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もうひとつの箱根

創立100年を誇る湘南高校には「歴史館」という建物がある。
いつか行ってみたいと思っていたその場所のドアを、私は思い切って開けてみた。
「こんにちは、どうぞ」
笑顔の係員に入口で促されるまま名前を書き、スリッパに履き替えて中に入った。
右手の壁には錚々たる著名人の名前が大樹に茂る葉のように掲示されており、卒業生が幅広い分野で活躍していることが一目でわかる。
「奥にはノーベル賞のメダルや優勝旗なども展示しておりますので、ごゆっくり御覧ください。ご質問があれば、何なりとお尋ねください」
柔和な物腰のこの方も、きっと湘南高校の卒業生なのだろう。母校を誇らしく思う気持ちが表情からも感じられた。
「ありがとうございます」
私は一礼して、奥の展示コーナーへ向かった。

根岸英一氏が2010年に受賞したノーベル化学賞のメダルは、レプリカでも十分輝いて見えた。その奥には学校創立当時の古い写真や戦時中の新聞記事、学校行事の歴史など、湘南高校が歩んできた100年のアーカイブを見るようであった。私の母校ではないのに見ているだけで勉強になり、厳かで誇らしい気持ちになった。
「ん?」
その絵は歴史館の一番奥に飾られていた。
薄緑のグラデーションで描かれた山を背景に、右側には広葉樹が茂っている。左手前にグレーの濃淡で描かれた石塔が印象的なその絵には「箱根権現上にて 駒ヶ岳 1936」の札がついていた。
歴史館に来たのは今日が初めてなのに、その絵を見たのは初めてではない気がした。誰の作品なのか振り返ると、すぐ側に「湘南高校100周年記念特別企画 戦火に散った8回生 松本 節(まつもと みさお)展」の立て看板があった。

息子より91歳年長という事は、ご存命なら107歳。略歴によると、松本氏は当時の湘南中学在学中に美術部員として帝展などに入選され、卒業後は岡山医大に進学。海軍軍医として従軍し、1944年7月に戦死されたとのこと。
美術部顧問として松本氏と長く親交のあった塚本茂画伯(故人)が、1978年に開催した松本氏の遺作展に寄せた紹介文も添えられていた。才能を見出し、作品に感嘆し、生きていれば自分を超える画家になっていただろうと、松本氏に向けた温かくも悔恨の思いがにじむ文章だった。会場に並ぶ四季折々の自然の風景を描いた作品を見ながら、戦争が平和な日常を奪う罪であることを改めて考えさせられた。
そんな松本氏が描いた絵とよく似た作品を、私はどこで目にしたのか、先程の箱根駒ヶ岳の絵をもう一度見て思い出した。それは亡き祖母の部屋だった。

私と60歳違いの父方の祖母は、初孫の私をとても可愛がってくれた。祖母の住む高松に一家で帰省すると、祖母の部屋で裁縫を教えてもらったり、作ってくれた和菓子を食べたりした。夜は祖母にくっついて眠り、ほぼずっと祖母の部屋で過ごしていた。部屋にあった三面鏡台の横にA4サイズの絵が額縁に入れて掛けられていたのだが、その絵が箱根駒ヶ岳の絵にとても良く似ているのだ。
山の手前になぜ石塔が描かれているのか、子ども心に不思議に思い、祖母に訊いたことがあった。
「おばあちゃん、この絵はおばあちゃんが描いたん?」
「ううん。結婚前、箱根に行ったときに絵を描いてる人がいて、もろた」
「その人、画家なん?」
「学生さんやったけど、上手げやなあって見とったらくれたんや」
祖母は絵を眺めながら優しい目でこたえてくれた。
「あれは石の家?」
「石塔いうて、仏さん供養するために建ててるんや」
「山ん中に石運ぶん、重いのに、すごいなあ」
「ほんまやなあ」
幼い私には、どうして重い石をわざわざ山中に運ぶのか、その意義が理解できなかった。他愛もない会話だったが、その不思議さと絵の柔らかな色彩は確かに私の心の中に残っていた。だから40年以上前のことも思い出せたのだろう。

私が小学2年生のときに、祖母は病で亡くなった。大好きだった祖母の部屋は、茶道師範の伯母の意向で茶室に改築された。私も部活で忙しくなり、家族で高松へ帰省することもなくなった。あの絵のことも、今の今まですっかり忘れていた。
そういえば、あの絵はどうなったのだろうか。松本氏の作品だったのか似て非なるものなのか。忘れていたものを思い出したきっかけで、その絵のことが無性に気になってきた。伯母なら知っているかもしれない、帰宅した私は直ぐに高松へ電話をかけた。
「もしもし伯母ちゃん、大変ご無沙汰しています。智子です」
「うーわ、久しぶりやね。そっちも暑い?」
82歳の伯母は、高松の家で犬と暮らしていた。時々ヘルパーさんが来てくれるようだが、特に困りごともなくのんびりやっているとの事。昔から几帳面で、しっかりしている伯母だった。
「あのね、おばあちゃんの部屋にあった絵やねんけど、憶えてる?」
「どんな絵かいの?」
「鏡台の横にかかってて。そんな大きくないねん、山と石塔が描かれたやつ」
「おばあちゃんのもんは大体処分したんやけど。絵やったら…、あ!」
「思い出した?」
「廊下に掛けてあるアレかいの、ちょっと待っててや」
よっこいしょ、という声と受話器を置く音がした。10秒ほどで戻ってきた伯母は
「これやの。改築んときに、捨てるのも忍びないけん、廊下に掛けといたんや。箱根で鎌倉の学生さんにもろた、言うてたな」
「そう、それ!」
「智子、欲しかったら送ろか。今ちょうどヘルパーさんおるし」
「ええのん? 伯母ちゃんさみしくならへん?」
「おばあちゃんも、智子が持ってた方が喜ぶやろ」
「ありがとう、ほなお願いします」

それから2日後の朝、段ボールで丁寧に梱包された絵が額縁ごと家に届いた。 
注意深く梱包を解き、包まれている薄紙をはがすと、歴史館で見たものと全く同じではないが、似たような構図と色遣いの絵が現れた。緑の山にベージュの山肌、直感で同じ作者の絵だと思った。
しばらくその絵を眺めていると、同時に祖母の部屋の様子が脳裏に浮かび上がってきた。8畳くらいの部屋、窓から見える山、蚊取り線香の煙。奥の三面鏡台に置かれたハンドクリームと、隣に掛かっていたこの絵。優しかった祖母の顔が見え、声まで聞こえるような気がした。
「おばあちゃん、久しぶりやね。私も50歳やで」
話しかけるようにつぶやきながら額縁を裏返し、そっと金具を外してみた。気のせいか、祖母の部屋のにおいがした。まるでタイムカプセルみたいだと思いながら額裏を開けると、少し黄ばんだ画用紙がガラスに載っていた。表に返すと、絵の下側に「MM 1936 箱根」と鉛筆書きされた文字があった。

やっぱりそうだった。
25歳の祖母が箱根で邂逅した若者は、絵を描く二十歳過ぎの松本氏だったに違いないと、私は確信した。その信憑性を確認する術は、今となってはもはや存在しないだろう。
だが、今はこの世にいない二人が一瞬でもすれ違い、交わした時に残した絵の記憶を私が見つけたことは事実なのだ。
物事が時間的に変遷することを歴史というのならば、私が見た絵にも関わった人物の歴史が息づいていたといっていい。その糸口となった歴史館には、過去のものだけではなく、未来につながるものも展示されているのかもしれない。
~終わり~


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