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【日記】親がよお! 子どもをよお! #海野波香のさざめき 【31】

突然だが、 "It Takes Two" というゲームの実況を見た。

私も購入こそしたがプレイしていないゲームだ。二人プレイ専用という少し変わったゲームで、GOTYを受賞するほど評判が高く、いずれ友だちか彼女とやろうと思って積んだままだった。

さすがにそろそろ古いゲームになってきたため、ネタバレを回避する必要もなかろうと夕方の一服タイムに実況アーカイブを流していた。

そこで私は絶望を見た。

どういう絶望をしたかの前に、ざっくりと作品のあらすじを書かせてほしい。今後プレイする方のためにネタバレはできるだけ避ける。

舞台は現代アメリカ。専業主夫のコーディとエンジニアのメイの夫妻、そしてふたりの娘であるローズの3人家族を中心とした物語だ。

多忙で家庭を蔑ろにしがちなメイと感情的で責任を妻に押し付けがちなコーディは、すでに離婚を視野に入れている。ローズはうまくいかないふたりの皺寄せを受けている状況だ。

そんなとき、ローズの涙の魔法によってコーディとメイは人形になってしまう。ふたりは人形の身体から人間に戻るため、ミニチュアの世界を協力して大冒険する。

非常にユーモラスでファンタスティックな作品だ。人形から見る廃材や自然、おもちゃの世界はとても神秘的で、ワクワクさせられる。

ストーリー進行には協力アクションが求められ、ミニゲームで競いあうこともできる。壊れかけていたふたりの関係が修復されていくのも美しい。確かに、カップルに最適のゲームと言われているのも納得だった。

ゾウのキューティが出てくるまでは。

キューティはおもちゃでできた魔法のお城に登場するキャラクターだ。ゾウのぬいぐるみである彼女はおもちゃたちの女王であり、娘のローズにとって一番のお友達として愛されている。

彼女は本当に純真な女王で、魔法のお城を破壊して侵入してきたコーディとメイを躊躇うことなく歓迎する。

「何か困っているみたい、なんでも言ってね、そのためのお友達でしょう?」「ハグしてあげましょうか」とふたりを優しく迎え、よき友人としてふたりを助けようとする。

そんなキューティを、コーディとメイは殺してしまう。

コーディとメイはローズの涙によって人形になった。だから、再び涙を浴びれば人間の身体に戻れる……そう考えたふたりは、ローズの一番大事なおもちゃを壊せばローズが泣くと考えたのだ。

キューティは泣き叫んで抵抗し、痛みを訴え、それでも今際の際までふたりと和解する道を模索する。反撃など一切しない。

そんな可哀想なキューティを無惨にも殺害し、ローズの涙を浴びて、コーディとメイは「やった、これで人間に戻れる!」と歓喜するのだ。

それだけでもあまりにもグロテスクだというのに、物語はこれで終わらない。

涙を浴びても魔法が解けないと知ったふたりは「これじゃあ私達はまるで悪魔よ!」「全て終わったらカウセリングを受けたい」と愚痴をこぼす。

あくまでもふたりは自分本位なのだ。

もうこいつら人間に戻らなくてもよくないか?

わかる。自分たちが人間に戻らなければ明日のローズの食事だってないわけだ。大人が稼ぎ、大人が世話しなければ子どもは社会で生きていけない。

しかし、もうこいつらである必要はないだろ。

これは考察でもなんでもない妄想だが、キューティがお友達として提示してくれる愛は「相談を聞く」「頼ってねと声をかけてくれる」「ハグをしてくれる」という「親が注ぐはずの愛」だ。

それはきっと、ローズが本来親に求めるものを、お友達であるぬいぐるみのキューティで代替していたのだ。

昔はいい親だったのかもしれない。この家庭にはたくさんのおもちゃがある。思い出らしきものもたくさんある。旅行先で撮ったらしい家族写真だって残されている。

しかし、今はそうではない。

もうこの家庭は終わっている。我が身可愛さに娘の宝物を躊躇なく壊して喜ぶ者は親とは呼ばない。それは断じて親ではない。

私が育った環境はあまり恵まれた家庭ではなかった。幼少期にはネグレクトを経験しているし、その後育ててくれた保護者にもいわゆる毒親の傾向があった。

だからだろうか、子どもが傷つく描写には本当に弱い。吐き気がするほど胸が苦しくなる。

キューティの悲鳴、そして無惨な姿になったローズの涙を見て、私はSteamのライブラリにある "It Takes Two" を永遠に封印することを決めた。

もうこのふたりの絆とか私にはどうでもいいのだ。ふたりが仲直りしようがしまいがどうでもいい。ふたりは大人なのだから、自分の責任で生きていけばいい。

しかし、ローズは違う。これからも子どもとしてしばらくの時を過ごさなくてはならない。

その少女時代にローズはこのふたりを親としなくてはならないのだ。離婚するにせよ、しないにせよ、ローズにとって親とはこのふたりなのだ。

その親が、娘にとって一番の宝物を破壊することを手段として選び、しかもそこに躊躇しない。ふたりは夫婦関係が破綻しているからそうしたのではなく、「協力してキューティを殺した」のだ。

このふたりが娘を想っていると言えるだろうか?

本当に選択肢はそれしかなかったのか? ローズが大切にしていたおもちゃのうち壊れてしまったものをすべて修理して飾り付け、ローズに感動の涙を流させるとか、そういう道を考えはしなかったのか?

親としてローズを蔑ろにしているから、どうしたらローズが涙を流すかを想像することができず、一番残酷な手段に走ったのではないか?

いや、理解はできる。仮にも私は物書きだ。主人公は性格が悪いほうがドラマを成立させやすいというのは定石だ。コーディとメイが善良ならそもそもこんな夫婦関係にはなっていない。

前提として、ふたりには人間的な問題、欠落がある。その欠落を互いに認めあい、再び関係を深め、家庭の大切さを思い出すことこそが物語の重点なのであって、親として正しいことはスタートラインにはない。

しかし、このふたりは人の親になるべきではないだろうと思ってしまう。

私が考えすぎなのかもしれない。人の親になるべき資質などというものは後天的にしか磨かれないのだから、ふたりが親として努力すれば再びいい家庭に戻れるのかもしれない。

それでも、「我が子の宝物を破壊することに躊躇いがない親」というものはどうしても受け入れがたい。

私にも大切なお友達がいる。私が物心付く前から一緒にいるおさるのジョージのぬいぐるみだ。私が小さいころに「夏も同じ格好だと暑いだろう」と善意で鋏を入れてしまったせいでTシャツの袖に縫い目がある。

もしジョージがそのような目に遭ったら、私は絶望するだろう。そして、その背景に親がいると知ったら、わたしは親を許せないかもしれない。

私はもしかすると親というものを極端に理想化しているのかもしれないな。きっと私は親になるべきではない。それは私自身を追い詰める行為だし、子を傷つける結果にも終わりそうだから。

それはそれとして子は宝だ。余裕ができたら募金でもしよう。

今日のはっぴー

  • 書類仕事が片付いた! ちょっと不備がある気がするので明日最終チェックをしよう

  • パインアイスを食べてのんびりする時間を作った、最高だった

  • お祝いでお寿司を食べた、近所の回転寿司が安くて美味しい

  • るんちょまがかわいい、守護らねばってなる


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