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【投稿その1 昔のエッセイを放出します  オブさん文芸部エッセイ③ 今でも言いにくい恥ずかしい過去(下)】

 さて、高校生活も三か月余りが過ぎ、わたしたち一年生が初めて参加する『筏』作りも始まりました。十月に催される文化祭の前には発行する必要があるので、締切は夏休み明けということになります。なにしろ自信満々なわたしは、「これまで、だれよりもたくさん本を読んできた。当然、文才だってだれにも負けるはずがない。ひとたび原稿用紙に向かい、鉛筆を走らせれば、たちまち傑作が生まれるのだ。わははは」てなことを考えて、悠然と構えていました(ちなみに、当時「たくさん読んだ」という本は、ドイルやクリスティ、クィーンなど、創元推理文庫の数々の洋モノの探偵小説、ハヤカワ文庫のSF小説、北杜夫の『どくとるマンボウ』シリーズ、などなど。純文学など全然読んでいませんでした。ちっとも文学的じゃないですね)。
 しかしまあ、締切も迫ってきたので、一つ小説でも書こうかと、おもむろに文具店に赴き、コクヨの四百字詰め原稿用紙を百枚も買い求め、机にそれを広げて、気分はもう小説家です。
 ところが。
 当初の予定では、鉛筆を原稿用紙に下ろしたとたん、すらすらと傑作が現れてくるはずだったのですが、これがちっとも進まない。いつまでたっても原稿用紙は白いまま。何か適当な言葉を最初に書けば、それに続くストーリーも生まれてくるだろうと思って試みても全然文章は続かない。それでも初めのうちは、そのうちなんとかなるだろう、とゆったり構えていたのですが、締切がどんどん迫ってくるというのに、やっぱり全然書けない状態が続いたのです。
 こんなはずではなかった、と焦り始めたのですが、締切の時がやって来たにもかかわらず、とうとうわたしは作品を仕上げることができなかったのでした。
 それでも、心優しい先輩方は、「まあ、次にがんばればいいよ」などと慰めてくれたのですが、ただ一人、二年生のN先輩だけは違いました。わたしをにらみつけると、怒気をはらんだ口調でこう言い放ったのです。
 「なんでえ、偉そうに人の作品の批判ばっか言いやがるから、どんな作品を書いてくるかと思えば、書けなかっただと? ふざけんなよ、おめえなんか、単なる口先野郎じゃねえかっ」
 もちろん、返す言葉などありません。何しろ、言われていることはそっくりそのまま事実なのですから。すっかりへこんだわたしはこのときようやく、自分が才能あふれる人間でも何でもない、単なるバカ野郎であることを、嫌というほど思い知らされちゃったのでした(とほほほ)。
 その後、多少は(わははは)反省したわたしは、その次の号から、とにかく小説をひねり出して、卒業までの三年間にに五本書き上げ発表しました。もちろん、どれもこれも初めに思っていたような傑作にはならず、それどころか、今ではあらためて見るのもイヤなほど低レベルな作品(とすらいえないような気もします)しか書けませんでした。それでも、「単なる口先野郎」のままでは終わりたくない、という気持ちで、必死で原稿用紙に向かったのです。

 はっきり言って、高校生のときの自分は、思いだしたくないほど恥ずかしい人間だった、とつくづく思います。「若い」ということは確かにすばらしいことですが、それは一面「バカい」ということでもあります。若くてバカだったころの自分を振り返ると、今でも赤面を禁じえません。そう思うと、「年をとる」ことも、「バカさ」が減っていくという意味では、そう悪くないものだ、と自分を慰める今日この頃のわたしなのです。

【新潟東高校文芸部誌「簓」第2集(2006年3月4日発行)顧問エッセイより】

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