故郷と決断

 大人になってから聴くと初めてその曲の世界観が明確になっていく曲があります。
 たとえば、中島みゆきさんの「ファイト」。
 1983年にリリースされた「予兆」というアルバムの1曲です。
 ちなみに、僕は1983年生まれなので、当然リリース当時は知りません。
 1994年にCMソングに採用され、同年5月14日に発売された「空と君とのあいだに」で両A面シングルとして発売されました。
 当時小学生中学年だった僕は、「ファイト!」というサビの力強さと魚よ頑張れ、ぐらいの感想しか持てませんでした。
 しかし、大人になってから聴くと、「わかる、めちゃくちゃ分かるぞ!」という箇所が沢山あります。サビの「闘わないやつら」なんて曲が書かれた時代よりも目につきやすくなった気がしますし、海になった「あいつ」のところとかは、涙が止まりません。
 その中であの田舎を出ていくところですよ。
 「薄情もん」呼ばわりとかあと足で砂をかけるなんて、酷い言い方ですが、人生の決断の中でどうしても何かを切り捨てていかなければいけない時もあります。
 その選択で、切り捨てられた側からしたらたまったもんではないですが、切った側も決して軽い気持ちではないのは、自分も社会人になってから様々な取引の中で学びました。
 僕が切り捨てたものの中で自分のふるさとがあります。
 周りの人は高齢者が多くて、文学に興味なんか無くて、映画も芸術もここじゃあ学べない。早く抜け出したい。
 そんな気持ちでふるさとを離れました。
 18歳の時にふるさとから離れて38歳で戻るまで、長い間切り捨てていました。
 今、ふるさとに戻ってそこで職を見つけて、今、ふるさとを盛り上げるための仕事についているんですが、自分があと足で砂をかけたふるさとと今、うまく付き合えているのだろうか、と考えることがあります。
 花房尚作さんが光文社新書から出した「田舎はいやらしい 地域活性化は本当に必要か?」を読んでいると、地方の現状を九州の鹿児島を中心に追った本で、かなりダウナーな内容なので、もし読まれる方はそれなりの覚悟が必要な1冊なんですが、自分のふるさとを考える上で非常に参考になりました。
 実は、人口が多い街はチームプレースポーツが強くなり、人口が少ない町は個人プレースポーツが強くなるなど、面白いデータがありましたし、地方から都会へ流出する理由として大きく3つに分けられるところも興味深かったです。
 ① 学問を求めて。② 専門職を求めて。③ 選択肢を求めて。
 この3つを1つずつクリアーしていくことが重要だそうです。
 しかし、地方に上記の3つが揃っているとは限りません。
 なりたい自分になるためには、遠くへチャレンジするしかない。
 

 前置きが長くなりましたが、中島みゆきさんの「ファイト」を聴いていて思い出すメンバーがいます。

 SKE48の9期生。
 池田楓さんです。

 まずは、彼女の自己紹介のアメブロを読んでみましょう。

 長崎県の佐世保市出身なんですね。
 しかも早くも地元のハウステンボスのサイトにも載っているなんて凄いですね!

 なんで僕がこんなに凄さを感じているかというと、まさに今、僕が住んでいる愛媛県宇和島市出身のSTU48の兵頭葵さんと地方の観光や商工をつなげられないか、とじわじわ動いているので、羨ましいことこの上ないわけです。
 話をかえにゃんに戻しましょう。
 

 長崎の佐世保から愛知県の名古屋にやってきたかえにゃん。
 彼女はどんな思いでSKE48にやってきたのでしょう?
 2019年7月12日の彼女の生誕祭の手紙を読んでみましょう。

「楓、お誕生日おめでとう。

 19歳の楓がアイドルになって、こんなにたくさんの人にお祝いしてもらうなんて想像もしてませんでした。

 思えば幼稚園の頃から楓の夢はアイドルになることでしたね。おもちゃのマイクで歌をうたったり、公園のステージでダンスを披露してくれたり本当にキラキラしていました。

 だけど、小学5年生の時に引っ越し、転校をして、なかなか新しい学校に馴染めず、つらい思いをさせてしまいました。

 中学高校とあなたは本当に真面目に学校生活を送っていて、いつしかアイドルになるということを口にすることもなくなり、『地元で就職して早く親孝行をして家計を助けるからね。お給料をもらったら17匹の猫のためにキャットタワーを買ってあげたい』なんて言ってくれるようになりましたね。

 高校では簿記電卓部で全国大会に出場したりとか日商簿記2級などたくさんの資格を取ってコツコツと努力を積み重ねてきました。

 その結果が実って高校からの推薦で、地元で一番いい就職先に内定をもらって家族みんなでお祝いしましたね。この先も楓とは一緒にいるんだなと思っていました。

 そんな楓が高3の秋に突然『アイドルになるという夢を叶えられるのは最後かもしれない』と、驚くほどの行動力でオーディションへ向かった時は、アイドルへの夢や憧れはずっと心に秘めたまま消えてなかったんだなって嬉しかったよ。

 本当はそれまでも何度もオーディションに応募していたこともママは知りませんでした。楓の気持ち、何も理解してなかったなと反省してます。

 自分で夜行バスを予約して11時間かけて名古屋に行きましたね。

 初めての名古屋、たった一人で道に迷ってオーディション会場まで2時間歩いたと聞いた時はママに似て方向音痴を受け継いでるなって申し訳ない気持ちになりました。

 そして、まさかのオーディション合格。最終審査まで残った時は『ここまで来たら合格してほしい!』という思いと『合格したらどうしよう』という複雑な思いでドキドキしながら結果を待っていたのを思い出します。

