わかりすぎる。


わかりすぎるのもどうなんだろう。


いまさらながらSARSの時と、

いまの新型コロナの騒ぎ方を考えると

不安感が高まる分、社会全体が

ナーバスになってる感じがしますね。


調べると2002~2003年ごろのようですが、

あのころワタクシはまだフリーターしてました。

大学辞めてそのまま残って関東圏にそのまま。

ファミレスで深夜帯フルタイムで働いてました(笑)


あのころってやっぱり情報がまだまだ少なかった。

ガラケーだったし、固定電話もあった。

自分もパソコンもまだ持ってませんでしたし。


となると、主な情報源はテレビになるんですよ。

発信の間口は一定で狭い分、流れも緩やかだった。

俗世間とは少しリズムの違う働き方と生活だったので

あまり気にはならなかったし、人ごみにもほぼ無縁だった。


現代は、スマホによって情報の多角化と可視化が進み、

いろんな情報に触れることによって不安感が増幅されてる。

年々その情報の速さと、正誤の判断不明な情報が氾濫し、

加速度をつけてウイルスよりも速く広まっていく。


SARSのころに関しては、どこか開き直りもあったし、

少し他人事のような雰囲気もあって、周囲でも飲食業のため

職場では徹底されていたので気にはなっていたものの、

普段の生活のなかでは、のどかな感じもあったような気が。


やっぱり情報の「入れ過ぎ」って駄目なんだなって思うんです。

不安になってくるんですよ。どうしても。

聞かなきゃ、見なきゃ、知らないままだと意外とOKだった…

って感覚も経験したことがあるでしょ?


なんか知ってしまうと怖くなってしまうことって

あるじゃないですか、やっぱり。


あのころはケータイでも調べてもそんなに情報は出てこない。

出てきていたらみんないまみたいに検索してたでしょうし。


スマホの普及によって不安から生じる恐怖感と警戒感が

より大きくなって、それぞれの人の心理面に影響してる。


病気だとわかってしまうと、どんどん具合が悪くなるように

情報は心理面で大きな負荷をかけてしまう要因になる。


気にする分、他人のマナーや行動が気になり、

ナーバスモンスターとなって不安感に拍車がかかる。

いいことないですよ、情報に触れすぎるのは。


ワタクシは申し訳ないですが、正直、他の方の記事は

みないようにしてます、あえて。すいません(笑)

それは情報を入れすぎるリスクや影響を自分なりに

意識してるからなんです。書くことについては特に。

性格上、自分で気づきたい、知るに至りたいタイプなので(笑)


だから正確なことを調べて書くのは他人がやればいいことで

自分が同じことしたって意味がないわけです。

SNSもあえてしないし、みないので。


自分で考えて言葉にして、書いて直してが楽しいんですよ。

そこから生まれるアイデアが自分のストロングポイントかなと。

書き手は文章スキルじゃなく、発想やアイデア勝負でしょ?


結果的に誰かが書いたことを、同じように書いていたとしても

それはそれで同じこと考える人がいるんだ!って

実感して、自分の考えは間違ってなかったんだなと

確認できる喜びもあるんですよ(笑)


まぁ、思わぬところに着地しちゃいましたけど(笑)

答えを欲しがりすぎて、エスカレートしすぎるとよくないですよ。

こんな時代だからこそ、自分で情報量をコントロールしないと

みんな、自分が自分でなくなるんじゃないでしょうか。


怒らなくてもいいこと。

知らなくてもいいこと。

言わなくてもいいこと。


みなさんはどう、向き合っていきますか?

誰とでも同じは、誰とでも同じでしかない。


答えを自分で考えて出せない人には

やっぱりなりたくはないんです。

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