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かける人 創刊直前号前書き「燃え殻」(仮題)
※雑誌掲載時に内容を加筆修正する可能性がございます。予めご了承ください。
チェーホフの「ワーニャ伯父さん」をご存じでしょうか?
新潮社文庫の裏表紙のあらすじを読むと、こんなことが書いてあります。
失意と絶望に陥りながら、自殺もならず、悲劇は死ぬことではなく、生きることにあるという作者独自のテーマを示す
ワーニャ伯父さんが夢中になってお金や時間をつぎ込んだセレブリャコーフという人物がいます。彼は退職した大学教授なんですが、第三幕である提案をした時にワーニャ伯父さんは、自分が今までコツコツと彼に捧げてきたものは何だったんだ、と激怒することになります。こいつ、別に自分に感謝とかしてないし、何なら、別に大したことないやつなんじゃないか、と。
作中でワーニャ伯父さん自身も実は才能のある人だった、というセリフが彼の口から語られます。そして、しかし、それは彼の才能は世に出ることなく田舎で静かに終わっていきそうです。セレブリャコーフに幻想をいだいたばかりに。
そんなワーニャ伯父さんは、第4幕でソニャーという娘との会話でこれからを生きるヒントをもらいます。
それはこの苦しい現在も未来からみれば( しかも、この未来は作中のセリフから考えると死んでいる )、笑うことができるものであると。
僕はこの作品を最近、読み返しました。
どこか、今の自分が抱えている状況に似ているな、と思ったからです。
5年ほど続けてきたブログと3年ほど続けてきたnoteの記事を今年の7月にほとんど消しました。
推しているグループの公式サイトで著作権に関する発表があり、念の為にすべて消しておこうと思ったからです。
自分が時間やお金をかけてきたものと、こんな感じで関係が終わることもあるのか、と思いました。
それからは、自分になるべく負荷をかけて創作活動に励みました。小説を書いて応募したり、電子書籍を書いて販売したり。止まったら、何かとてつもない空白に、自分のこれまでの日々が塗り潰されそうだったからです。
しかし、その行動はすべて裏目に出て、色々なものを失いました。
何かしなければ、応援してくださる方々を裏切ることになる。動けば動くほど、自分の首は絞まっていきました。
ここでワーニャ伯父さんだったら、モルヒネで自殺を試みるのですが、なかなか日本の田舎にモルヒネはありません。
僕自身が、応援してくださっている方々や一緒に何かを作っている人たちから見たセレブリャーコーフになっていたらどうしよう。そう考えると苦しくて苦しくて、企画書を作っては送り、無視されて終わり、という毎日を送っていました。
このままじゃ、永遠に「創刊号」が出せない!
でも、もう僕が魅力を伝えたい人やものは、僕を必要としてないんだ!!
皆さんに謝って、全部やめよう。
そう考えたのは、7月のはじめの夜だったと思います。
残業の帰り道、ライトの点かなくなった自転車を押しながら、田舎道をとぼとぼ歩いていました。
重くなった瞼が僕の思考にもゆっくり幕を下ろします。ただでさえ暗い田舎道を歩いていると、どこまでが僕でどこまでが夜か分からなくなります。
やっぱり無理でしたって謝ろう。
そうして、あとは静かに消費して暮らそう。
創作はまた別のジャンルでしよう。
名前も捨てて、違うアカウント名でリスタートしよう。
そうしよう。
そしたら、楽になる。
もう、何も考えなくていいし、もう何も発信しなくていい。
意味とか考えなくていい。価値とか考えなくていい。誰かのこととか考えなくていい。自分のことだけ考えてればいい。
本当にそれでいいのか?
そんな人生、君は楽しいか?
自分の中に少しだけ残った燃え殻のような思いが、僕に問いかけます。
多分、その胸の中の燃え殻は、何度水をかけられても、まだプスプスと燃えていたと思います。
自分の実績の無さを棚に上げて勝手に傷ついて、行き詰って終わり。本当にそれでいいのか?
あの人との約束は、あのクラウドファンディングのコメント欄に書いてくださった言葉は?
わざわざデザインのアドバイスをくれたあの人は?
著作権について助けてくれたあの人は?
形は違っても、同じように好きなものを推しているあの人は?
あの人は?
あの人は?
色々な人の名前が思い浮かびます。
アカウントのアイコンでしか知らない方もいれば、顔を知っている人もいます。
みんな捨てていいのか?
君、本当に孤独な人生が待ってるよ。
でも、この苦しさを乗り超えるものがまだ見つからない。
どうやったら、この苦しみから脱することができるのか?
自分に出来ることは何か?
やっぱり、自分は伝えることを続けたい。
自分が面白いと思うこと、自分がもっと知りたいと思うこと。
だから、その為のメディアは続けていきたい。
スタートで躓いてから、一気に人が去ったけれど、それでもまだ応援してくれたり、見守ってくれたり、チャンスをくれる人たちとこんな形で別れたくない。
僕は電気も点かない自転車を全力で押し始めました。
それは、車のスピードよりは遅いですし、本来の自転車のスピードにも劣りますが、それでもさっきよりは早い、自分だけのスピードです。
そして、翌日、3冊目の雑誌を作ることにしました。
今回のテーマは「リスタート」です。
それぞれが、自分の好きなことと向き合い、どうリスタートをとってきたかを中心に据えて雑誌を編集しています。
今回、僕の文章は最小限に留めて、他の方たちの文章を中心にこの雑誌は構成しています。この人たちに話を聞いてみたい、という人たちにお願いしました。
それは、「ワーニャ伯父さん」の第4幕において、ソーニャの言葉をヒントにワーニャ伯父さんが生きるヒントをもらったように、僕自身も執筆者の皆さんからこれからのヒントをもらいたいと思ったからです。
もし、あなたが僕と同じような思いでいるなら、是非、これを読んで胸の中の燃え殻にもう一度、火を点けて欲しいと思います。
いつか、この雑誌を出した頃は、とても心が疲れていたけれど、今は、穏やかだと信じられる日が来ることを信じて。
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