【源氏の道】4帖:山崎ナオコーラ『ミライの源氏物語』

モストオブわかりみが深い

茶の歩みの道しるべになればと触れ始めた源氏物語だが、本書は淡交社から出ている。淡交社は茶道にまつわる雑誌や本を数多出版している出版社で、本書は同社の茶道誌『なごみ』での連載をまとめた一冊だった。知らずに手に取ったが、なんだかご縁を感じた。

現代に生きる人が源氏物語を読んだときに感じるであろう「違和感(特に差別意識)」について真摯に向き合い、自身の解釈が書き綴られている。

おかげで、これまでの源氏関連本の中で、最も自分と近しい目線で読め、なんだかホッとしている。というのも、書いてあることがいちいちわかりみしかなくて「自分の違和感は間違っていなかったんだ!」と溜飲が下がったので。

いしいしんじさん、ごめんなさい

それら数多の「違和感」は、いしいしんじさん訳を読んだ際に私自身が感じていた違和感と一致していた。

というのも、いしいさん訳は私にとって初めての源氏物語。「光源氏=才色兼備のキラキラ・爆モテ・スーパープリンス」という極端なパブリックイメージを抱いて読み始めたので、葵の上に対する源氏の心の声や、末摘花に対する表現が、そのイメージからかけ離れすぎており衝撃でしかなく……。

「光源氏ってこんな人なの? もしかしたらこの源氏物語は、いしいさんの創作も多分に含まれているのかな? いや、むしろそうであってほしい…このキャラクターじゃ愛せない……」と戸惑いながら読んだのだった。

が、もちろんいしいさんの創作による源氏像ではなかった。原作で描かれる光源氏と、私の思い描く上澄みイメージの光源氏像が、あまりにも乖離していただけだった。

光源氏クズ説は間違いなかった

というわけで「そもそも光源氏って見た目はイケメンか知らんけど、中身は全然男前ちゃうかったんやね」と気づくとともに

「現代の価値観からすると、クズに見えるのも無理ないか」
「でも、こういう解釈をして楽しめばいいのか」

と、現代に生きる一人の読者としての、源氏物語の楽しみ方の補助線を引いてもらえたのが、本書だった。

章タイトルが秀逸すぎる

まず、各章のタイトルからしておっしゃるとおり。

「ロリコン 紫の上」
「マザコン 桐壺更衣と藤壺」
「ホモソーシャル 雨夜の品定め」
「貧困問題 夕顔」
「マウンティング 六条御息所と葵の上」
「トロフィーワイフ 女三宮」
などなど

全部のタイトルが「それな!」でしかない。

ただ、それを「ロリコンがまかり通ってひどい時代だった!」と憤慨するのではなくて、前書きにあたる最初の章タイトル「今、読みにくさをどうやって越えるか」という視点で、丁寧に読み解いていくところが、とてもおもしろかった。

教授たちは平安時代にいた少女のように『源氏物語』を楽しむことを目的として「読書」そいているわけではなくて、「研究」をしているのでした。もちろん、研究は大事な事柄ですし、世の中には必要な仕事です。でも、研究をしても自分は平安時代の少女のような読書はできないのだと気がつきました。
(略)
「楽しめる」という能力は、どんなに勉強しても得られないものなのです。言葉は、時代と場所と共にあります。そう、どんなに勉強しても、必死に研究しても、私たちは当時の人のように『源氏物語』の読書を楽しむことは決してできないのです。
現代を生きる私は、平安時代の読者に近づく努力をするよりも、現代人としての読書の楽しみ方を極める方向にシフトしたほうがいいんじゃないか、と思ったわけです。
私は、当時の読者には決してできなかった、「現代語訳を楽しむ」ということができます。(略)平安時代の言葉と比べて面白がることもできます。せっかく、千年を超えた場所に私たちはいるのです。千年を超えたからこそできる読書を楽しむのも良さそうです。
平安時代に近づく、という行為ではなく、今だからこそできる、という行為をやってみよう、そういう読書を目指そう、と私は考えるようになりました。

『ミライの源氏物語』「今、読みにくさをどうやって越えるか」より

老害&アップデートしてください

中でも心に響いたのが、本の後半に登場する「エイジズム ー源典侍」の章。

源氏物語という作品自体やこの章でクローズアップされる源典侍の存在を超えて、「老害」という言葉の持つ暴力性や加害性について考えてしまった。

以下、少し長いが、引用。

教育環境だって昔と今とでは違いますから、たとえば、性差別に関しても、昔の教育を受けて清張した人は、どうしてもミソジニーのようなものを抱えやすく、加害しやすくなってしまうでしょう。大人になってから「自分が受けた教育は間違っていたんだな」と自分で気がついたり、「自分は加害しやすいから、差別には気をつけなくては」と省みたり、今の教育を受けた人よりも自分で意識しなくてはならないことが多くなります。

(略)他人を啓蒙するというのは大変なことです。自分自身で「勉強し直そう」「考えをアップデートしていこう」と決意するのとはわけが違います。それと、そういう声がけをしている人は、相手の高齢の人を良く思っていなくて、むしろバッシングしたい気持ちから「勉強してください」「アップデートしてください」と言っている節が見受けられます。自分をよく思ってくれていない相手のそういうセリフを素直に受け止めて「よし、勉強しよう」とは……、まあ、なかなか考えられませんよね。