 でも、そこから本当に大変でしたね。

 就職内定を辞退するということがどれだけ大変なことか楓もパパもママも何もわかっていませんでした。

 学校に呼び出されること5回。行く度に先生の数が増え、その度に考え直すように説得され、ママは初めて内定を断ることの重大さを知りました。

 『学校始まって以来の前代未聞の事件だ』とまで言われました。

 だけど、楓は毎回泣きそうになるのを堪えながら、目に涙をいっぱいに浮かべながら自分の意志を貫き通したね。

 担任の先生、学年主任、進路指導主任、教頭先生、校長先生を前にして一歩も引かずに自分の覚悟を一生懸命に伝えました。

 ママは先生方の迫力に圧倒されて何も言えなくてごめんね。

 最後は先生方も納得してくれましたが、その時に背負った責任と覚悟は一生忘れないでください。あなたはアイドルを選んだことでたくさんの人に迷惑をかけたこともまた事実だから。

 12月になって慌ただしく名古屋に引っ越し、あまりに急展開でもう何が何だかわからない日々でしたが12月31日のお披露目に行くことができて凄くキラキラしている楓を見ることができて本当に嬉しかったよ。

 人が沢山いてママはキョロキョロしすぎで挙動不審だったかも。

 そして、地元を離れて半年が過ぎました。田舎から出てきて初めての一人暮らし。希望よりも不安の方が大きくって、最初のうちは毎晩泣きながら電話をしていましたね。あっ、それは今もかな。

 ダンス経験もなく運動をやっていなかったあなたの武器はとにかく真面目なこと。振りの映像を見ても覚えられないからとノートに立ち位置の動きや手の振り、指の動きまでびっしりと書き込んで夜中まで練習したり、本当に頑張っていると思います。

 時間はかかっても真面目に積み重ねた努力はきっといつか花を咲かせてくれるから、今はどんなに苦しくても結果が出なくても決して腐らずに諦めずにコツコツと努力を重ねてください。絶対楓なら大丈夫。両手百握りの手相を持ってるしね。

 田舎もんでもダンスが苦手でも努力すればアイドルとして輝けることをこれから楓が証明していってくれることを心から願っています。

 楓はママの誇りです。悔いのない楓の人生をこれからも精一杯歩んでね。

 最後に。こんな素敵な生誕祭を開いてくださったファンの皆様、スタッフの皆様、先輩の皆様、そして同期の皆様、今日は本当にありがとうございます。たいした取り柄もない田舎の娘ですが、アイドルへの思い、SKEへの思いはどこまでも純真でまっすぐに持っています。どうかこれからも娘を支えてあげてください。よろしくお願いします。

 ままにゃんより」

 もうね、読みながら彼女がどんな覚悟と責任を持ってSKE48に来てくれたのが分かります。高校時代から彼女が凄く真面目で努力家だったことが伝わってきます。そして、内定を断るくだりは、教育業界に10年身を置いていた人間としては、かえにゃん側の気持ちも先生側の気持ちも分かって、読んでしばらくは自分の記憶が色々と蘇りました。良い文章の条件の一つに内省が生まれることだと思うんですが、このお手紙を読んで皆さんも人生の中の痛みと共に選んだ選択を思い出したんじゃないでしょうか?

 涙をこらえながらも選んだ道は、一度は彼女を地元長崎佐世保から離れさせますが、時を経て素晴らしい形で錦を飾らせてくれることになりますが、まだ先の話です。
 

 高校の頃の彼女の勉強家ぶりが分かるアメブロを読んでみましょう。

 この人は、アイドルを辞めてからも仕事に困らないんじゃないか、という手に職がついてるアイドルですね。いつか、かえにゃんと某資格取得出版社(英語3字のあそことか)のコラボで、彼女の体験談を踏まえた参考書とか出版しませんか?

 さて、彼女はSKE48となり、研究生、正規メンバーと昇格していきます。
 その中で、同期との別れや自分のやりたいことが明確になったりと様々なことがありました。
 ちょっと連続して二つのアメブロを読んでみましょう。

 きゃさんこと、石川花音さんの卒業についてのアメブロは、本当に青春を感じるもので、「To be continued」が本当に似合うなあ、旅立ちと見送りだなあと今更ながら感じます。

 そして、もう一つは生誕祭のことです。

 「先が見えなくて」、「自分は何をしてくてここにいるのか分からなくなって」という箇所は本当にコロナ禍が直接的な金銭やイベントの中止だけではなく、間接的にエンタメに携わる人たちを、苦しめているなと感じますね。
 そんな期間中も彼女をSNSなどで支えてくださったファンの方々との関係が素晴らしいですね。
 そして、「長崎佐世保市の観光大使」という目標。
 

 彼女はその目標にたどり着くために、努力していきます。
 その結果が2021年12月に出ます。

 ただ観光大使になりたいというだけではなく、自分も地元の観光について勉強するという姿勢は本当に素晴らしいです。
 2022年、かえにゃんが観光大使になる姿が見たいですね。
 そうすることで、高校生の時の彼女と同じように、地方からアイドルになりたいと夢を見ている人たちのロールモデルになれるのではと僕は考えます。一度はふるさとを離れてもきっと自分のなりたい仕事でふるさとの為になれると。
 きっとかえにゃんは、今日も静かに闘っていると思います。
 目標に向かって。
 それを嗤う人もいるかも知れません。
 それでも僕は、諦めずに一つ一つ実績を出していく彼女のこれからを楽しみにしています。
 

こんな大変なご時世なので、無理をなさらずに、何か発見や心を動かしたものがあった時、良ければサポートをお願いします。励みになります。