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賢懇逸的(けんこんいってき)



乾坤一擲(けんこんいってき)

イチかバチかの運命をかけた

大勝負に出ること。


タイトルの造語は、

賢い人が、親しげに

集まりやっているが、

なんとなくズレていて

的はずれなことをしてしまう、

という意味。


みんなが正しいと思い込んでいることも

「みんなのなかでは」正しく思えるが、

「みんなの外に」出ると正しくなかったり

することもある。


島国独特の日本という国の

文化や性格的な特徴が

長い年月をかけてつくられてきた。


その中で生きる私たちの

容易に変えられない欠点のひとつだ。


古くは大陸から新しい文化を学び、

持ち込んで取り入れてきた歴史がある。


独自の発展を遂げ、

飛躍的に向上させる。

これが、私たち日本人が

一番得意なカタチ。


日本人は「0から1」がヘタだが

「1から2や3」は得意中の得意。

いつも「誰かの1」を待っている。


この「ゼロイチ」が、なかなかできない

「決められない」私たち。

何も政治家や官僚ばかりでもない。

私たちにも当てはまること。


オリジナルを生まないが

他のオリジナルを発展させ

自分たちに合うようにカスタマイズ。

これこそ日本人の文化の神髄。


暗黙知のように、列を乱さず

はみ出してはいけない心理が

至る所に巧妙に仕掛けられている。


習熟度を増し続けていくなかで

高まる美徳、犠牲心。

新しいことは出さぬほうが得策と

整った列に倣うことで

安心を得てやり過ごしている。


いまは世界中がなんらかの

ネットワークで繋がった。


見えない透明の回線がどんどん太く

速く強くなって私たちにも届けられる。


さまざまな国の考え方を

互いに知ることで、

考え方が衝突することも増え始めた。


その衝突の実態はすぐさま、

透明の回線で世界中にバラまかれる。

回線は混乱しないが

人間が混乱する始末だ。


デジタルやネットが

その巧妙なワナを仕掛けて

待ち構えているのにも

気づいているのに。


誰かが発信すれば、それを真似て、

知らぬ誰かにつなぐ。

批判をすればそれに同調して、つなぐ。


まるで、断るタイミングを失った

わんこそばのようだ。

次から次へと情報を

一人一台のスマホというお椀に

エンドレスで供給され続けている。


この時代をどう生きるべきか?


ネットは情報量を減らすことはない。

情報の洪水に身を任せ漂いながら、

いまはコッチ、今度はアッチ。


骨の無い傘のように制御できずに

流され続けてしまう。


私たちはもっと自分たちで「考えて」

次の世代の為に行動すべきではないか。


情報量を意図的に自分自身で制御する。

そうしないと考えることを忘れてしまう。

情報に飲み込まれてしまう。


政府は声高に言う。

デジタル化へ本腰入れて促進させると。


省庁の問題ではそうであっても、

デジタルは人工的な温かさばかりで

人間の体温的な温かさを奪う。


キャッシュレス決済が私たちから

お金を大事にする感覚を奪うかのように。


「めんどくさい」を私たちの手から

奪いすぎてしまう。

めんどくさいものの中には、

やってみたらそんなに

悪いものではないというものも

実は多く含まれているのに。


そのことを知らずに育ってしまう

子供たちが増えていくのではないか。


私はこれからは逆にアナログが

カギを握ると考えてきたが

それはいま確信に変わっている。


便利だと便利にドップリとハマって

文句タレながらも楽なほう、楽なほうへ。


受け身全開がより一層、

加速するのではと危惧してしまう。


人間的なデジタルの弊害については

薄々、私たちも感じている。


でも、わかっていても逆らえない、

いや「逆らわない」だろうか。


もし天災事変でデジタル環境が

途絶えてしまったとき。

想像してみたことはあるだろうか。

人間そのものの判断力、真価が問われる。


いざ、地震や津波、台風、大雨洪水。

あらがえない現実に直面したとき、

すべてが通用しなくなったとき。


肝心要の本体である人間そのものである

私たちは冷静に判断できるだろうか。


世間もいまは、デジタルデジタルと

生活、文化、仕事、家庭、趣味。

人間も便利さに酔い、夢中になっていく。


紙や実物からデジタルへの変化は

何か大事な感覚を失う気がしてならない。


「任せておけばやってくれる」

このスタンスを私たちに強く根付かせる。


満足を与えられ、流行を与えられ、

楽しみを提供してもらい、

指ひとつで評価するだけ。


あらゆる物質をデジタルに、数値化して

完成品を好み、最初や途中はどうでもいい。

完成品だけを、成果だけをもらいにくる。


こういったあらゆる受け身体質の根源が

デジタルには忍び込んでいる。

手ぐすねを引いて、したり顔で

狙っていることを

私たちは忘れてはならない。


政治家や官僚、私たちも含め、

よいと思っているやっていることが

裏目に出てしまい、

「賢懇逸的」してしまう。


デジタルを恍惚となって操る

得意げな人間を想像して憂いてしまう。


すべての感情や感覚をデジタル化へ

いざなうのかもしれない。


この乾坤一擲のデジタル化は

しくみをスマートにしても、

大事なものを失ってしまう

そんな気がしてならない。


☆☆☆☆☆

これは9月ごろ書いたもので

エッセイ公募に送った内容のものですね。

ちょっと削りましたけど

落選という結果。


やっぱり堅いですねぇ。

スッと入ってこないし、重い。

マジメに書きすぎてしまうと

読むほうもキツイんだよなぁ(笑)


言葉遊びはオモシロイんだけど

胸やけしそうな感じで。

全体にチカラが入ってるんすよ。


もう少しポップに書けるように

ふざけることでちょっと中和できて

ちょうどよくなるのかもなぁ。


読みづらいもんなぁ。

書いてる人はアタマの中で

わかって書いてるからアレだけど。

読む人はわかりませんもんね。


自分のアタマの中のオモシロイものが

伝わるようにするのは難しいですね。


ここもスキルとかに寄っていくと

面白くないし、感情とマジメとフザケ。

このバランスだろうと思う、予感として。


せっかくなんで落選作品載せてみました。

落ちたんで問題ないでしょう。

自分の記録ということで。

合掌。あざす。



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