パラリンピックの捉え方。
世の中の多くの人は
口に出して言うことはない。
それだけ扱いづらい感覚。
パラリンピック終了まで
私たちは興味が続くだろうか。
緊張の糸は続くのだろうか。
この論点について。
言わないだけで。
言わずもがな。
正直言うと
差別的な意図は全くなくても
あまり興味のない人だって
多くいるはずです。
それすら逆に表立って
言えない雰囲気のほうが
差別的だなと感じる昨今。
オリンピックが
7月23日~8月8日
このあと、ちょっと開いて
8月24日~9月5日
がパラリンピックとなる。
このちょっと開くのがクセモノだ。
私たちがガマンできそうなのは
前半だけではないか・・・?
お盆休みを挟んで
結果はどうか知らないが
同じように盛り上がるわけがない。
誰も言葉にしないけど
薄々感じていることでは?
パラリンピック自体に
文句なんかあるはずがない。
だが全員が歩調を合わせるのは
限界を超えた無理な話である。
誰も言わないだけ。
ひどいとか、冷たいとか。
そんなレベルの話の方向にいくと
何も前に進まない話ですし。
お目当ての競技が終わった。
世界最高レベル「かもしれない」
競技を楽しんだ。これ以上はない。
あとは余韻に浸ってふつうの暮らしに
戻りたいというのが自然ですよ。
でもまだ前半終了なんだと
パラに善人ぶるメディアが
目に浮かぶようだ。
もちろんパラ選手たちが
人生に目標を持ち取り組んできた
その発表の場をけなすことはない。
しかしどこまで付き合えというのだ?
って感情を口にしないまでも持つ。
ごくふつうのありふれた感覚です。
ヘタに盛り上げようとしてシラケて
なんか面白くないとも言いづらい雰囲気。
おそらくあまり突っ込むと
こっちがケガするから
当たらずさわらずにするだろう。
上司の余興みたいに。
これは言い過ぎか(笑)
パラだけ特別扱いしないでくれと
逆に差別的な感情も
本人らは感じるのでは?
ふつうに競技で争って自然と
カタヒジ張らずに応援してくれたら
と本人達は思ってるはず。
でもメディアは感動路線ひた走り。
いまの時代はヘタな演出は要らんのに。
本人の意図と離れた演出に終始する。
観てるコッチは余計な飾りは
要らないと思ってるし、
もしかしたら本人たちも
そう思ってるかもしれないでしょ?
結局あれもこれもうまくやろうとして
中途半端に終わるんですよ。
前も同じこと書いた気がしますが(笑)
おそらく感動路線と批判のない
中途半端な感じで進むでしょうね。
正解はないんでしょうけど。
たぶん見方もよくわからないまま
結果がよくなかったとしても
当たり障り無いことしかできない。
中止論は下火になってゆく中で
ひたひたと今度はデルタ株だか
デルタプラスだかが脅威として迫る。
もういいよ、なんかもう疲れた。
ウイルス相手に戦意喪失した人間。
そんななかで応援しようよ的な
盛り上げは「乗れない」でしょ。
中止してくれるなら寄付するよ。
そうやって中止の損失を上回るほど
寄付が集まったら国はどうするだろ?
開催しちゃったら全額返金するよとして。
いくら集まるんでしょうねぇ。
でも国民の意思を何らかの形で
五輪開催前に示すことも
今後の日本を考えると大事かな。
こういう意思表示をする国民が
増えているんだと思い知らせるだけでも
上級国民たちをけん制できるのでは?
やらぬも地獄、やっても地獄。
決断のできないトップと
トップに文句言いながらも
従う道を選ぶ国民性の私たち。
どう転んでもモヤモヤしたまま
時間だけは等しく過ぎていく。
鈍痛を抱えたまま、居心地悪くて
そのうち痛みすら感じなくなって
無気力になるんだろうな(笑)
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