不死の猫は招く~『図書館司書と不死の猫』

もう五年以上前だったか我が家にはそれはそれは鳴き声のうるさい老猫が居りまして、夜毎おめきながら廊下を徘徊するその猫のことを私は正直好きでなかったのです。が、ある日、私はそいつに名を呼ばれてしまいました。
夜中でした。
胃を壊して何度も吐き戻し、トイレは寒いし普段気にならない程度の臭いも弱った胃にはこたえるしで洗面器を抱えて寝床に戻って息も絶え絶えにへばっていた時、聞こえたのです。閉ざした寝室のドアの向こうから。私の、名を、はっきりと、呼ぶ、おめく、声。
声色は耳慣れたものでしたけど、猫が夜に鳴くのはいつものことでしたが、あんな明瞭な発音は初めてでした。
明確に○○○――私の本名です。私の名を呼んで。
続いて「あーけーろーーーーー」

いやぁ、もう、喉元にこみ上げたゲロも引っ込む衝撃でしたね。
扉?もちろん開けませんよ。誰が開けるもんですか。
脳内ではね、人より巨大に膨れ上がったあの猫が、戸口でクワッと口を開いて待ち受けているわけですよ。無理無理、開けられない、いや、開けない、ゲロがあふれようが腹が下ろうが絶対に開けてたまるか、言いなりにはならないぞ!

私を呼ぶこと数度、「開けろ」の催促も数度繰り返されて、静まった後も、猫の気配が消えた後も洗面器を抱いたまま、まんじりともせず夜明けを待ったものでした。

チュンチュン小鳥さえずる朝を迎えた後、顔を合わせた老猫はいつものしょぼくれた老猫で、人語をしゃべる気配も見せなかったのですが、「おまえな、二十年近くもこの家で、飢えもせず寝床も与えられてぬくぬくと暮らして来られた恩というものをよくよく思い知れよ。恩には恩で報いるのが道理というものだぞ」と言い聞かせたものでした。

ま、そんな老猫もとうの昔に毛皮を脱ぎ捨てて虹の橋を渡っただか猫岳行っただかしたわけですが、何故、こんな自分語りを長々したかというと、つまり。
こういう「猫の怪しさ」を身近に感じ、なお猫という存在に魅せられている人にとって、たまらない小説だからです、『図書館司書と不死の猫』は。

猫を単純に「可愛い」とのみ認識している人にとっては、本作に登場する猫はちょっと……、いや、かなり違う。需要に合わないかもしれない。
なにしろ怪しい。
意地が悪い。
むしろ邪悪。
凶悪とすら言ってもいい。

けれども、読み終わって思うのは、「やっぱり猫は素晴らしい」ということなのです。

筆者は推理小説好きらしく、随所にその引用が散りばめられているのですが(ですから推理小説の素養のある方は何倍も楽しめるでしょう)スタイルとしては古典的な怪奇小説に近いでしょう。

実は、書店で「呼ばれた」気がして手にとってはらりめくって読んだ冒頭が、実に「昔の怪奇小説みたい!」な、まわりくどさで、その「今基準」では不親切にすら見えるノリの悪さに逆に惹かれて購入を決めたのでした。
正解でした。
良い読書体験になりました。

ポーやラヴクラフトを愛好する層におすすめしたいと思います。


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