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「書く」ことで『私』と『僕』は作られた【書く学】

どーも!
日刊【書くメシU30's】マガジン、水曜日担当のネット中毒な方(?)
おっちーこと落合裕太です。

今日は午後からと夜に用事があり、「午前中に投稿しないと飛ばしてしまう!」と、頑張って早くから取り掛かっています。

今週は「書く学」ということで、私にとって「書く」とは? をテーマに、それぞれの「書く」について綴っていく、という感じ。

今回は、「書く」ことで『私』と『僕』は作られた、という話を書いていきたいと思います。
ぜひ、読んでいってくださいね!

インターネットの『私』

先日の自己紹介記事にも書きましたが、私は14歳くらいからインターネットに入り浸り、気づけばネット歴が人生の半分以上になっています。

普段、リアルでは自分のことを「僕」や「俺」と言う(つもりな)私ですが、インターネットではご覧のように「私」です。

今回のテーマ「書く学」について考える中で、ネットでの『私』は「書く」ことによって作られた、ということに気づきました。

「書く」ことで『私』は作られた

今でこそ、インターネットに動画や音声コンテンツが増え、文字媒体だけでない様々な表現方法がありますが、以前はそれらのハードルはもっと高く、不自由でした。
その時代はテキストこそが表現の王様であったように思います。

そんな時代にネットに入り浸り始めた私は、当然のように言葉を紡ぐこと、書くことで自分を表現しようとしました。

個人サイトで日記や小説、詩を公開してみたり。テキストサイトに憧れて真似てみたり。コラムを書き合うサイトに誘われて寄稿したり。ブログを始めてからは、読まれることを意識しつつ、とにかくたくさんの記事を書いたり。

九州は福岡の人なので、関東や関西で行われるオフ会などにもほとんど縁が無く、テキストベースの発信や交流を続けていました。
その「書く」という行為で、『私』が形作られていきました

「書く」ことで、誰にでもなれる

インターネットの『私』と、リアルの「僕」。今ではほぼ同一ですが、時期によっては切り分けて考えていました。匿名だからできること、演じるように見せること。姿や声を見せないからこそ、自分以外の誰かになれるような気がしていました。

今は演じ分けていませんが、演じられなくなったとか、それはダメだと思ったということではありません。メインのアカウントで行う必要性が減っただけで、趣味としては今も行っています。

リアルの私は福岡県糸島市在住、Webクリエイターな個人事業主の30歳男ですが、「書く」ことで作る『私』は誰にでもなれるのです。ある程度は。

年齢や性別に囚われない全く違った自分かもしれないし、今後そうなりたい理想の自分かもしれません。リアルでは出せない嫌な奴かもしれないし、気恥ずかしくてできない正義感の強い奴かもしれない。

「書く」ことには、そんな「自分の枠組みを再定義できる」可能性があると思います。

「書く」ことで『僕』も作られた

もし、インターネットで「書く」ことをしていなければ、おそらくWebページ作りに熱中し独学で売り物を作れるようになることもなかったでしょう。

私は暗黒時代が何度かある人なので、「書く」ことをしていなければ、下手すると生きていなかったかもしれません。

ライティングに興味を持つことも無かったでしょうから、「書くメシ」に参加しているはずもありませんし、人生の様々な分岐で違った選択があったと思います。

まぁ、「書く」ことに限った話でもないのですが、「書く」ことで作られた『私』そして『僕』がいます。

何かを伝えるために、「話す」ことと同じくらい、インターネットにおいては話す以上に力のある「書く」ということ。

せっかく入った書くメシで、「書く」ことについてもっと勉強し、これからも楽しく『私』を『僕』を作っていきたいと思います。

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