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once again

  どこで間違えたんだっけ?

 視線の先には机の細い足と、その先にあるテレビ台の太い足が見える。
 ああ、太い足の向こうに埃が見える。あそこは掃除してなかったなあ。
 もう資金も食料も尽きた僕は、観念して横になっていた。
 水道は止まってなかったので、水だけを飲んで過ごしていたが、3日目に全部吐いてしまった。
 「隠し砦の三悪人」の最初の場面で、百姓の太平と又七が「もう3日間、水しか飲んでねえ」というようなセリフを言っていたが、あれは嘘だろう、あんなに動けないだろうと、僕は唇を少しだけ開けた。

 時々、部屋のどこかで振動するスマホが、今、誰かが起きている時間だということを僕に教えていた。多分、太陽の光がカーテンから少しだけ漏れていたと思う。

 どこで間違えたのか、と3日間前から何度も自答していた。
 田舎にある実家から飛び出したくて、愛媛から出た時か。
 素直に家を継いでおけば良かったか。文学なんか、あくまで趣味としておけば良かったのか?
 自分が書く文章や物語が少しずつ褒めてもらえたからか?
 研究者になる道よりもお金を稼ぐ道を選んだ時か?
 いつの間にか、SKE48や映画が好きになった時からか?

 どこで間違えたんだろう?
 最初に仕事を辞めた時に同業のまま転職しなかったからか?
 次に転職した先の村社会に馴染めずに飛び出した時か?
 それとも次の転職先で倒れた時に、逃げるように出た時か?
 いや、やめてからすぐに転職できると思って、アルバイトをしなかったからか?
 全部、当てはまりそうな気がした。
 だとしたら、僕の人生は何だったんだろう。


 3日前に、Twitterに分かる人には分かる言葉を書いた。


 「すぐに帰ってきます。

 もし、遅くなったら、盆に帰ります。
 迎え火焚いて待っていてください。

 どうか、覚えていてください。
 ありがとうございました。」

 お別れのつもりだった。
 ツイートを終えると、4年前に処方された睡眠薬をありったけ飲んで寝た。
 数日前に10年来の友人に会った。丁度、大阪の難波から僕らは歩き始め、鶴橋ぐらいまで歩いたのではないだろうか。
 「死ぬ時は人の迷惑がかからないように」と言われた。彼からしたら、冗談だったんだろうが、僕にはナイスアドバイスだった。彼は家族の一人が、知らぬうちに亡くなっていた話をしていた。僕は遠くない未来同じ運命を辿ると思うと、会ったこともない彼の家族に言いようのない親しみを覚えていた。

 次の僕の記憶は夜だった。
 あれ、生きている。
 それが率直な感想だった。
 困ったな、と思った。
 足がしびれたみたいに最初は力が入らなかった。
 四つん這いになりながら、トイレまで行った。
 それから、水を飲んで部屋に横になった。
 顔洗いたいな、とか歯を磨かなきゃなと、自然に思うのが不思議だった。
 横になってまた目を閉じた。

 理想的な死に方は芥川龍之介だった。
 なにせ、彼は何度かの自殺未遂の末、最後は自宅で成功し、奥さんから「お父さん良かったですね」と言ってもらえた。多分、奥さんは最後の方は呆れていたのかも知れない。
 でも、今の僕は部屋で一人だ。
 

 今、思うと何も最後までやりとげることが出来ない人生だったと思う。
 文学を研究することも、小説を書くことも、映画に携わることも。
 そして、ついに死ぬことさえ、中途半端に終わってしまった。
 いや、このまま、もう少しだけ我慢すれば、達成できるのか。
 腹も背も痛い。
 痰が吐けない。

 部屋のインターフォンがずっとなっていた。
 多分、朝なんだろう。
 日差しを感じる。
 今日が何日か分からない。
 

 凄く遠くでスマートフォンが揺れる音がする。
 不快だった。
 スマートフォンの振動音を不快に感じるようになったのは、何のせいだろう。とにかく、うるさかった。
 このまま無視しても良かった。
 ただ、音のする方に指を伸ばした。
 電話を取ると、親からだった。
 まるで、トンネルの奥から聞こえてくるような声だった。
 少し話して、今日が1月21日だということを知らされた。
 「もう、僕はいいから」
 数日ぶりに声を出した気がする。
 電話をかけてきた親は、僕の声の代わりように驚いていた。
 よほど、声が出てないらしい。
 微かに聞こえる声に答えていく。
 とにかく、数日分の食費を振り込むから食べなさい、という内容だった。

 お礼を言って電話を切った。
 僕の手は恐ろしいぐらい白くなっていた。
 ああ、高村光太郎の「智恵子抄」の「レモン哀歌」じゃないか、と思ったが、部屋の中には僕しかいなかった。

