インド映画の話をします。

バーフバリではありません。

さらに遡る踊るマハラジャの話でもありません。
まあ、インド映画なので歌と踊りはあるんですけど違うんです、昨年、2019年に日本で公開された豪華絢爛スペクタクルな愛憎が火花を散らす超大作叙事詩映画です。「バーフバリじゃないの!?」違うって!バーフバリは一昨年でしょ!

さて、件のインド映画、邦題は『パドマーワト 女神の誕生』です。

「知らない」
「聞いたこともない」
「見たこともない」
そんな声が聞こえてきそうですね。

実際、ほとんどの人の目に触れる機会は無かったと思います。一応、シネコンにも一瞬かかったりはしてたんですが、ポスターとかパネルとかババアーン!!!と掲げられたりはしてなかった記憶です。
ひっそり公開され、気がついた時には上映回数が一日に一回だか、二週もたずに消えた気がします。
あるいは私の気づくのが遅れたのかもしれません。ともかく、「リピりたい!」と思ってもリピる機会は無かったのです。上映時間が、レイトになってましたんで。一回は泊りがけで観たんですが(我が家は山の中なので。バスが無くなってしまうので)二泊は無理でしたよ、したかったんですが「金銭的にも体力的にも無理はしないように」とたしなめられて断念しました。無理したかった……。
なお、上映時間は二時間四十分超です。大作ですから。

で、トレーラーはこちら

「バーフバリっぽい」

て!
言われますよねーーーーー!!!!!
多分、その線狙って編集したんだと思います、この予告作った人!
しかし詐欺!
これは詐欺!!
詐欺の中の詐欺!!!

予告中「正義は勝つ」て言っちゃってるじゃないですか、まあ、劇中のセリフではあるんですけど!

しかし、勝ちません。

すみません、いきなりネタバレかましましたね。

しかし、この映画は敢えてネタバレに触れた上で観た方が「ちゃんと愉しめる」と思うのです。
ともかく「バーフバリではない」という意識を前提としてください。
正義は勝ちません。
ある意味では「勝ち」なのかもしれないけれども。「敵に煮え湯を飲ませた」「敵の思い通りにはならなかった」という意味では。
そう、敵(悪という言葉はあまり使いたくない)は、勝つけど負けるんです。ヒロインに煮え湯を飲まされるんです。
だからといって「ざまぁw」という気分になる終わり方でもありません。
劇場へ、バーフバリのイメージを引きずって行った私(バーフバリも好きですから)は、ものすごく釈然としない気分でエンドロールを見送りました。
けれども「リピりたい」と思ったのは、映像美が素晴らしかった、映像の迫力がすごかった、というだけでない何かを感じたからです。

結局、円盤購入して家でリピったんですが、これはもうとんでもない極彩色の豪華絢爛「スルメ」映画でした。
噛めば噛むほど味が出る。けど、よく噛まなければ金箔が舌の上を上滑りするだけ、みたいな。

先に敵を「悪とは呼びたくない」と書きましたね?
ヒロイン、パドマーワティの表向きの敵、名をアラーウッデーンというのですが、こいつが悪くないかというと色々悪辣非道はしでかしてるんですが、妙な愛嬌があり、かつ色気の塊なもので、どうにも憎めないのです。
お話は「イスラム側勢力にこんな悪いヤツがいてさ」と、アラーウッデーンの登場から始まるのですが、画面中央に進み出た彼の立ち姿が、もう―ー

存在するだけで「色気」

一目見て只者ではないオーラを感じさせるわけですよ。黒いオーラかもしれないけれど、なんか、こう、惹きつけられて目を離せないような。
ちなみに、アラーウッデーンは、話が進むごとに厚着になっていくので(脱いでる時もほとんど布団の中だし)登場時が最もスラリとした長身が映えて美しいです。そう、アラーウッデーンは美しい男なのです。