とりあえず、年齢にかかわらずみんなが人間であること、それから、上の世代の人たちもいろいろな活動をしてきたのだということを踏まえたいところではあります。

若い人たちが勉強しやすくなっていたり、アップデートしやすくなっていたりしているのは、前の時代の人たちが一歩ずつ社会を変えていったことによって環境が整ってきたのだ、という理解は必要だと思います。これまでの歴史があって今があるわけで、過去を否定して現在ことだけを勉強しても、差別の根絶にはつながりません。どうして差別が根を張ったのかを知ることは大事です。これまでの変遷を知ってこそ、今の状況が見えてきます。

それから、今ではなくなってきた差別問題もいろいろあって、たまに「寝た子を起こすな」「今の人たちはそのことに関する差別意識は持っていないのだから、わざわざ教える必要はない」といった意見を聞くこともありますが、知らない方がいいことなど世界にひとつもありません。「過去には、こんな差別があったんだ」と知って、現代において考えることで、やっと未来にバトンを渡せるのです。

『ミライの源氏物語』「エイジズム ー源典侍」より

顧みると、自分自身に対しても、他の誰かに対しても「このムーブ、老害みあるなぁ」と感じるシーンは日常の中にたしかにある。

でも、よくよく考えるとそれは必ずしも老いていることがもたらす害ではない。年齢じゃなく、その人個人が発しているものであって、年齢という枠に当てはめて非難するのは違う。安易にグルーピングして、思考停止していることに気付かされた。

一方で「アップデートしてください」というのも傲慢な発言だなとハッとした。

新たな価値観や社会規範が当たり前のものとして育ってきた世代と、旧態依然とした価値観を当たり前のものとして育ってきた世代とでは、思考や行動をアップデートするために、乗り越えるものの数が違いすぎる。それはあらゆる世代間、文脈においてそのはずだ。

だからこそ、過去を学んだうえで、お互いを一人の人間として敬意を持ちながら、今同じ時代を生き、未来に向かっていくことを目指したい…!

って文章にするだけなら簡単だけどさ。実際にはムカつくことだらけ。傷ついたり、傷つけたりすることがてんこ盛りの毎日だ。自分自信も含めて、老害を老害と思わず、「アップデートしろよ!」という思いを飲み込んで共に歩むのって、めっちゃくちゃ難しい……。

でも! それでも! そこを目指して「ミライ」へバトンを繋いでいこうよ、というのが著者がこの本で伝えたいことなのかなと私は受け止めた。

オタクの考察はおもしろい

ところで、本書は、源氏物語の評論本としては『源氏物語の教え』に続き、2冊目。同じ著作に対する、異なる視点での意見に触れることそのものが、とてもおもしろかった。自分一人で楽しむだけでは気づき得なかった観点を与えてくれるのがおもしろい。

その意味では、映画を見たあとに近しい人と「あの発言はそういう意味だったのか〜」「そのシーン、見逃していたかも!」「あそこ、めちゃくちゃよかったよね〜」と話す感覚に似ているかもしれない。読書をすることで著者と対話をしている感覚。

さらにいうと、これぞ“オタクの考察”だなとも思う。話題の映画を見ての「おもしろかったね〜!」「だね〜!」という軽い共感というではなく、熱量が尋常じゃない感じ。これ、まさにオタクのそれじゃん。

これまでの経験で、何かを好きになりはじめた時期に、その対象を自分以上の深度で愛している人の熱量に触れると、より理解が深まってより好きになることは多々ある。いわゆるファンダムのパワーというか。

「枠」を越えるという共通点

私にとっては、たとえば古くはPerfumeの道夏大陸がまさにそれで。この動画を見なかったらPerfumeのファンにはならなかったかもしれない。


↑前編は今も胸が苦しくなるけど
↓後編はカタルシス!

約15年ぶりに見たら、後編途中のテロップに『アイドルという「枠」を飛び越え』と出てきて驚いた。

そうだ、Perfumeも安易なカテゴライズや枠組みを超えた存在だった。
よかった!『ミライの源氏物語』の話と繋がった!(笑)

茶道の話にも繋げるぞ

オタクという先達が牽引してくれる道という意味では、もちろん茶道にも共通する部分がある。先生や社中の皆さんが、私よりもダントツに造詣が深くて、いろいろな角度から楽しみ方を教えてくださるから、日々興味が増している。

そうやって考えると源氏物語とは「古のオタク」によって語り継がれてきた最強のコンテンツという気もするし、『神作家・紫式部のありえない日々』の小少将さんの描かれ方も、あながち外れていないという気もする。

アウトプットの形態は違えど、小少将さんのようなオタク、つまりは作品を愛する人々によって連綿と愛されてきたからこそ、なおかつ、その消費に耐えうる強度を作品自体が持っているからこそ、源氏物語は1000年も出版され続けているのだなあと、ますます源氏の道が楽しみになった。

おまけ:Podcastもおもしろかった

実は、著者がPodcastで源氏物語について話しているのを先に聞き、興味を持って本作を手に取った。

つい最近まで源氏物語にまったく興味がなかったのに、アンテナを立てた途端、いろいろな情報が引っかかってくるのが楽しい!

極め付けに、今年の大河ドラマの主人公が紫式部という、コンテンツのビッグウェーブが来ているのも期待に胸が高まる。

どんなことでも、まずは自分自身が真摯に心を開くことからはじまるな〜と改めて思う次第。

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