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2007年2月28日 長女出産

出産予定日前の最後の妊婦健診を済ませ家に戻ると、産婦人科医に与えられた子宮口への刺激でわたしはトイレで破水に気付いた。このまま出産、入院となるかも知れない。破水といっても量は少量であると伝えると電話で昼食をとってくるようにと言われ、わたしは主人と共に産婦人科の近くの鮨屋で軽く昼食をとってから病院へと向かった。この時点ではその後、壮絶な体験をすることになるだなんて思ってもみなかった。

診察を受けるとすぐに入院することになり、子宮口はまだ全開ではないけれど、明日には赤ちゃんに会えるということだった。わたしも主人も胸が高鳴っていた。何といっても初めての経験だ。不慣れなことも多く不安も大きかったが、数時間のうちに我が子に会えるという奇跡を想像して胸は高鳴った。すっかりと身支度を整えたが、陣痛はその気配すら全くなかった。助産師は明朝から陣痛促進剤を使いましょうと、今夜はゆっくり休むようにと部屋を出て行った。わたしは戸惑いながらも浅い眠りに就いた。

明朝、陣痛促進剤を点滴で入れ始めたが一向に陣痛は訪れない。ちょろちょろと微量の羊水が流れ続けている。痺れを切らした主治医は、夕方になるとわたしを陣痛のこないままに分娩台へと移した。わたしは不安で仕方なかった。人工的な陣痛は確かに訪れている。強烈な生理痛のような、嫌な痛みが下腹を襲う。でもこれでは絶対に産まれてくることはないだろうな、そんな諦観でいっぱいだった。やがてどこから現れたのか、毛布を抱えた助産師の集団が分娩室へとやってきた。この時、わたしは背筋がゾクゾクとした。嫌な予感に冷や汗が出た。「これからお腹をしごきましょうね。」にこやかな助産師の言葉に声を失った。この巨漢の助産師が臨月でも40kgしかないわたしの身体に馬乗りになるというのだろうか? 両腕を数人の助産師に抑えつけられ、馬乗りになった助産師が毛布を使い腹をしごき始めた。あはは。笑いがこみ上げてきた。わたしはカラカラに乾いた大きな声を上げて笑いに笑った。

主治医が麻酔を手に持っていた。ニッコリ笑うと彼女は会陰に麻酔を注射した。ハサミでパチンパチンと会陰を切る音が聞えた。主治医のゴム手袋は血で真っ赤に染まっていた。痛いというよりわたしはただただ怖ろしかった。いま行われていることが間違っていることのように思えてならなかった。歯車がちっとも噛み合っていないのだ。やがて風船のようなものを子宮へ突っ込んでいる。それもうまく入らないようで主治医のイライラはピークだった。次に彼女は吸引をするといい、シリコンカップを両手に持った。いよいよ出血量が1800ccを超えるとわたしは気を失った。遠くで院長の声が聞えた。主治医と会話をしている。「出血量は?」「1800を超えています。」「破水してからどのくらい経つの?」「28時間です。」「バカ野郎」怒声が分娩室に響き渡っていた。主人を呼ぶ声が聞える。サインを促していた。そっか、もうダメだよな。帝王切開か。助産師たちがわたしのパジャマを脱がせているのが分かる。やがて担架に乗せられた。ひんやりとした手術台の上にわたしはいるようだった。

手術室にざわざわと人の気配が入り込んできた。背筋がゾッとした。脇から冷たい汗が一筋、流れた。わたしは、人に囲まれていた。巻き立つ土埃に思わず咳こんだ。土埃? あたりを見回して騒然とした。恐怖のあまりに全身が石のように硬直した。

甲冑をつけた武士がわたしを取り囲んでいた。わたしは地面に押し付けられていた。遠くから吹く風を感じた。血の匂い。ここは日本。戦国時代。秋空だろうか。素晴らしい水色の空が武士の顔の後ろにちらちらと見え隠れした。中央の男が刀を抜いた。その瞬間、時が止まった。男たちの荒い息遣い。突然わたしの耳に音が戻ってきた。自分の悲痛な息遣いも聞こえる。生々しい光景だった。日本刀が中空を舞った。この哀れな男の人生が一瞬のうちに脳裏に流れ込んでくる。男は日本刀を振りかざし、腹をザックリと切り裂いた。返り血を浴びた武将の瞳を覗きこんだわたしはそこに驚愕の光景を見た。紛れもない。日本刀を振りかざし腹を切り裂いたこの武将こそが「わたし」だったのだ。

「因果応報。」

誰の声だろうか、脳内にこの一言だけが響き渡った。
やがて産声が上がった。菫が腹から産まれたのだ。

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