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WE Run | Write, Eat, Run

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私たちが(そして誰かが)走り続けるためのリレーマガジン
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2020年6月の記事一覧

東京で海へと走った日記、5月某日、晴。

3月からずっと、マスクを付けながら走っている。 ここ最近は、人を避ける回数はかなり増えたし、肌が弱いので汗で膝の裏がかゆくなるしで、日に日に走るのが億劫になってくる。マスクにハッカ油を垂らした時は、匂いが合わなすぎて、でも家に帰るのも面倒で、泣いた。この時に使った、HAKKAと書かれた小型のスプレー×2(5月末に買って机の上と玄関に置いた)は、まだ1回しかプッシュしていない。 どうも、これから夏日らしい。コットンのTシャツがわずかに重くなる程度の汗で、青空の東京

雨上がり?同じく走り続けるよ~。

2020年、前半戦の備忘録 6月30日。夏越の大祓。 1年の前半を無事に過ごせたことに感謝するとともに、半年間の罪や穢れをお祓いし、残り半年も清らかな気持ちで過ごせるよう願う神事とのこと。 走るようになって、いつものコース(近所の川沿い)にある神社にもちょいちょい寄り道、お参りするようになって6月30日に夏越の大祓という神事があることを知った。今年もあっという間に半年過ぎちゃったよ、と話しつつ、特に何も変わらず年末を迎え...を毎年繰り返している気もするけど。今年はいろい

八戸で『横丁』を走る “ 旅先で『日常』を走る 〜episode10〜 青森編 ”

前回のあらすじ大槌で『復興』を走る ” 震災があったという事実は残し、そこで起こったことは語り継いでいくべきである。しかし、過去の悲劇に囚われ続けている限りは、心は前に進めないのではないか?私が出会った、大槌の被災者たちを支援している方々は、例外なく『残された人々の心を前に進めるため』に尽力されていた。復元納棺士しかり、カウンセラーしかり、塾の先生や写真家まで、大槌に残された人々に希望の灯火をともすために。” 八戸で『横丁』を走るはじめに。 本稿のタイトルに『青森編』とあ

ぬかるんだ不条理を走る

「公的な手続き」が嫌いだ。 転出届の提出や失業保険の申請といった公的な手続きには細かいルールが多く、オギャーと生まれてから31年間、世の中のルールをなんとなく雰囲気で理解してきた私にとっては修羅の道なのである。書類の1箇所に不備があっただけで手続きが成り立たなかったり、必要なものを揃えるために役所と自宅を行ったり来たりさせられる。ちゃんと確認しない自分が悪いのは重々承知だが、あれはほとんどトラップと言っていいだろう。公的な手続きとは、全体の7割以上が「ふりだしに戻る」のコマで

大槌で『復興』を走る “ 旅先で『日常』を走る 〜episode9〜 岩手編 ”

前回のあらすじ いわきで『蜃気楼』を走る " 被災と復興の繰り返し。なんともやりきれないが、自然と共生するには、その恵みを享受するとともにリスクも引き受けなければならない、ということなのだろう。だけどこんなに胸が痛むのは、なんの花に例えられましょう? " 大槌で『復興』を走る もう十年以上前になるが、私は2009年の春、ニコ生の放送枠がプレミアム会員に開放されて間もない頃からしばらく、いわゆる生主をやっていたことがある。放送内容はというと、ニコニコ動画に上がっている昭和

いわきで『蜃気楼』を走る “ 旅先で『日常』を走る 〜episode8〜 福島編 ”

前回のあらすじ内原で『一駅』を走る " 走ることで一駅の長さを体感し、距離感を更新する。これも走るという行為がもたらす豊かさのひとつである。そして旅ランにPコートを着ていくことはご法度である。" いわきで『蜃気楼』を走る前回の茨城編でも書いたが、私は2012年に3ヶ月間、長期出張で水戸市に滞在していた。 滞在3ヶ月目に入り茨城暮らしにも慣れてきた頃、休憩時間にtwitterのタイムラインを眺めていると、友人の娘さん(4歳)が闘病しているというツイートが目に入った。 彼は