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推しが卒業発表した夜に

 大きな地震がある度に思うことがあります。
 ああ、自分は「明日も当たり前に生きていること」を前提に生きているんだなということです。
 だから、ポイントカードのポイントも貯めますし、食べ物に含まれるカロリーや塩分も気にします。
 同じように「明日も当たり前のように居ること」を疑わない人がいます。
 それは、家族かも知れませんし、恋人かも知れませんし、友人かも知れません。
 そんな暮らしの中にいる大切な人達よりも距離は遠いのに、下手をするともっと大事に思っている人がいます。
 それが「推し」です。
 
 よく皮肉をこめて「アイドルは宗教みたいなもんでしょ」と言われることがあります。
 確かに、「推す」と「信仰」は似ています。
 日常生活の中で愛情を伝えるのには勇気がいりますし、拒絶されることもあります。
 しかし、「推し」は遠くにいますし愛情を伝えてもよっぽど危険な思想のものでなければ拒絶されません。宗教もそうですね。神も仏も信仰を拒絶しません。
 そして、当たり前のように生活の中に神社やお寺、教会はあります。
 だから、急にそれがなくなったら、そこに毎日通っていたり、熱心に素晴らしさを語っていたりした人はどう思うでしょう?
 たとえば、仏教徒の人はお寺が消えたら困ると思います。
 神主さんも朝起きたら、昨日まで当たり前のようにあった神棚だの神鏡だのがなくなっていたら、どうしようとなると思います。
 神父さんも十字架が一気にこの世からなくなったら、何をシンボルにしようと揉めると思います。
 宗教の精神的な支柱は、形の有無はあるかも知れませんが、常に「明日も当たり前にある」ことが大事なんですね。
 だから、無くなったら、とんでもない喪失感を持つことになります。

 そう、それが今の僕です。

 僕が推しているのは、SKE48の10期生の五十嵐早香さんです。
 彼女の何が素晴らしいかというと、言葉です。
 日本語だけでなく英語やタガログ語も操り、素晴らしい文章を書いていました。
 今まで、素晴らしい文章を書くメンバーは沢山いました。
 たとえば、松井玲奈さんのブログ。
 古畑奈和ちゃんのアメーバブログ。
 色々なメンバーたちの生誕祭の手紙たち。
 最近だと入内嶋さんのカブト虫に関する文章が、とても瑞々しくて素晴らしかったです。
 しかし、五十嵐早香さんは、「創作」が素晴らしかったんです。
 ゼロから物語を創っていける才能。
 いや、創り続けられる才能。
 それが彼女にはありました。 
 あまりファンの間では話題になりませんでしたが、彼女が書いた詩も何か新しいことにチャレンジすることを題材にしたのでは、と読める素晴らしいものでした。
 ちょっとでも、彼女の書くものの魅力を共有したくて、彼女がブログを更新する度に、ブログの感想を書き続けました。感想を書くために何度もブログを精読して魅力を考えていく。
 ただの一度も、この回は書くことなかったな、という回はありませんでした。
 それほど、毎回、素敵なものでした。


 そして、自由な彼女は、意図せずに枠からはみ出してしまうこともありました( そういうポンコツなところとか、萩原朔太郎みたいで本当に応援したくなるんですけどね )。おかげで、彼女のSHOWROOM配信を切り抜いた動画が300万再生に迫るほどの伝説もつくってしまいました。
 それは、SKE48の公式動画のどの動画の再生回数よりも多かったです。
 意図しないものとはいえ、SKE48というアイドルの枠の中でうまく立ち回って、その枠を広げて行って欲しいという願いを込めて、こんなnoteも書きました(ありがたいことに2021年9月にnoteで#SKE48で書かかれた記事では一番読んでもらいました。)。

 彼女は半年ほど休養をしていました。
 復帰してから、暫くは卒業はないだろうと僕は考えていました。
 だから、「明日も当たり前のようにいる」と僕は思っていました。

 そう、まだ居てくれると思った僕は、彼女の才能を発揮できる場を作りたいと思っていました。
 SHOWROOM配信で、ボツになった創作があるということを知ったのが大きかったです。「アイドルのブログとしてはふさわしくない」という内容だったと思います。だったら、ブログの外に才能を発揮できる場を作ればいいじゃないか、と。
 だから、去年の終わりから構想して、2022年1月1日にこんな発表をしました。

