町山智浩『映画の見方がわかる本』の問題: 『タクシードライバー』編
町山智浩『〈映画の見方〉がわかる本』(洋泉社 2002年)、第7章「『タクシードライバー』孤独のメッセージ」について。
最初にことわっておくと、『〈映画の見方〉がわかる本』には一部を除いて参考文献の記載や引用元の注記がなく、事実や発言や引用の大半は典拠が示されていない。つまり記述の内容の真正性や根拠に疑問をもつ人は読者として想定されていないし、そもそも信頼性はそれほど期待されない類の本であるとは思う。したがって下記のような内容が何かの役に立つとは思えないが、少なくともこの本を読む際の参考にはなると思うので記しておく。
0. 本記事の要約
この本の第7章には『タクシードライバー』(マーティン・スコセッシ監督、1976年)の脚本が書かれる経緯について、おおまかに以下のようなストーリーが記述されている:
ポール・シュレーダーは刊行されたアーサー・ブレマーの日記を読んだ
上記ブレマーの日記には壮絶な孤独が吐露されていた
シュレーダーはその孤独に自らの境遇を重ね、『タクシードライバー』の脚本を執筆した
これに対し、この記事が述べるのは以下の指摘である:
『タクシードライバー』の脚本執筆時点では、シュレーダーは刊行されたブレマーの日記を読んでいなかったのではないか
仮にシュレーダーが読んでいたとしても、町山の論旨は成り立たない
なぜなら町山がブレマーの孤独を示すものとして例示しシュレーダーが読んでいたことを示唆する内容は、刊行されたブレマーの日記には記載されていなかったから
なおこの記事は、シュレーダーがブレマーの境遇や心情に自らを重ねて脚本を執筆した、という話の大枠については問題にしない。以下に記すのは、少なくともその過程について町山が述べている内容には問題があるのでは、という指摘。
1. ポール・シュレーダーは『暗殺者の日記』を読んでいたか
『タクシードライバー』の脚本を書いたポール・シュレーダーがジョージ・ウォレス銃撃犯アーサー・ブレマーの日記や行動にヒントを得た、ということはよく語られる逸話である。町山はこう書いている。
通説として語られがちな内容ではあるが、問題がある。『暗殺者の日記』の刊行は1973年だからだ(なお正確な書名は An Assassin's Diary)。書籍に先立って日記の抜粋を掲載した "An assassin’s diary" と題する記事が雑誌 Harper's Magazine に出たが、それも1973年1月だった。シュレーダーが脚本執筆に着手したのが1972年であれば、どちらについても読んでいたことはありえない。
シュレーダー本人も異なる証言をしている。やや長くなるが、映画公開と同じ1976年のインタビューを原文とあわせて引用する。
このインタビューを参照したと思われる文献をいくつか参照した限りでは、シュレーダーの発言の信用性に疑問を付すものは発見できなかった。町山は『〈映画の見方〉がわかる本』の内容は「シナリオの草稿や企画書、関係者のインタビュー、当時の雑誌記事などに当たって」裏付けを取ったと述べているので(p. 3)、多くの文献で参照されている上記のインタビューも確認しているはずだ。
ではなぜ町山はシュレーダーが刊行されたブレマーの日記を読んだ、と書いているのか。町山が上記インタビューや上記インタビューの内容に沿った文献を確認した上でそう書いているとすれば、考えられるのは上記のシュレーダーの証言が事実と異なっている可能性があり、町山がそちらの可能性を妥当と考えていることくらいだろう。
シュレーダーが事実と異なる証言をする動機としては、たとえばブレマーの影響をより少なく見せるため、あるいは本人も言うようにブレマーとの訴訟を避けるために、先回りする形で類似箇所は偶然だと主張していることが考えられる。ただし、類似点があるにもかかわらずブレマーが訴訟しなかったことはシュレーダーの証言の正しさの裏付けともいえるし、書籍刊行後に脚本を書いたのであれば脚本の執筆時期が1972年ではなく1973年以降になるので別の齟齬が生じる(シュレーダーが入院していたのは1972年)。
なおブレマーの日記は本や雑誌に掲載される前に法廷(1972年7・8月)で読み上げられているので、シュレーダーが報道などでその内容に触れていたことは考えられる。仮にそうであれば、刊行された『暗殺者の日記』は読んでいないにもかかわらず、似通った点がある事情は説明できるかもしれない。後に紹介するが、批評家などによる脚本成立経緯の説明は基本的にこの線に合致している。
いずれにせよ、「刊行された日記は読んでいなかった」というシュレーダーの証言を鵜呑みにする理由はないものの、あえてそれを否定する強い根拠もみつからない。以下では便宜上、町山の主張の通り「シュレーダーはブレマーの日記を読んで脚本を書いた」ということにして話をすすめ、それでも町山の文章にはおかしなところがあることを指摘する。
2. シュレーダーが『暗殺者の日記』を読んでいたとしても町山の記述には問題がある
上記の部分につづけて町山はいくつか『暗殺者の日記』から引用を記載している。(町山はこれらを明確に「引用」と述べているわけではないが、文章の前後関係と、この章における町山の論旨からいえばこれらを『暗殺者の日記』からの引用以外のものとして読むことは無理)
便宜上、引用文の末尾に【A】【B】【C】を加筆した。
町山はこれにつづけてブレマーの事件から逮捕・裁判の経緯について三行記述した後、次節の冒頭にこう書いている。
つまりおおまかにいえば町山の論旨は、ブレマーが日記に書いていた深い孤独の心情にシュレーダーが共感した結果『タクシードライバー』の脚本が生まれたのだ、という話である。
