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当たり前にあるものって当たり前じゃないね

あけましておめでとうございます。
大丈夫。年明け初めての記事のタイトルなんか重たいなって私も思ってる。
思ってるけど、年が明けてから色んなことがありすぎて考えざるを得なくなっちゃったよ。

何もかも永遠って本当にないなって思っちゃうね。
どう過ごしてても、人知れず変化はしていってしまう。老いとかね。どうしようもない。
生命全てに寿命ってのがある限り、永遠はない。

だから、今を目一杯生きるしかないんだよな。
できる限りのことをやるしかないんだよなあ。
そして、今を楽しむこと、今を大事に過ごさなきゃならないことも重要なのだ。

当たり前だけど、この当たり前って忘れがち。
なんかそういうことを無理矢理にでも実感させられる日々で、滅入ったりするけど、それでも生きてかなきゃいけないってのが人生ですよね〜〜〜。
無理しない程度に前向いて生きていこう。
頑張り過ぎも良くないからね。
私は特に自滅しがちだから、セーブしないといけない(笑)

大変で苦しいこともいっぱいあるけど、みんなが穏やかに過ごせることを祈っています。
被災された方々も早くいつも通りの生活に戻れますように。願っています。
そんな気持ちも込めて、募金もした。(万年貧乏人なので少しだけで申し訳ないけど)
私が今できることはこれしかないから、やれるだけのことはしたかった。自己満足でしかないけど。また何か支援できることがあったら、支援したいです。
いつか能登半島に旅行しに行くんだ。


2024年の私は、「無理をしない程度に(最重要項目)やりたいことをいっぱいやる」、そんな年にしていこうと思っているよ。

実は前厄だけどそんなことは関係ないってぐらい光り輝いて、私自身が眩しくて見えなくなるぐらい輝きたいね(どういうこと?)。

初詣で、大吉(しかもいいことしか書いてない)を引いたのでね。
輝けるポテンシャルはあると思うようんうん。
しかも、厄落としのお寺で引いてるからね。強すぎるでしょ。あまりにも強い背中押し。(例の階段、1段1段に1円を置いて登るお寺です。あれやって初めて気づいたけど、やってると年齢バレるね……ちょっと恥ずかしかったぞ……)

そんなこんなで、今年もよろしくお願いします。



追記
写真は十日戎の西宮神社へ向かう道すがらのもの。実は十日戎にも行ってきた。福男のところです。人にもみくちゃにされながら行ってきたよ。
親の付き添いで行ってきてて、こっそり、親二人歩いてたり買い物してたりしてる後ろ姿の写真を撮ったりなどした。
普段はそんなことしないんだけど、ここ数日色んなことを考えてしまったもんだから、(撮っておこうかな…)って。
いつかこの写真を見て懐かしむ日が来るんだろうな。
あ、そうそう。
今、屋根の張り替え予定かなんかで、記念として銅板に名前と願い事を書けるんですよ。(確か1/11まで)
簡単に調べた情報なんですけど、屋根の銅板って大体60年に一回張り替えるそう。
西宮神社は今年その周期が巡ってきたわけですね。
で、それに便乗して、うちも家族全員の名前(大家族なので、銅板が名前でいっぱいいっぱいになってた)と「家内安全」を書いてきました。
まあ、代表して親が書いたんですけども。
それでね、思ったんですよ。
この銅板これから60年ここにいるんだな。親が書いた手書きの字がずっと残るんだなって。(恐らく書いてあるのを裏側にして並べるんだろうとは思うけど)
次、張り替えの頃には親はもちろんいないし、私自身はお婆さんになってる(私のことだからなんだかんだ生きてるはず)けど、それまでずっとあそこにいてくれるって、それってすごい。
親の形跡があそこにずっとあるっていう事実は、きっといつか未来の私を支えてくれるんだと思う。
見えなくてもそこにあるって思えるだけで、私にとってはとても大きい。
足繁く通いたいね。
お婆さんになっても。
なんなら次の張り替えの時も、名前書きたい(笑)

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