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素手のおにぎり。


たまにはこーして

顔をハンドソープで

ほんの少しだけ

ズボラかましてみたいよ


ん~。替え歌で始める(笑)


肌には良くないのかもしれないが

手を洗うついでに顔もついでにと。

ついやってしまうんです(笑)


コロナの影響も含めてさらに

除菌意識が高まるに連れて、

常識が変わり始めて、当たり前になる。


私たちの「ちゃんとやらなきゃ」は

どこまでいったら気が済むのか。


最近の研究では○○はやっちゃダメ。

こんなんばっかり。

それはそうかもしれないが。


どこまで私たちは

やらなきゃならないのか。

やるべきなのか?

その基準が年々上がり続けていく。


こうしたほうがいい、という類いは

妙な同調圧力を生んでしまうから。

同調圧力ビジネスって案外多いし。


みんな、許さない雰囲気に

知らず知らずのうちに

いつの間にか操作されながら、

加担していくことになる。


むかしはそんなの無かったんだから。

研究が進むに連れて、解明される真実。

いや、真実らしいひとつの見解。


真実だからといって全部を

真実にすべて寄せていく流れは、

私たちを幸せにするのだろうか?

息苦しくさせてるだけではないか?


ほんの少しでも

立ち止まれないんだろうか。

笑って許せないんだろうか。


「追う追うしないと」ダメなの?

専用のものでウォッシュウォッシュ、

しないとダメなの?

なんだか違う気が。


昨日、姪っ子がウチに来てた。

オジチャン(ワタクシ)に

シャケのおにぎりを握ってほしいとな(笑)

そのときも似た感情がわいてきた。


もちろん手は洗う。

それでもオジチャンのおにぎりは、

素手だよ?(笑)


手のダシがとかそういうのじゃなくて。

いつか、汚いし気持ち悪いから要らないと

言われてしまうんだろうなぁ(笑)


ハッキリ物事言う子どもだから。

いや、お互いが察するのかも。


それでもオジチャンは

他人が素手で握るおにぎりを

ちゅうちょせずに食べるのが

ポリシーだからやめないよ(笑)


なんとなく、そういう人が

ホントの信頼を得る。

許してハードル下げて受け入れる。

その預け方をされると

信じてあげたくなる。


ワタクシ自身の譲れない、

人との絶対感覚みたいなもの。


塩っけの強めなシャケのおにぎり。

絶妙な握り加減の感覚が好評だ(笑)

硬すぎず柔らかすぎずの絶対感覚。


最悪、誰も食べてくれなくても

自分で一番良いおにぎりを、

自分の素手の感覚で

おいしく握り続けるよ(笑)

オジチャンは。


もっといろんな菌が体にいるからこそ、

人間の体はうまいこと守られているんだよ。

それを忘れちゃいけないよ、と。


コンビニのおにぎりしか食べられない、

型入れや、手袋して握ったものしか

食べられない、なんてのはね。

そんなんはイヤ。なんかイヤ。


みんな食べてたのに。

なんだかなぁ。


信用するとかしないとかじゃなくて。

大丈夫とか大丈夫じゃない、

でもなくて。

許すか許さないかでもない。


なんだろう、「まぁいいや」くらいの

あんばい(塩梅)なんだろうなぁ。

まぁ今回はシャケだけども(笑)


それを許すか許さないかのとき、

研究結果は空気読めないからなぁ(笑)


常識は人が、世論がつくる。

だけど全面的に賛成して

基準化して標準化、常識化。

以降、基準を下げたがらない。


それって、

なんかおかしなーい?(笑)


素手のおにぎりはもしかしたら、

やりすぎ社会の境界線かもしれない。


ちゃんと消毒しました・・・!!

無菌人間にでもなるつもりか?(笑)


ちょっとの菌でバタバタ死んでいく、

そんな人間ばかりになるのだろうか。


人間は弱さを隠すために、排除し続ける。

弱さを補うために、強くなるのではなくて

弱さを守るために、寄せ付けなくさせる。


そんな社会に、そんな人間に

未来はあるのだろうか。










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