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がまんの向こう側。


今の若い人たちと

ワタクシのような

オジサン世代を比較して

感じること。


ワタクシらの世代(40代)や

それより上の世代は

若いときにそんなに

持ち上げられていない。

注目されていないに近い。


あくまでも主役はオトナだった。

子どもは大人の顔色をうかがうように。


この頃は中止になってしまった

部活動に対して、そこまでやるの!?という

手の差し伸べ方、かわいそうに感を出す。


コロナ禍のようながまんした経験は、

必ずのちの人生の糧となり、種となる。

そのまま受け止めて、前に進むことも

人生では大事になってきますからね。


私たちよりも上のオトナは当時は、

若い人を持ち上げようとしないばかりか、

下にみているし、むしろ差別的な態度で

「黙れ、こわっぱ」感を丸出しにしてきた。


まだまだこの若造が、なに言ってやがる。

みたいな感じで高圧的だったんですよ(笑)


ただ、それは「下の立場を味わう」意味で

無駄ではないなと思うんだけどもね。


いまならハラスメント満載だが

育てようとして厳しくする人が

ほとんどだったから。


ワタクシ世代以上の親たちは

「ガマンの向こう側」を体験して

いまがある。


全員が成功したわけではないけど、

100点じゃないものをすべて否定したら

最後、何もできなくなりますよね。

0か100かで人間をくくれないでしょう。


いまの中堅どころの30代や40代。

怒れますか?ちゃんと怒ってあげてますか?

怒ってあげられていないですよね。


若い人はいつの時代も一定数は、

つけあがります。当たり前のこと。


怒られないとわからないこともあるけど、

怒り方を世の中がすごく難しくしてきた。


それは怒られた世代に対して

怒る意味をうまく伝えられなかった。

私たち以上の世代にも一定の責任がある。


怒ると嫌われる、やる気をなくす。

だから泣く泣く、丁寧にやさしく。


育ち方や生活環境の違いなど

世代間の埋められない違いが横たわる。


若い人たちもなんとなく、

怒られること自体を封じようとする。

怒られないことが目的のようにしてしまう。


わかっているはずです。

それだと、こなせるけど、伸びない。


怒られた「あと」のことなんですよ。

怒られた「あと」に学ぶんですから。

怒られたあとに学んで成長するまでが

セットなんです。


その振り幅を経験しておくことを、

省略してしまったのではないか。


私たち以上の世代は

自分たちが怒られてイヤだったこと

下の世代にはしないようにする、

という選択をした。


それは余計な衝突を避ける意味であり、

世の中が少しハラスメント主張を

声高にし始めたことも関係している。


怒るのってみんなうまいわけじゃない。

コレって意外と盲点になってません?


なのに下の世代はみんな、

上の世代にうまく怒ってくれと

要求してくるではありませんか(笑)


そして悠長なことを言う上司は

常識が変わって対処がうまくできなくなり、

自分は逃げるように、うまくやってくれ

としか言わない、言えない(笑)


私たちの世代がイヤだったことは、

私たちも上の世代と同じ立場になったら、

あるいは怒られた意味を理解する立場に

上がってきたら、なんとなく理解できる。


叱られ怒られて、成長できたことを

身を持って理解できるようになったとき、

あの人たちが言ってくれたから、

厳しくしてくれたからこそ気づけたのかな?

って感覚になっていくと思うんです。


いまの若い人たちが上になっていき、

下の世代に言えないことに気づくとき。

そのとき初めて年寄りたちの厳しさの意味、

知るんだろうと思います。


仕事やスキルを教えるのではなく、

人間を育て上げるための厳しさのような。

古い感覚ですが、そんな感じです。


いまは仕事してくれれば、あとは

我関せずの姿勢がスマートな人みたいな。

尊重意識を逃げの姿勢で掛け違えている。

いまは出来ても、出来なくなる日もくる。


怒られた「あと」を経験させないのは

困難に陥ったときの立ち上がるチカラ、

レジリエンス力に影響が出てくる。


いまの若い世代は私たち世代より

偉くなってるわけではないけど、

幼少から子どもの成長を逐一、

イベントや思い出など、すべて記録して

生まれてからこれまで当然のように

子どもを「主役」扱いにしてきた。


子どものころから主役扱いを

どの空間でも受け続けているから

ちょっとのマイナスがあるだけで、

大きくダメージを受けたりする。


あるいはダメージを回避させるように

子も親も、困難なルートを外したがる。


いいことしか、気持ちいいことしか、

積み上げていないのではないか。


時代だなぁ、の一言で片付けられない

なんかが欠けていく感覚がある。


悪いことじゃないから、やってもいい。

って論理とはちょっと違うし、

でもなんか違うよね?って感覚。


これは一定の年齢以上の人で、

よほどフラットな目でみてくれないと

わからない感覚かもしれませんね(笑)


ワタクシは結婚もしていないし、

子どももいないからなんでしょうけど。

だからこそ気づく感覚かなって

思ったりもするんです(笑)


人間、みんな同じ方向を向いていると

気づけないこと、たくさんありますから。


人間はむかしの良さを実際に無くしてから

気づくようになっているのかもなぁと。


こういう気持ちも時代の片隅に

ちょっとだけ伝わっていくといいかな

と思うんですよね。


怒られるって大事なことです。


怒られない、怒らないってのが、

いまの社会の弊害なっているのだとしたら。


私たちは怒るほうに、

ぶつかり合うほうに

舵を切ってみるのも悪くない。

もしかしたらなにか、変わるかもしれない。


オジサンはそんなこと思うのであります(笑)





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