対する、パドマーワティの夫、ヒンドゥ(バラモン教?)国家の王なわけですが、ラタン・シンの印象は「清潔感」です。
美男子(インド基準)ではあるし、肉体的にも均整のとれた良い身体ですが、アラーウッデーンのような圧倒的色気は無い。育ちが良く、教養もあり、誠実であり、公平で、気前よく、勇敢でもあり、およそ欠点が見当たらないて感じ。そしてパドマーワティとは深い愛情で結ばれている。
清潔で誠実で愛し愛され微笑ましいカップルですよ。その仲を引き裂こうとするのがアラーウッデーンなのですよ、パドマーワティの美貌を聞きつけて。

て、あらすじだけだとありきたりに思われるかもしれませんが、前述の通り、アラーウッデーンが色気の塊で、悪辣非道に奔放に振る舞ってるシーンでは黒い宝石のように輝いてるし、噂のみ耳にしまだ目にもせぬ(ネタバレですが、アラーウッデーンは、ついにパドマーワティの姿をそれとはっきり目にすることができないのです)パドマーワティに想いを向けるシーンでは少年のように愛らしく、パドマーワティの計略に出し抜かれていっぱい食わされた後の悄然とした姿が、また御飯三杯イケる美味しさ。

はっきり言って、これ、タイトルは『パドマーワト』だけど、真の主役はアラーウッデーンじゃね?

表向きにはパドマーワティとラタン・シン夫妻の受難、そして彼らが王と王妃であるために国も道連れと滅びてしまう悲劇なんですが、裏を返して見れば、実際に己の目で確かめもしない伝え聞くのみの絶世の美女という幻を追って、手を伸ばして、掴もうとあがいて、ついに掴めなかったアラーウッデーンの、失意というにも深い絶望を描いた物語とも映るんです。
だから「正義は勝たなかった」
けれど、アラーウッデーンも、真の勝利を手にすることはできなかった。

さて、そもそも、王妃であるパドマーワティの美貌を、誰が異教異国のスルタンであるアラーウッデーンに告げたのか。

内通というか裏切りというか、一種の報復ですね。
パドマーワティの美貌に惑って堕落し追放された、元、ラタン・シン王の師であったバラモン僧が、放浪の果てにアラーウッデーンの元にたどり着き「あの国の王妃は類稀なる美貌ですぞ」と吹き込んだのです。

このクソ坊主、報いできっちり破滅してくれて、本作中数少ない「ざまぁw」状態になるわけですが、そもそも、なんで「追放」なんて甘い処置をしたのか?最初にきっちり殺っとけば後の悲劇は無かったじゃないか、と思うのは、カーストというものを知らない日本人のあさはかなところで。
バラモン教もしくは(バラモン教を源流とする)ヒンドゥにおけるバラモンという位階の人間は、カーストの最上位にいるだけでなく「殺すと地獄に落ちる」と言われるくらい、手にかけることは禁忌とされる存在なのです。悪人であってもバラモンというカーストに所属している限りは殺せないんです。バラモン教徒、あるいはヒンドゥ教徒にとっては、です。
異教徒であるムスリムには関係の無い話ですけれどね。

もう一つ、アラーウッデーン周辺の見どころなのですが、カーフールという側近が甲斐甲斐しく付き従っています。
奴隷から取り立てられて寵臣と呼ばれるに至る男なのですが、彼には髭がありません。
インドで成人男子なのに髭が無いというのは、ちょっと特異な外見で、パンフには「宦官」と書かれていました。つまり去勢された男ですね。その設定のためか、カーフールの所作はどこか柔らかくなよっとして見えるのですが、それだけでなく、アラーウッデーンへの献身が常軌を逸しているのです。
ほとんど「アラーウッデーンに恋しているのではないか」と思えるほど。

カーフールは、クライマックスにおいてアラーウッデーンをある意味裏切ります。
アラーウッデーンの命を助ける行動ではあるのだけれども。
アラーウッデーンは、おそらくは、この行為を罰しはしないけれども、カーフールは、おそらくは罰せられる覚悟でやったのではないかなぁ……、と、パドマーワティそっちのけで切なくなってしまいました。

