した。

壊れたいわけじゃないし
壊したいものもない
だからといって全てに
満足してるわけがない

『深夜高速』

そのフォロワーは、毎日のツイートに加え、3日に一度ぐらいの頻度で写真をアップするアカウントだった。彼の撮った写真は、そのほぼ全てが町の夜景を切り取ったもので、路地を一本入ったような小道や、踏切や、終電が終わった後の駅が被写体であることが多かった。なんとなく雰囲気があって、なんとなく好きだった。

加えて、いわゆる「大人の発達障害」をネットでだけ公言している匿名の彼が、リアル社会ではギリギリ必要最低限レベルの「普通」をなんとか演じつつ、たいていはうまくいかない自分の日常を飄々とつぶやく投稿が、シンプルに好きだった。

いや、「好きだった」は、なんか違う。
「応援したかった」とかでもない。
ただ、彼の、時に露悪的で過剰に上から目線のツイートには、目を離してはいけないのではと思わせる強烈な引力があった。

家の鍵をまた無くす。
遅刻する。
今年3枚目のSuicaが見当たらない。
同僚が怒っている理由がよくわからない。
ミスが多すぎて差し戻された書類。
帰り着いた部屋は壊滅的に散らかっていて、コンビニにビール買いに行くついでに深夜の踏切まで歩き、写真を撮る。

…彼のツイートにわたしの独断と勝手な想像をミックスして創りあげた彼の日常(仮)はおおよそ、こんなパッケージの反復だった。

僕が今まで言ってきた
たくさんのひどいこと
涙なんかじゃ終わらない
忘れられない出来事
ひとつ残らず持ってけよ
どこまでも持ってけよ

『深夜高速』


彼にとっての世の中は、いつになっても得体がしれない、つかみどころのないアメーバのような何かで、昨日もその前日も一週間前もそして明日もあさっても、今日のようにあんまうまくいかないものであったとしても、深夜2時に聴く『深夜高速』の反則で彼は今夜、ほんの少し救われたんじゃないか、と思った。

音楽が無くても人は生きられるかもしれないけれど、音楽があったからこの夜を生き延びられた人がいると信じていいんじゃないか、と思った。

「深夜高速聴いて生き延びる夜ってありますね」

リプライを送った。午前2時5分。
「いいね」のハートは直後に返ってきた。

イヤホンを差し込んで、『深夜高速』のURLをクリックした。

このなんてことない深夜のやりとりを、また思い出す日がいつか来るかもしれないと思った。
だとしたら、それはそれで反則だ。
だから岡崎体育、反則だ。

生きててよかった
生きててよかった
生きててよかった
そんな夜を探してる

『深夜高速』

【2021年12月8日付Instagram投稿に加筆・修正】

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