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"共感"はやさしさ?それとも自分勝手?

日本で話していると、相槌をうつときに「わかるー」という言葉をよく使う。

でも英語だと”I could relate”とか”I could understand”は、「わかるー」と同じくらいの頻度では使わないし、聞かない気がする。もちろん、"I see"も「わかる」なのかもしれないけれど。
一度友人の悩みを聞いていた時に、反射的に"I could understand"と言い、"あなたには分からないよ!”と言われたことがある。”I mean, I could imagine how you feel."と言い直したけど、ネイティブの子たちから、このようなシーンでこのような言い回しを聞いたことはない。

確かに私も、何か人に悩みごとを話した時に、共感してもらうと嬉しい時と逆にイラっとくる時がある。同じ境遇にいる(と自分が勝手に思う)場合は、共感されると安心するし嬉しい。でも、同じ境遇ではない(と自分が勝手に思う)場合は、共感されても「いやあんたには分からんでしょ」と思ってしまうのだ。つまり、共感されると逆に、ネガティブな気持ちが生まれたりもするのだ。相談したのは自分の方なのに。

昔“あなたは共感力とか想像力がすごいね”と言われたことがある。

その時は文脈から良い意味と判断したけれど、共感するということは、優しさであると同時に、自分勝手でもあると思う。だって、その人が抱えている状況や辛さ(もしくは楽しさ?)は、その人にしか分からない。その時に、自分の過去の経験や今の状況を引き寄せて、“わかる”という反応をすること、そして“わかる”と思うことが果たして優しさなのだろうか。

自分が幼い時は、「わかるー」という相槌を大人になった今ほど、うっていたのだろうか。いや、幼い時のほうが、“あなたはあなた。私は私”という考えを持てていた気がする。まあ幼い時に悩み相談なんてしてなかったと思うけど。そう考えると、英語で”I could relate”とか”I could understand”をそこまで使わないのは“みんなちがう”"人それぞれ”という事実が、日本語圏よりも人びとに染み込んでいるからなのだろうか。


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