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巻き込まれるという感情~時には起こせよムーヴメント。


人間は巻き込まれたくない。

巻き込まれると不利を受ける。

その思いで怖じ気強くなる。


だがいい意味で

巻き込まれないままだと

結果的には、孤立化する。


私たちの社会は

個別化の流れに

それとなく進んできた。

それとなくね。


ビジネスにおいても

家族に一つ、もうやりきった。

売るためにはと、個人単位に。


その個別化が進むと

だんだんと孤立化するのが

可視化してきている。


良かれと思って人間は

うまくやろうとするが

予期せぬ方へ向かう。


時代は勝っている人や

有利な人が自分たちの利益を

守りながら進む方向に行く。


上の世代が描いた曲線は

私たちが通るときには

もう細く短く大渋滞。


大量の負け組の犠牲

おのが利益のみを優先

若い世代にポジションを

明け渡そうとはしなかった。


あの当時の若い世代はいま

何を思いながら生きてるだろう。


当時を思い出すことがある。

精一杯やろうにも上がどかず

ライバルだけが多かった時代を。



その当時の流行や歌が

リバイバルするように

人間はリバイバルの機会が

あるだろうか?


それはもうやったんだ。

当時の流れではダメだった。

うまくいかなかった。


日本の社会は局面が変わって

本当にやるべきことがあっても

現状維持が強くはたらく。


年齢問わず同じやり方を

求めてくるのは改善すらしない。


時には起こせよムーヴメント。

むなしく響く絵空事だろうか。


自分で動き出さなきゃ

何も起こらないのだが

その人の数があまりに多すぎて。


逆に勝ち組は新規の客を

ようこそと迎い入れるように

自然とノビシロを狙い

若い世代にスイッチ。


もうできないこともあるさ。

明日があるさ、とはもう

言いきれないタイミング。


でも自己責任だけで片付け

どんどん先に社会は進んだ。


先に乗れた人だけを乗せて。

乗れる若い人を少数精鋭で。

利益を分け合う余裕などなく。


あの当時、いまのデジタル環境や

変化してきた倫理観があったなら

どうしてただろう?


若さと勢いでもっとうまく

立ち回れていただろうか?


いや、ライバルの多さが

変わらないなら割りを食う人は

必ずいるだろう。


自分だけがうまくいけばいい

とは、もう思えないから。


あの頃はあの頃でしかなくて

当時の常識や最先端でやるしか

仕方なかったのも現実だ。


私たち人間は日本では

リバイバルされないのだ。


サバイバルを勝ち抜けなかったら

置いていかれ、老いていくだけ。


多くの犠牲者は年々増え続け

いまも口をつぐんだまま

時代を身の丈で見つめる。


現実のやさぐれ感を

抱えきれず追い込まれ

どこかで吐き出す毎日。


自分だけが取り残されていると

負の感情を抱く者も多い。


やはり時代は場を用意して

くれたりなどはしない。

おそらく、これからも。


当事者が欲しいタイミングで

手を差し伸べることはない。

いつだって手遅れになってから。


行く手を阻む石は重く

私たちの意思だけでは

どうにも動かせないほどだ。


巻き込まれて負けたのに

別の意味で巻き込まれないと

不条理な現実から浮上できない。


勝ち抜けた人間が用意する場は

自分たちの優位を保ったまま

その上で差し伸べる最小限だ。


自らが勝ち組と同じ

ポジション取りをして

戦わないことには


私たちが本当に欲しかった

年月を埋めるだけの成果は

得られないのだろう。


それでも勝ち組のオコボレに

列をなすしかしない現実。


その結末も十分経験したよね?

そのパターンはもうダメだと

気づいていても、その場しのぎ。


どこかで負け組たちは

新しい流れに巻き込まれないと

もう立ち直すことは不可能だ。


個別化によってますます

個人個人の問題に

すり替えられてしまう。


ネット上はそのやりきれない

感情でうごめいている。


誰かを揶揄する声の多くは

ワタクスにはそのやりきれない

感情のハケグチのように感じる。


人に当たっても変わらないと

知りながらもそのストレスを

逃がすしか方法がなくて。


怒りや哀しみの感情に対して

わかる、だよねと言いながらも

誰も何も、変えられない現実。


さまざまな分野で

個別化の対応が進む。


でもどうしても

孤立化が進むだけで

サポートが追いつかない。


そういう時代にさらに

進んでいくだけだろう。


有利なポジションを得た者は

守り抜くマインドを強めていく。


個別化は、各自でという

切り放す意味合いも

同時に強くなった気がする。


さぁ頑張ろうぜ、と言うが

どこまでも空を切る現実に

負け組たちは辟易としたまま。


もう空虚なキレイゴトすら

鼻で笑うくらい

暗いcry、深い不快

闇と病みの中で

膝を抱えたまま。


習って、倣って

長い長い、行列にまた

なす術なく並ぶの?


並んでも並んでも

また同じことの繰り返しだし

もう死ぬまで追いつけない。


90年代の歌が虚しく響く夜に

何かをさけんで自分を壊せない

ワタクスも含めた彼ら彼女ら。


笑って楽しく生きていく道を

模索しながら進める場を。

つくらなければならない。


大事なのはキッカケの場で

そこから自分で動けるマインド。


そこだけでも十分、打開できる

人は多いはずです。


もうこれ以上、負の連鎖には

巻き込まれるのはゴメンだ。


ドゥヤサ、ドゥヤサ、ワッツビガーン!

どやさ、どやさ。

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