 もう自分が雑誌を作って、彼女の小説を発表できる場を作ろうと。
 お金なんて僕一人の力では知れていますが、早香先生の書くものを読みたいという人はきっと沢山いるし、これがきっかけになって大手出版社の人にも見つかれば、彼女の実績になればと思っていました。
 多分、年に1回、運が良くても2回の刊行かも知れませんが、ちゃんと発信基地というか母艦を作っておければと思っていました。
 勿論、ただのファンがそんなことできるかよ、と思われた方も沢山いたと思います。
 でも、もうファンが場所を作らなきゃいけないぐらいに、僕は危機感を抱いていました。
 雑誌のための準備や資金調達までの時間を逆算すると、だいたい今年の夏にクラウドファウンディング、秋の終わりぐらいに刊行、方法はオープンにできるところは共有して他の方にも応用できるように出来ないかと思っていました。

 バカな僕は少なくとも2022年の終わりまで彼女は「明日も当たり前のようにいる」と思っていたわけです。
 
 2022年12月15日。
 21時。
 ツイートされた彼女の卒業発表。
 僕は、貧血に似た立ち眩みを覚えました。
 嘘だろ、と。
 タイムライン上に流れる明るい他のメンバーやファンの方々のツイートとの温度差にまたクラクラしました。
 なんだか、家の中に居たくなくて、夜風にあたる為に外に出ました。
 地面がくっきり見えると思ったら、満月が出ていました。
 僕の住む町は田舎で、大きなビルや街頭もありません。
 だから、満月が明るすぎて周りの星も見えないぐらいでした。
 自転車に乗って、一番近くの港まで行きました。
 昼間が暖かったせいで、夜はとても寒いです。
 こういう時にスマホの音楽プレイヤーを起動させると、かかるのは僕の気持ちとは逆の感じの曲が多くて、何度もスキップを押しました。
 ドレスコーズの「スーパー、スーパー、サッド」になってやっと落ち着いたので、ぼんやりと水面をみていました。
 
 満月の灯りは海面にも落ちていて微かに揺らめいています。
 ああ、卒業したら、あのブログも消されるのか。
 誰も読めない闇の中でずっと眠り続けるのか。
 NFTで売ってくれないかなあ、とお金もないのに思っていると、「渚のイメージ」が流れ始めました。 
 失恋した時に暗い曲を聴くよりも明るい曲を聴いた方が辛くなるように、こんな希望に溢れた曲なのに、僕は涙が両方の瞼に溢れてきました。

 ああ、本当に馬鹿だなあ、もう夏までいないんだよ。
 当たり前みたいに今日まで過ごしてたんだけど、もう3月からはSKE48じゃないんだよ。
 間に合わなかったんだよ。
 毎日、何やってたんだよ。
 なんで、去年の冬に思いついたんだよ。 
 なんで、彼女の才能に気づいた時に計画しなかったんだよ。
 全部、外堀を埋めて、魅力的な目次にしてから交渉じゃないんだよ、ノロマ。
 お前がビビって準備に手間取ってる間に彼女は卒業発表したよ。 

 金も人も方法も、全部間に合わなかったんだよ、今日までのお前の人生じゃ。
 何も変えられなかったんだよ。

 僅か数秒の暗中問答だったかも知れませんが、僕は自分の情けなさにまた崩れ落ちました。


 それから、暫く海を見て、これからどうするかを考えました。


 もうSKE48を卒業するのは仕方ありません。悔しいですが、間に合いませんでした。
 しかし、ポジティブに考えれば、SKE48から離れてソロプレイヤーになるので、原稿の依頼をしやすくなるかも知れません。
 ただ、彼女がどんな分野を頑張りたいかによると思います。
 SKE48という枠を飛び出たら、更に厳しい世界になると思います。
 だったら、尚更力になれたらとも思います。

 お寺が無くなっても、十字架がなくなっても、神が見えなくても、昼間の星のように、何かがくっきりと残っていると思います。それは思い出かもしれませんし、これからへの下書きかも知れません。
 でも、確かに残っています。
 歌の中に。
 景色の中に。
 僕のブログやnoteの中に。

 それを頼りに僕はまだまだ文章を書こうと思いますし、雑誌作りも諦めずに続けたいと思います。

 あと何回あるか分かりませんが、SKE48の10期生、五十嵐早香のブログは何故面白いのか、考える幸せな味わいたいなあ、と思いながらこの記事を終えます。


こんな大変なご時世なので、無理をなさらずに、何か発見や心を動かしたものがあった時、良ければサポートをお願いします。励みになります。