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ドリームマッチ2020


6年ぶりだそうです、すんげー楽しみで(笑)

始まる前に書きますけども。


ちょっとお笑い的な考察が入りますけど。

個人的な主観のみで失礼します。


ワタクシは世代的にはダウンタウン、ウンナンや

とんねるずの世代なんですけども、

彼らのテレビをみて育ったので影響は大です。


あの時代はテレビでコントをみる機会が多くて、

自然と主役はボケなんですよね。

担当がどうのこうのではなく、ボケ行為を笑う感じ。

演者がボケ担当だけでなく、ツッコミ担当でも

ボケに反応して笑っていたような気がします。


どんなボケで笑いをとるかみたいな感じで、

松本は特に、どんどんまだやってない笑いを

舗装されていない道を切り拓いていってた。

ごっつの最期のほうは、ちょっと視聴者に

合わせることがない感じもして、

お前ら、ついてこれんのか?みたいな走り方に。


ワタクシも松本がやってるんだから面白いんだろう

っていうこちらが合わせにいくアプローチを

意識していたと、いま思えば感じるんですよね。

笑わなきゃならないみたいな感覚。


いろいろあって90年代後半、2000年代に

入っていくとコントは主流じゃなくなってしまう。

笑いもM-1のあたりから、漫才のように

ボケとツッコミをわかりやすく立てる感じに寄ってきた。


時代もわかりやすくを求める日常が進んできて、

大衆にわかりやすく、シンプルに伝わるように。

テレビも字幕を多めにして、注釈が多めになり、

おことわりを事あるごとに入れていく。


そうしていくうちに、視聴者のレベルダウンを

感じていくようになったのか、松本も極端な階段を

視聴者に昇らせるのをやめたような気がするんです。


そしてボケからツッコミに主役が移っていったような。

グラデーションがボケ主役から、ツッコミ主役の感じに。

最近のM-1にしても、ツッコミが目立つのがトレンド。

松本も自分でツッコミまでやるようになってきてますし。

ツッコミでよりわかりやすく解説してる感じかな?


要するに、たぶんボケのバリエーションはそれなりに

みんなやり尽くした感があるんでしょうね。

新しいものを、新しい形をとらないとお笑いの世界は

既にある椅子と比較されやすいので、新しい椅子を

みんなでつくって、探して、世に出てくるんだと思うんです。


いまでもやってるコント番組にしてもよくみると

ボケで笑ってません?そして漫才はツッコミで

笑ってるような感覚がないですか?


別に悪いと言ってるわけではないんですが、

時代がわかりやすくを求める風潮なだけ、

わかりにくいものをわかろうと歩み寄るスタンスを

視聴者である大衆も、取らなくなってきたのかなと。


いまのお笑いも、もちろん笑います。好きですよ。

でもちょっと変わってきたのは事実だと思いますね。

ボケ単体では機能しなくなって、ツッコミとセットで

視聴者である受け手が、なるほどと笑う感じ。


もともと漫才文化の浸透した関西では、

ツッコミを待って笑うような文化があるという記事を

何かで見ましたけど、漫才文化とコント文化、

関西と関東。そしていまはいいとこどりのハイブリッド感。


次はどこへトレンドが向かうのか(笑)。

楽しみ方はそれぞれだと思うんですけど、

お笑いの世界の性質上、比較は世の常。

新しい椅子をつくり続けるのも

もう限界にきているのかもしれません。


ただ、笑いがなくなると正しいコトだらけで

ものすごく窮屈になって、すでになってますが(笑)、

ストレスを抱えながら私たちも負荷がかかったまま

日々、生活してるような気がしますからね。


ん~、気づきのチカラとも無縁ではないかも。

そこ気づいてくれないのか・・・と落胆する。

これはお笑いだけの話ではないかもしれませんね。


果たして、どんな笑いがみれるのか。

ドリームマッチ2020を楽しく観たいと思います。

批判せずに、なるべく楽しく、こんなときだからこそ。




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