2-1. 引用のように記述されている文章は『暗殺者の日記』には含まれていない
【A】【B】【C】について検証する。
最大の問題は、これらの記述は1973年に出版された『暗殺者の日記』には存在しないことだ。というのは、出版された『暗殺者の日記』に収録されているブレマーの日記は1972年4月4日から5月13日までの期間のものだが、【A】【B】はいずれも1972年3月の日記の内容なのである(【C】については後述)。
ブレマーの日記は1972年3月2日から書き始められていたが、実は逮捕直後に発見されたのはその後半部分のみだった。ブレマーの日記の発見、『暗殺者の日記』の出版、日記の前半部分の発見の経緯は以下のように整理できる:
1972年5月15日:ブレマー逮捕、その後車の中と自宅から日記が発見される(発見されたのは1972年4月4日から5月13日までの分)
1972年7・8月:裁判の過程で日記の一部が読み上げられ、報道される
1973年1月:Harper's Magazine に日記の一部が掲載される
1973年:1972年4月4日から5月13日までの日記が『暗殺者の日記』として出版される
1976年:『タクシードライバー』公開
1980年8月26日:ブレマーの1972年3月2日から1972年4月3日までの日記がウィスコンシン州ミルウォーキーの陸橋の工事現場で発見される
つまり町山が引用している【A】【B】の文章は、1980年8月26日まで世の中に存在すら知られていない。したがって、仮にシュレーダーが『タクシードライバー』の脚本を書く前に『暗殺者の日記』を読んでいたとても、【A】【B】に該当する部分を読むことは不可能である。もちろん1972年時点では裁判で読み上げられることもなければ、報道に乗ることもありえない。
【A】【B】それぞれ原文を引用しておく。なお現在もブレマーの日記の前半部分は未刊行で、原本はアラバマ大学バーミンガム校のレイノルズ図書館に所蔵されている。以下に引用する部分は孫引きであることをことわっておく。
町山の引用文は大幅に意訳(?)されているが、翻訳の問題はここでは触れない。わからないのは、なぜ町山は公刊すらされていない日記の文章をあたかも『暗殺者の日記』から引いたように記述しているのか、ということだ。
『タクシードライバー』の主題のひとつがある種の孤独であり、ブレマーの言動もヒントになっていることはシュレーダー自身がいろいろなところで語り、メディアが伝えてきたことと概ね齟齬はなく、その点では町山は通説をなぞっているに過ぎない。しかしそれを述べるために、当事者が読めるはずのないものをあたかも読んでいたかのごとく引用し、文献の時系列などを無視して都合よく切り貼りするのはいかがなものだろうか。
当時の資料にあたって制作過程を知ることが重要なのだというのではあれば、むしろ確認するべきはシュレーダーがブレマーについて読んだはずの当時の新聞や雑誌だろう。そうすれば実際にシュレーダーが『タクシードライバー』のヒントにした事柄を確認・推測でき、『タクシードライバー』の起源やシュレーダーの仕事についてよほど有益な考察ができる。
なお【C】については日記の中には該当箇所を発見できなかったので、とりあえず保留にしておく。ちなみに、『暗殺者の日記』に付された Harding Lemay という人による序文の中に次のような文言がある。
つまりジョン・ブースとかオズワルドを引き合いに出す、というのは珍しくない発想ではあったようだ。
2-2. 町山の記述は『暗殺者の日記』の内容をかなり誇張している
次に、以下について検討する。
この部分については以下の点が指摘できる:
『暗殺者の日記』には「三ヶ月ぶりに会話したのは風俗嬢だった」という趣旨の記述はあるが、刊行されたのは約一ヶ月半の範囲で、「暗殺までの三ヶ月間」を詳述するものではない(1980年に発見された未刊部分を加えれば約二ヶ月半にはなる)
事件の直前の時期ブレマーは自動車で生活しているが、カナダやNYに行った際にはホテルに宿泊しており、金がなくなったときはミルウォーキーのアパートに帰った旨が書かれている
前記の通り、銃撃事件を起こす前にはNYで風俗嬢と会話している(人と話したうちに入らない、ということなら別ではあるが)
つまり「暗殺までの三ヶ月間、ブレマーは住む家もなく自動車のなかで暮らし、誰とも会話をしていなかった」という内容は少なくとも『暗殺者の日記』の内容からすれば誇張があり、事実とはいい難い部分を含む。
3. 本人の証言などにもとづく脚本の成立過程
一例を挙げると、Amy Taubin による『タクシードライバー』についてのモノグラフでは以下のように記述されている。
ここで Taubin が根拠としているのは、本記事でも引用した Film Comment 誌のインタビュー記事にくわえて、1995年から1998年にかけてTaubin 自身が行ったシュレーダーへの聞き取り、およびレーザーディスク版に収録されたスコセッシとシュレーダーのコメンタリーである。
なお Taubin は、ある種の精神病質者である(それゆえに「信頼できない語り手」ともいえる)トラヴィスが一人称のモノローグで内面を語るという『タクシードライバー』のフォーマットと、シュレーダーが報道で触れたブレマーの日記との関係について触れているが、これは町山があれこれ書いているシュレーダーのコンプレックスの話よりはよほど重要な指摘に思える。また、町山のようにシュレーダーの「実存的」問題と映画の内容を関連づけるのであれば、本人が「脚本を書く前に読んだ」と発言しているサルトルの『嘔吐』に一言くらい触れてもいいのではないかと思わなくもない。