切ないといえば、アラーウッデーンは、どうも、ラタン・シンのことを嫌いではなかった印象なのです。
ネタバレですが、ラタン・シンが一騎打ちを仕掛けて来た時にこれに応じますからね(兵力では遥かに勝っているのにですよ)
アラーウッデーンが「パドマーワティの美貌」という幻に囚われていなければ、異なる出会いがあったならば、あるいは友ともなれたかもしれなかったものを……、とも思わされました。

余談ですが、一騎打ちに臨むために馬を進めるアラーウッデーンの姿は、黒を基調とする鎧のせいも相まって「北斗の拳のラオウ」を彷彿とさせました。馬、黒王みたくでかくはなかったですけどね。

更に余談。
円盤再生していて気づいたのですが、パドマーワティの生国はおそらく仏教国だと思われます。背景美術が、バラモン・ヒンドゥとは異なるのです。

また、途中、モンゴルがインドに攻め込んでいますが、あれは中国の王朝が元だった頃の軍勢ですね。
元は一時期、ヨーロッパまで勢力圏を広げ、インドにも侵攻しようとしていました。この部分は中央アジア史に詳しい方ならニヤリとなさるところでは。
アラーウッデーン・ハルジーは、歴史上実在した人物で、叙事詩『パドマーワト』は、彼の覇業をモデルとして編まれた作品とのことです。国に滅びをもたらした美貌の王妃パドマーワティは、詩人の妄想の産物のようですけどね。
アラーウッデーンはムスリムのスルタンですから、おそらくはバラモン・ヒンドゥ教徒だったろう詩人にしたら、ムスリムの膝下にインドがひれ伏すという状況は面白くなかったのでしょう。
映画が、元ネタの詩にどれほど忠実だったかはわかりませんが、アラーウッデーンを単なる暴力的存在ではなく、血の通った「人間」として描写した点、非常に好もしく思えました。

最大のネタバレしますが、日本人にとっては「工エエェェ(´д`)ェェエエ工」となる、あのラスト。インドの伝統的な風習(今は廃されているはず)によります。サティーとも呼ばれる行為ですが、夫を喪った妻の殉死、それも生きたまま火葬される、ということが推奨された時代がありました。
当然、「女性の生きる権利への侵害」との非難もあり、だから現代では廃止されているはずなんですが、物語の成立が古いので、日本でいうところの赤穂四十七士の討ち入りが切腹込みでロマンと見なされてるのと同様に、ロマン文脈で描写されたものと思われます。
(だから前もって注意書きがあるんですねえ)

そんなこんななんですが、この情報量多すぎな大作。
もっと「大作」に相応しい待遇で上映されてほしかった。
ロングランしてほしかった。
拡大上映されてほしかった。
もっと多くの人に観てほしかった。

ぶっちゃけ、「アラーウッデーンの色気」にアテられて卒倒する人続出とかなってほしかった!
バーフバリのバラーラデーヴァみたく、アラーウッデーンの役者さんも来日しての応援上映とかやってほしかった!
応援上映で「スルターーーーーン!!!!!!」と叫んでみたかった!!!!!!


……なんで今頃、こんなことを言ってるかというと、円盤買ったのもあるけどー。

映画秘宝休刊号で、2019年ベスト10で『パドマーワト』の「パ」の字が無かったのにキレたからです!
(他にも色々、言及されていいレベルの映画で一言も無いのあったけど!)
前々からそんな気はしてたけど、あの界隈の人たちの観てる映画って偏ってるよね。


気を取り直して、インド映画定番の歌とダンス動画

これは婚礼の舞です。
見返して気づいたのですが、火の舞を経て妻となり、炎に身を投じることで夫への貞節を証すという、対の表現になってるんですね。

こっちは可愛い怖いいアラーウッデーン。
こんなに荒々しい強面ダンスなのに歌詞が実はものすごく甘々夢見がちなラヴソングだったりします。

衣装は装飾も込みですごい重量だったそうで。その重さを感じさせない軽やかステップがすごい。
――アラーウッデーンの人は踊りながら気が遠くなりかけたそうです……。

スクリーンではもう観られないけど、お家で応援上映やってください!ぜひぜひ!
https://www.amazon.co.jp/dp/B07Y3HJP3R/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_thUkEb7RX8QHX
スルターーーーーン!!!!!!!


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