 お金をおろしにコンビニまで行くと、いつもお昼のパートで入っているおば様が、怪訝な顔で僕の顔を見ていた。
 「大丈夫ですか?」
 いつもなら、「大丈夫の定義によります」と答えるところだが、静かに頷くのが限界だった。
 ひとまずすぐに食べられそうなうどんと、ウィダーインゼリー、それから、ポカリスウェットを買った
 唐の時代の詩人で、飢えの後に爆食いをして死んでしまった詩人が居たのを覚えていたからだ。李白でも杜甫でも王維でもない、誰だったか。とにかく、ウィダーインゼリーをまず飲んだ。
 胃もそうだが、下も久しぶりに味わう甘味に驚いていた。
 スマホをもう一度見ると、バッテリーが残り3%だった。

 何のインターフォンだったか気になって、ポストを見ると萩原朔太郎を主人公にした「月に吠えらんねえ」の続編というか別アレンジの「月に吠えたンねえ」が届いていた。そういえば、1か月前に予約していたのを忘れていた。

 うどんを食べながらスマホを見ると、僕のことを心配するメールがいくつも届いていた。 
 TwitterのDMにもSKE48を通じて知り合った方々から着ていた。わずかに顔を合しただけの人も親身になってくださっていた。

 先日前にあった数年来の友人からは「芥川の真似をしても俺は評価しねえぞ、アイマスのコンサートに連れて行ったお礼に、SKE48のコンサートに連れて行ってくれるんだろ?」という内容だった。
 1年前に彼に連れて行ってもらったアイマスのコンサートの感想記事は、1日で1万ビューを超え、今でも読まれている。アイマスのコンサートの素晴らしさを知った僕は、彼にSKE48のコンサートの素晴らしさも伝える約束をしていた。
 僕は「芥川に来るなって追い返されたよ。ああ、すんげえしんどいけど生きることにした」ということだけ書いて返した。
 「まだお前にはやることがあるって芥川も言ってるさ。綺麗事なんざ言うつもりはねえ。俺のわがままだ。どんなに辛くても、あんたがいないと俺が悲しいから生きてくれ」というメールが返ってきた。
 急にうどんの味が塩辛くなった。

 それから、これからどうするかぼんやりと考えた。
 ひとまず、テレビや洗濯機を売って引っ越し費用を作ろう。
 支払いのあるものは、弁護士に相談して少しでも負担が軽くならないか聞いてみよう。
 

 多分、僕は人生の初期設定をノーマルで始めたはずだった。
 いや、日本に生まれた時点でイージーかも知れない。
 それが、気づかないうちに、ハードに設定を変えていた。
 なんなら今はベリーハードかも知れない。
 強くてニューゲームなら、今はやりの異世界転生ものでよくあるが、弱くてニューゲームはなかなか無い気がする。

 ずっと僕の傍にいてくれた人がよく言っていた。
「あなたは才能しかない人なんだから。まともに生きていけないんだから」
 ずっと嫌味だと思っていたが、ひょっとしたら、上手く生きていけない僕へのエールだったのかも知れないと気づいた。その人は僕に才能があるなんて微塵も思っていなかったから。

 田舎から出てこなかったら、あのメールをくれた友人とは出会わなかった。
 文学を学ばなければ、僕はブログを書いてなかった。
 研究者を辞めていなければ、僕はずっとSKE48を知らずに今でも研究室の中に居た。
 SKE48を好きにならなかったら、素敵なファンの方々やメンバーのドラマに熱くなれなかった。
 最初の会社を飛び出したから、今でも連絡を取るぐらい親しい坂道ファンの人に出会えなかった。
 そして、また転職をしたから、大好きな映画業界のことを知れて、自分の企画力を更に試すことが出来たんだろう?
 そして、まだ何も書けないけど、2年間続けたブログを今、なんとか認めてもらおうとしるんだろう?
 それは間違いか?

 全部、うどんを食べ終わる頃には、ぼんやりしていた思考が少しだけ働き始めた。
 ああ、何か書きたいな。
 それが最初に思ったことだった。
 ほとんど病気だ。
 丁度、肩慣らしに今日アップされたSKE48の動画の感想を書いた。
 いつか、SKE48のコンサートが再開されたら、この動画は初心者向けの良いテキストになるかもな、と思いながら書いた。

 夜まで引っ越しの見積もりを色々と調べて、少しだけ横になった。
 ああ、そうだ、と思い、僕はテレビ台の奥の埃を掃除した。
 また、1からいや、マイナスからでもチャレンジしてくさ。

 僕は大文字で言うほど、大それた人物じゃないから、小文字で言うよ。
 once again!  


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