見出し画像

【投稿その1 昔のエッセイを放出します  オブさん文芸部エッセイ⑤ ミュージシャンにはなれなかったけれど(上)】

M高校シリーズ。M高校生のころの自分を振り返りつつ、若い皆さんへ向けて書いた雑文です。

 若いころは、ミュージシャンになるのが夢でした。
 私が高校生だったのは、いわゆるフォークソング(後のニューミュージック)がたいへん流行していたときでした。アリス、オフコース、風、チューリップ、ふきのとう、荒井由実、中島みゆき、イルカ、井上陽水、さだまさし、松山千春、吉田拓郎、南こうせつ(きりがないのでこのへんでやめます)などといったミュージシャンたちが活躍していました。
 私もそんなミュージシャンたちの作る音楽にあこがれ、ギターを弾きながら歌うようになり、やがて自分でも曲を作るようになりました。当時所属していた文芸部の部室にギターを持ち込み、毎日弾いては歌っていました。そのころの私は真剣に、プロのシンガーソングライターになりたいと考えていたのです。

 高校生としての私は、はっきり言って劣等生でした。理科系の科目はまずほとんど全滅で、英語も全くダメでした。特に数学と物理と英語にはエライ目にあいました。授業を聞いていても、全くわからないのです。それも、ただわからないというレベルではなく、何がわからないのかわからない、という体たらくで、当然のごとく、テストはいつも赤点でした。まあ、温情ある先生方のおかげで、なんとか進級だけはできたのですが、学業という観点から見れば、私は全くどうしようもない生徒でした。

 でも、それで私が悩んでいたかといえば、全くそんなことはありませんでした。何しろ、勉強なんか関係ない、オレはミュージシャンになるんだから、などと思っているわけですから、勉強ができなくて悩むなどということはありません。毎日毎日ギターを弾きながら、オリジナルの曲を作っては周りの仲間に歌って聞かせていたものです。それらの曲は今振り返ってみると、それはそれはひどいもので、当時の私の仲間たちはさぞ辟易したことだろうと、申しわけなくいたたまれない思いにかられます。

 その後、私は、二年働いてから大学に入学し、音楽サークルに所属し、相も変わらず歌を作り、ギターの弾き語りをしていました。が、ついにどこのレコード会社からもお呼びはかからず、私は大学を卒業し、とある企業のサラリーマンになったのです。勤め人になってからは、あまりの忙しさに音楽どころではなく、歌といえばカラオケバーで酔っぱらって歌うもの、というありさまになっていました。その後、いろいろあって新潟に帰ってきた私は、高校の教員となり、今日に至ります。(つづく)

【豊栄高校文芸同好会会誌「凪」2号(2003年3月7日発行)より】


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?