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【虎に翼 感想】 9/3 裁判を記録することの意義


昭和35年2月

第1回口頭弁論期日
原告、被告双方とも、国際法学者の鑑定を申請し、採用された。
そして、原告の要請により、第2回期日は同年8月に指定された。
鑑定書を作成して提出することからすると、半年くらいすぐに経ちそうだ。被告は準備万端なのだろう。

終了後の裁判所の廊下。
昨日に引き続き、よねは気が回ることだ。
寅子と竹中が話ができるように、よねたちは先に裁判所を後にした。担当裁判官が原告ら代理人と長話していたと流布されることは避けたい。

「意義のある裁判にするぞ」
寅子もよねも、心情は一致していると信じている。心の内に秘めている寅子と声に出したよね。その違いはあれど、強い決意を持ってこの裁判に臨んでいるはずだ。

さて、寅子も長居をするつもりはない。記者と長話をしていたら、情報を流していると思われるからね。「お嬢ちゃん」と呼んでくれるのは竹中だけ。法曹を志したあの頃を思い出させてくれるのではないだろうか。

竹中が傍聴していた理由が分かった。雲野弁護士から、この原爆裁判を記録して、世に知らしめてほしいと託されていたのだ。きっと何かが変わる。

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百合の認知症(当時は痴呆症)はますます進行していた。
ご飯をセットするのを忘れ、それをごまかすために優未のせいにしてしまう。


昭和36年6月

百合はもう一人にしておくことができず、平日の日中は家政婦を雇い、百合のことを見てもらっていた。卵焼きを落とすのが上手なことよ……余さん。

のどかは大学を卒業し、銀行に就職していた。明律大学に入学したとはいっても、法学部ではなかったようだ。

のどかのことを、百合はまだ大学生だと思っている。そのことを毎朝否定しなければならないのどかには、いらだちも見てとれる。
百合のこの状況が一番ショックなのはのどかだろう。小さい頃からしっかり者の百合に育ててもらっていたのだから、この変化を受け入れられるはずもない。
優未は、はるさんと暮らしていたこともあるせいか、比較的落ち着いて接しているようにも見える。

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口頭弁論が始まって1年以上経っても、法廷の傍聴席には竹中しかいない。

原告、被告双方が申請した国際法学者の鑑定人尋問が行われた。
国際法に違反するとの鑑定結果を出した原告側の保田敏明氏、続いて被告側の嘉納隆義氏である。

嘉納氏はあらゆる可能性を排除しない慎重派のようである。
主尋問ではこう述べていた。

原子爆弾は新しい兵器のため、そのものを禁止する規定は、当時も現在においてもない。
毒ガス兵器などの類似のものの制限規定があったとしても、安易な類推解釈は、国際社会の秩序を維持するための国際法を歪めることになる。

主尋問

反対尋問は、よねが担当した。

国際法上、禁止されていなければ、どんな残虐な戦闘行為でも違法ではないのか。
→そういうことではない。
(質問を変えて)いくつかの国際法に、戦闘における不法行為を行った国には損害賠償をする義務があるが、それは国家間のみ発生するか。
→国家が請求する。
日本国民個人がアメリカに対して損害賠償を求めても不可能か。
→日本は(サンフランシスコ)平和条約第19条において放棄したという解釈だから、不可能である。
主権在民の日本国憲法において、個人の権利が国家に吸収されることはない。憲法と、国際法および国際条約の規定と、法的にはどちらを上位に考えればよいとお考えか。
→戦時中に今の憲法は存在しない。

原告は、今を生きる被爆者ですが。

反対尋問

昨日の漆間の口から語られた心証、原告の請求を認めることは難しいのではという心証は、裁判長である汐見と右陪席である寅子にも共有されていた。

このことは、原告側も感じていたのではないか。
国際法と憲法の上位性の質問についても、原爆投下時には憲法が存在しなかったのだから遡ることができないとの回答がなされることも、原告側は予測していたはずだ。

それでも反対尋問で質問した意味はなんだったのか……
今を生き、苦しんでいる被害者がいることを法廷の場で述べ、調書に残すことが大事だったのではないか。裁判官の心証に訴えたかったのではないかと思ってしまった。

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原爆裁判の記録は、今では判決文以外、裁判所には残っていない。すべて廃棄されてしまっている。
他方、月曜日のオープニングのクレジットに名前が載っている方(おそらく日本反核法律家協会の方)のところには残っていて、その記録を元に今日の法廷シーンは描かれたのではと推測している。

竹中が話していた
「そろそろ、あの戦争を振り返ろうや。そういう裁判だろ」
の言葉。少なくとも原爆裁判を振り返ることは、裁判所にはもう成し遂げられないことなのである。
一つのドラマ作品でしかない本作が、裁判所の代わりに当時の裁判のやりとりを詳細に伝え、映像化し、記録に残す作業をしているのではないだろうか。

今日の法廷シーンは、裁判所に対するアイロニーなのだと、私は思ったのだ。

よねの言っていた「意義のある裁判にするぞ」の具体的な真意はまだ分からない。

よねは変わった。昔のよねだったら法廷でブチ切れていてもおかしくはなかった。今のよねは、依頼者(広義的に言ってしまえば日本国民)の不利益になることはしない。
汐見裁判長の「その言葉は質問ですか?」の問いに落ち着いて尋問を終わらせていた姿に、真の法曹者となった山田よねを見ることができたのである。

(※尋問に関することは、当然のことながら素人の感想として書いています)


「虎に翼」 9/3 より

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