こまるのでございます、およよ。


新型コロナへの対応でいろいろと

みえてきたことをつらつらと。


私たちの社会は思っている以上に、

急にストップをかけられると

予定に狂いが生じ、混乱を避けられない。

様々なことがリンクしすぎていて、

システム化された社会や経済、生活に

互いに影響を及ぼすのだなぁと。


戦前や戦後すぐとかならば、

国が国民の犠牲をもいとわない姿勢で

黙殺、封殺することができた、

そういう時代だったはずですからね。

それは当時の国民にとっては当たり前に近い、

あきらめのような感覚だったのかもしれない。


社会のシステムがあまりに整いすぎると混乱も大きくなる。

つまり、より機能的に組み込まれて行き届いた社会環境は

そのぶん、反動も大きくなってしまうんだということ。


混乱によってみんなが困る、大変だと思うことが

国民ひとりひとりに生じる。

しかし整う前は、ひとりひとりの意見に

フォーカスすらしなかった。

だからやりやすかったのだろうなと思う。


そして、皮肉なもので、

「自由になったぶん、自己に責任がある」

という視点とともに、

「自由になったぶん、他者に責任を要求する」

という側面も浮かび上がってきた。


お母さん(国や行政)が100人の子ども全員(国民)に

ごはんをアーンして、一口ずつ食べさせなきゃならない。

一度に同時に、要求されてるような構図。ちょっと違うか(笑)


私たちは果たして、

強くなったのだろうか。

弱くなったのだろうか。


整えたぶんだけ、混乱の振り子は大きく振れる

のでございます。

そして、日常の快適さや機能性を整えたぶんだけ、

元通りにしてくれ、ふだんどおりにと要求してやまない

のでございます。

(だけ、の部分を一人ごっつの「新婚さん聞きなっしゃい!」

のコントっぽく読むと最後のございますのあとにだけ、

「およよ」の文字が浮かび上がってくるのでございます、笑)


さて、話を戻すと

この手の混乱を避ける一番の方法は?と誰もが模索する。

でも実は、「避ける方法を逆にあまり考えない」ことが

カギなんではないだろうかと思うんですよ。


私たちの社会は整えたら整えたぶん、比例するように

瓦解したときの反動や影響が大きくなるだけであって、

避けられないこともあると、受け止めてみることが必要なのでは?


整えすぎた環境は、不測の事態への免疫力を低下させる。

体力、精神力あらゆる面でアクシデントに弱くなる。

準備しておかないと対応できないほど複雑化した社会。

しかも準備した状態で行列をつくって、

列を乱さずに並んでいる社会。


抵抗力の弱くなった人間たち。

自然治癒力的な姿勢を捨てた人間たち。

自分に完璧にフィットするものしか

受け止められない日常に慣れ過ぎてしまった私たち。


そりゃ脆弱性マシマシで、ストレス耐性が低下する。

抗菌、除菌、クリーンに保ち、汚れもミスも許さない。

弱くなるはずですよ・・・(笑)


極端なたとえだけど、

きったねぇ鼻水、飲み込んだっていいじゃない。

恋したっていいじゃない(笑)

鼻腔内に様々な菌がついていたりする場合だってかまわずに。

いろんな菌を取り込んでヒトの体内ではバランスがとれて

免疫力の高まりにつながっているんだと思います。


良い菌だけ、研究開発されたものだけ取り込むいまの私たちは

適応しない、得体のしれない菌を受け入れられずエラーを起こす。

なんかどんどん人間っぽさを失いロボット化してないか?(笑)

将来の夢は完璧なロボットになることですってか?


僕らはせいぜいのび太になるだけで、

ドラえもんに甘えたまま、ちょっとだらしなくて

いつまでもジャイアンにも勝てず、スネ夫にもダマされ、

しずかちゃんに愛想をつかされてしまうのだから。


そして私たちの行く先は、

コピーロボットをつくることでもなければ、

コピーロボットに自ら、なるわけでもない。

なぜにここでパーマン出す?(笑)


のび太のもつ、ほっこりするやさしさによってだけ~ッ!!

救いのある未来を、荒波からその手にすくいあげることが

できるのでございます、強引に、およよ(笑)


元ネタわからない人、申し訳ございません・・・

書きながらどんどんズレて自分でおもしろくなってしまいました(笑)

たまにふざけますので・・・















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