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【投稿その1 昔のエッセイを放出します  オブさん文芸部エッセイ⑤ ミュージシャンにはなれなかったけれど(下)】

 高校生から大学生のころの私は、自分のことを、「才能に満ちあふれた、世の中で高く評価されるべき人間」である、と半ば本気で信じていたふしがあります。音楽でも、文章書きでも、自分は誰よりも優れた才能を持つ人間である、と考えていたようなのです。もちろん、それは今から思えば、全くちゃんちゃらおかしい、笑止千万な、片腹痛い思い込みだったわけで、当時のことを振り返ると私自身、本当に恥ずかしく思ってしまいます。ただ、若いころは誰でも多かれ少なかれ、、自分についてそんなずうずうしい思い込みを持っているのではないか、とも思います。

 はやりの歌やマンガやドラマなどで、「かなわない夢はない」とか「夢こそがすべてだ」とかいった言葉をよく耳にしたり目にしたりします。でも、本当に夢がかなう人というのは実はほんの一握りで、ほとんどの人の夢はたいがいの場合かないません。それはそうです。自分の持っている本当の適性や力量を見誤って、初めから不可能な夢を追いかけたところで、それが現実にならないのは当然のことだからです。だから多くの人は途中でそのことに気づいて、夢を捨てて、現実の中で生きていくようになります。すると今度は、夢を語る人に向かって「いつまでも子供みたいなこと言ってんじゃないよ。現実はそんなに甘かないんだ」などと口走る人も出てきます。

 それでも私は、若いみなさんには、夢を持ち続けてほしい、と思うのです。もちろんそれは、「自分」をきちんと見つめ、「自分には何ができるのか」ということを踏まえたものでなければならないのは当然ですが、「現実」の中で、「現実」を踏まえつつ、それでも持ち続けることのできる「夢」は、必ずあると私は思います。人間は、夢を持ち、夢を現実のものとすることで進歩してきました。現実は確かに厳しいのですが、その現実をよりよいものに変えてゆく力こそが、夢なのです。

 プロのミュージシャンにはなれませんでしたが、私はこれまでの人生に不満は(それほど)ありません。夢を見て、挫折して、新しい道を探し、たくさんの人々と関わっていきながら、私は今の人生を歩んでいます。その中で、新しい夢も生まれました。その夢をかなえるために、私はもう少しがんばってみたいと思っていますし、その夢があるからこそ、もう少しだけがんばれるような気もしています。

 夢を見て、挫折して、また新しい夢を追う。そんなことを何度も何度も繰り返し、積み重ねながら、人間は成長していくものなのでしょう。

【豊栄高校文芸同好会会誌「凪」2号(2003年3月7日発行)より】

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