【投稿その1 昔のエッセイを放出します オブさん文芸部エッセイ④ 居候とともに「サロン文芸部」(下)】
文芸部の(というより文芸部室の)楽しさというのは、もちろん部活動そのものの楽しさも当然あるわけですが、その当時の文芸部は、部員以外の生徒の〝たまり場〟になっていて、そのメンバーと世間話をしたり遊んだりするのが実に楽しいことなのでした。部室の二ブロック隣の部屋は生徒会室で、生徒会長をはじめとする生徒会幹部がしょっちゅう出入りしていました。それらのメンバーがまた新しいメンバーを連れてくる。そんなふうにしているうちに、人脈がどんどん広がっていきました。部員名簿とは別に、「居候名簿」も作っていたのですが、人数は圧倒的に居候のほうが多いのです。特に何をするというわけでもないのですが、とにかく変な連中が集まってわいわいやっている。わたしもそんな関係で、生徒会役員選挙での応援演説や立会演説会でのサクラ質問などをやったりしました。
そんな中、わたしの元同級生のKくんが「面白いやつがいる」といって連れてきたのが、ヤマガくんでした。ヤマガくんは山岳部員でしたが、春の大会が終わり引退し、無聊を託っていたところをKくんに引っ張られて文芸部室にやってきたというわけです。
このヤマガくんが、確かに実に面白い人物なのです。絵を描かせればプロの漫画家ハダシの腕前、話題が豊富で聞き手を飽きさせず、なんといってもすごかったのが映画の知識(それも「作り方」のほう)です。「将来は映画監督になる」などということも言っていたような気がします。どうしたわけか、文芸部室(「部」ではない)を気に入ってくれたヤマガくんは、それこそ毎日毎日通ってくるようになりました。出席率は部員よりも高く、ある時など、大風邪を引いて学校を欠席したにも関わらず、なぜか放課後、文芸部室には顔を出す、などということも実際ありました(あほかいな)。
そのヤマガくん、大阪の芸術大学に進学し、ユニークな仲間たちと出会い、その仲間たちと、のちに「エヴァンゲリオン」などで有名になる「ガイナックス」という会社を設立し、傑作映画「王立宇宙軍オネアミスの翼」などを製作し、やがて社長になったりもするのですが、それはまた後のお話。
それにしても、大した才能もなくつまらない人間である私が、今こうして曲がりなりにも社会で生きていけるのは、「高校時代」という貴重な一時期に、あの部室があったおかげです。単なる〝たまり場〟ではない、もっと大切な目に見えないものが、あそこにはあったのだと、今は思っているのです。
新潟東高校文芸部誌「簓」第5集(2007年8月27日発行)より
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