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地域おこし協力隊になりました5

1週間が過ぎるのが早い、早過ぎる。
村に通ってからというものの、早起きになり、弁当を作り、無論早寝をする毎日。日々の憂いに任せて大好きなお酒を飲むのが日課となり、夜更かしが常となっていた生活に少しサヨナラである。仲間と酌み交わす酒はそりゃ、楽しい。今はこの有り余る熱量、そのすべてをプロジェクトに注ぎたい。

今読んでいる本。「ニコラ・テスラ 秘密の告白」。これがやっぱり面白くて一瞬で読み終わってしまったほど。ここに「補償の法則」なるものが出てくる。

テスラ「わたしは「補償の法則」を固く信じている。これは、真の報酬はそのときに費やす労働力や支払い代償に比例しているというものだ。」

テスラは脳がスパークするまで研究に没頭しては倒れ、死んだように眠った。そして眠りの中で煮詰まった難題の答えを得ていた。

テスラが考えていたのは、世界に利便性をもたらすもの。自然エネルギーを人知が超えることはないと知りつつも、テスラは自然エネルギーに挑戦し続けた。そしてそれらは常人には理解を超えるものばかりだった。

寝食を忘れるほどに、打ち込める何か。
久しぶりに思い出した。わたしは二十歳の時分、それこそ寝る間を惜しんでPCの組み立てとプログラミングに勤しんだ。それこそ明け方までプログラムを書き、煮詰まった頭のまま布団に入る毎日。それでも不思議と、翌朝には、到底できないと匙を投げた難問は眠りを通して必ずや突破できた。あの日々以上に充実した日々はないのではなかろうか。そしてあの日々の熱量がその後のわたしの人生を大きく変えた。だからテスラの言う「補償の法則」をすんなり受け入れることができる。企画書はラブレターであると書いたが、同じことだ。物事を動かすことができるのは、熱量だけなのだ。熱量があれば、どんな難題でも片付くのがこの宇宙の法則なのだ。

毎日ぐだぐだ過ごす日々が嫌で「わたしは何が本当にやりたいのか?」を昨年の夏、自分に問うた。先延ばしにしていた「夢」をどうして先延ばしにしたいのか? 「夢」だなんてカッコつけているだけで、ほんとうは欲しくないのではないか。だったら自分は何が欲しいのか? お金なのか、名誉なのか、肩書きなのか。いずれの答えもNOだった。でも人の温もりが欲しかった。心を通わせられること以上に、素敵なことはない。

自分と気の合う仲間は愛おしい。愛おしいに決まっている。だけれども、できることならその視野は海のように広くありたい。色々な人が交差し、滞留することなく、流れていく、そんな風通しの良い、気持ちのいい場所。

朝起きて、やることがあるって、これ以上の喜びはない。
ましてや、それが誰かを笑顔にできるのなら、それこそが自分が生まれた理由だと思う。

熱量だけが自分の未来を形取る。
熱量、それはすなわち愛である。

いよいよ10日後に迫る、長女の高校受験。
赤ちゃん返りしているのか、娘たち二人は毎夜、わたしの布団に潜り込んでくる。沖縄の離島で一枚の布団に三人くっついて眠ったあの日々と同じ。あれから10年経った。体なんて一丁前に何倍も大きくなった。朝になると、二人とも床に転がっている。笑 きっと、わたしの異変に磁石のように吸い付けられているんだと思う。二人の手をぎゅっと握って過ごしたあの時と同じように、振り落とされまいと、幼心にママの手をぎゅっと握ったあの時のように。写真は長女5歳、次女2歳の離島にて。

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