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貢献欲。


人間には貢献欲みたいなもの

あるのではないかと感じる。

うっすらと雰囲気で、でも

薄っぺらくはない気もする。


貢献とは、その字のとおりだが

本来の意図とは異なるものになった。


お金をもらって報酬ありきで

その対価として、貢献する。

それが役目、充実感、生きる糧。


その報酬があるだけに人間は

報酬のアテを守り確保しようと

争い奪い合うのだろうと。


貢献にたがわない者は排除され

ポジションが空けば、奪い合う。

こうなると必ず負ける者が出る。


負けたりドロップアウトした者は

条件を究極まで下げられても

惨めでも従わざるを得なくなる。

これも日本の停滞の理由だ。


その慰めをしているのが

日本人を誉めるような外国人の

言動についてのニュース。


なんか誉められてる記事や

発言を見たくなるのだろうか。

ページビューも多いのかも?


今回のWBC関連に限らず

何か誉めてもらいたい欲求が

溢れ出て認めてもらうことで

溜飲下げしているのを感じる。


あとは逆にいい行動をした人を

褒めることや自慢に思うことで

他人にやってもらって疑似体験する

そんなように感じることもある。


まるで誰かに自分を少しでも

認めてもらいたい気持ちを

隠さなくなったかのように

いや、隠しきれないように。


それだけ追い込まれていて

何か認めてもらえない社会の

裏返しなのではないかと。

考えすぎかもしれないが笑


人はどこか貢献したい意欲が

絶対にあるはずだと信じている。


しかし貢献したいにも

貢献する場がないのが現状。


貢献したい気持ちと場が

噛み合っていないというかね。


貢献したい場のサイズに

私たちが合わせにいくのでは

フルスイングしにくい感じ。


本来なら貢献したい場を

ある程度自由につくったり

促したりする雰囲気の醸成が

社会にあれば道も拓けるのだが。


意欲に場と報酬のサイズが

合わなかったりする。

このジレンマが多くの人の

モチベーションを下げている。


ただ働けだけでは誰も意欲的に

働かないのが現実で、不合理を

甘んじて受け入れてなんとか我慢。


だが物価高騰によってもう

我慢も限界を超えている。


だからこそ自分たちで場をつくる

その一歩を踏み出しやすくする

環境をつくらなければならない。


実はそのほうが実力ある勝ち組

だけが残り淘汰されていって

結果的には、活性化もする。


しかし貢献の場は何故か

決め事が多く制限があって

認められたものでなければ

動かすにも動かせない現状だ。


勝ち組たちが場を荒らされまいと

巧妙に仕組んで守っているのだろう。


頑張って動けば20万稼げる意欲が

あったとしても、現状は10万にも

満たないのが実態なんだろうなと。


単に人手不足を補いたい側は

10万でなんとか補いたいから

そのサイズでしか人を集めない。

極端な話をすればね。


本来持っている貢献欲と報酬が

20万のサイズになるものは

従っていたとしても実現しない。


人を補いたい側からは

10万しか出てこないルールを

無意識に敷いているし

それを強いているだけ。


ここをなんとかするのは政治。

それ以外はクーデターかな?笑


現行のサイズに人を当てはめて

これからも有利に運ぶために

なんとかしようとする勝ち組と


現行のサイズでは満足いかないから

もっと大きなサイズを求める

いわゆる負け組だとすれば。


多くの人の報酬を対価とする

貢献欲を満たすには十分でない。


私たち全体が抱える問題には

こういう側面もあるのだと思う。


ただ、勝ち組はこのからくりを

熟知して立回りながら、自分の

貢献欲と報酬を確保して動く。


だからこそ、負け組ならば

ある程度公平な立ち位置を

あえて狙いにいくべきなんです。


勝ち組と同じ事をしていても

絶対に勝てないからくりの中で

負け続けるだけ。


この何十年、いや何百年

もしかしたら何千年も

もがいている「勝てない試合」

なのかもしれないが。


風穴は必ず空くはずだ。

たとえやる気をくじかれ

すべてへし折られたとしても。


次の世代に何かを引き渡せる。

これも貢献欲なのではないか。

やれば山は動く。やってくれ笑

そんな人が多いと思いますね。











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