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ヘミングウェイとcocktail『午後の死』

三年ほど前、吉祥寺の古本屋、確かあそこは南口方面のよみた屋であったろうか、『ヘミングウェイ 美食の冒険』という題の古書を見つけてひとり唸り声を上げたことを覚えている。

一介のアブサニストからすればヘミングウェイといえば「アブサン」なのだが、一度この手にした本を開けば、出るわ出るわでいかにヘミングウェイが「酒豪」であったか、その範疇・守備範囲に驚かされることであろう。

とはいえ、当方興味があるのはとりあえずアブサンの頁であるわけで、この本もまぁまぁ挿話はあるのだが、とても物足らず、特に「午後の死」というカクテル、材料は水と油、つまりそれはシャンパン(上流階級の比喩)とアブサン(下層民とここでは比定)の、本来決して混ぜてはいけない、バーカウンターの上での「偶然の」出会い、否、悪魔合体なわけであるが(生粋の歴史英雄的アブサニスト:アルフレッド・ジャリはロートレアモンを愛読し批評した)、これが実際どのようなものだったのかはこの本の小さい記述だけでは推し測ることは流石に難しい(何せ、午後が死ぬほどである、初期のレシピではアブサンではなく火薬をぶち込んだという伝説も流布されているほどなのだから)。

が、今度は中目黒の目黒川沿いにある古本屋であの伝説的な青山のバーの『バー・ラジオのカクテルブック』を見つけてしまい、当時の定価の倍を支払って手に入れたのだが、そこに「午後の死」にまつわる話が出てくる。

それによれば、このカクテルはヘミングウェイの自作カクテルで、自作短編の題からネーミングは拝借、シャンパンはマムズを指定、アブサン(時代的には禁制下なのでスペイン・タラゴナ産のペルノー社アブサンか、或いは代用品としてのパスティス・ペルノーか、断定は難しいところ。どっちも飲んでたかな)はペルノー、処方はマムズ五分の三にペルノー五分の二だという。深いシャンパングラスにまずはペルノーを注ぎ、よく冷えたマムズで静かに満たして出来上がり。

これだけのコンパクトな文章だが、いくつかの驚きで私は満たされた。まずヘミングウェイのオキニのシャンパンはマムズであったこととそれを指定していること、自作短編の方が先だということ、そして分量だ。

大抵のカクテルブックには、アブサン(ないしは日本のカクテルブックはバブリーな香りが残ったままのものも多く、その場合、時代背景的にはアブサンではなくパスティスとしてのペルノーで代用しているはず)はせいぜいが一ティースプーン程度の香り付けとしてレシピを決定づけているイメージが個人的にはあり、五分の二も入るんか!と衝撃を受けたとともに、アブサニスト・バーマンとしては是非とも挑戦しがいのある分量である。

年末シーズン、そんなハッピーandグロッキーな「午後の死」カクテルへの挑戦者、求む、ダナ。

(即興的に勉強メモがわりにかつ、軽く畏まった外向き用の文章なので、流れやリズムや展開が悪いのはご容赦を。今後もたまに浮上して、アブサンと芸術に纏わるメモをしたためていきたい。)


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