4. おまけ
『〈映画の見方〉がわかる本』にはもう一カ所、キューブリックの『時計じかけのオレンジ』に関連してブレマーの『暗殺者の日記』を参照しているところがある。
「この日記は出版され〜」以降が誤りである可能性の指摘は繰り返さないが、この部分には他にも問題がある。端的にいえば『暗殺者の日記』には「『時計じかけ〜』を観て人が殺したくなった」と書かれていたのか?という点である。刊行された『暗殺者の日記』の5月4日の部分に以下の記述がある。
確認した限り『暗殺者の日記』で『時計じかけのオレンジ』が言及されるのはここしかないが、少なくともここには「映画を観て人を殺したくなった」とは書かれていない。
そもそもブレマーは、1972年3月に日記を書き始めた時点からずっとニクソンかウォレスの暗殺を企み、4月にはニクソンを殺すためにカナダまで行った。つまりブレマーは『時計じかけのオレンジ』を鑑賞する二カ月前にはすでに「人を殺す」ことを決めていた。5月4日の日記が述べているのは、標的をウォレスに変更するということである。ニクソンではなくウォレスを殺すことにした理由は、単に、ニクソンの警備が厳しくカナダでの暗殺に失敗したためだった。
この部分から読み取れることは、暗殺について考えていたブレマーが、おそらく映画の主人公アレックスの暴力性に憧れや共感を覚えた結果として自らを重ねて考えた、あるいはさらに決意を新たにしたということであり、町山のようにブレマーが単純に「映画を観て人を殺したくなった」と述べている、と述べることは妥当性を欠くように思える。
ちなみに、ブレマーが『時計じかけのオレンジ』を観ていたことを引き合いに出して、その後の銃撃事件から『タクシードライバー』やヒンクリーのレーガン銃撃までについて、一連のフィクションと現実が綯い交ぜになった暴力性の連鎖として語ることはこのあたりの映画解説でよく目にする話ではある。しかし仮に事実を無視あるいは誇張して映画の影響を過大に述べているとすれば、映画評論家としては牽強付会の謗りを免れないのではないか。
5. まとめ
町山による『タクシードライバー』の脚本成立過程についての記述には、時系列の破綻、事実ではないと思われる内容、文献資料との齟齬、臆測を伺わせる恣意的な解釈などが散見される
町山は『〈映画の見方〉がわかる本』の「はじめに」で、「作者の意図」を尊重することを主張し、「制作過程を辿らないと、勝手な思い込みや誤読に陥る危険がある」(pp. 2-3)と述べているが、町山自身の記述する「制作過程」の信頼性には疑問がある
参考文献
※ 文中に採り上げていないものも含む
Bremer, Arthur H. An Assassin's Diary. Harper's Magazine Press, 1973.
Carter, Dan. The politics of rage: George Wallace, the origins of the new conservatism, and the transformation of American politics. Simon & Schuster, 1995.
Clarke, James W. "Emotional Deprivation and Political Deviance: Some Observations on Governor Wallace’s Would-Be Assassin, Arthur H. Bremer." Political Psychology, vol. 3, no. 1/2, 1981, pp. 84–115. JSTOR, https://doi.org/10.2307/3791286. Accessed 27 Sept. 2023.
Montgomery, David. "Arthur Bremer shot Gov. George Wallace to be famous. A search for who he is today." The Washington Post, 2015-12-03. https://www.washingtonpost.com/lifestyle/magazine/he-shot-george-wallace-to-be-famous-now-he-lives-in-silence/2015/12/01/700b1d26-78d7-11e5-bc80-9091021aeb69_story.html
Sangster, Jim. Scorsese. Virgin Pub, 2002.
Taubin, Amy. Taxi driver. BFI Pub., 2000.
Thompson, Richard. "Interview: Paul Schrader." Film Comment, the March-April 1976 issue. https://www.filmcomment.com/article/paul-schrader-richard-thompson-interview/
上記 The Washington Post 記事で引かれているシュレーダーの発言はこちら(発言自体のソースは明記なし)
トップ画像:
https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Dodge_Polara_and_other_Yellow_Cabs_in_1973_(NYC).jpg
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