見出し画像

五十嵐早香にSKE48は狭すぎる

※今回の文章はSKEファン全体の考えでも五十嵐早香推し全体の考えでもありません、一人の五十嵐早香推しの考えとして受け取っていただければ、幸いです。

 20世紀を迎えるまでアート界は、東京学芸大学個人研究員末永幸歩さん(ベストセラーになった『13歳からのアート入門』の著者ですね)の言葉を借りるならば「城壁」の中にいました。その城壁の中に入れるのは、彫刻ならば「ピエタ」、絵画ならば「モナ・リザ」、建築ならば「ノートルダム大聖堂」といった21世紀の我々の視点から見ても美しさが視覚的に分かるものでした。
 末永さんはこういった作品を「貴族」だと喩えました。それに対して、たとえば、カップラーメンやパックマンといった大衆的な商品やデザインは「民衆」で「城壁の中」には入れなかったと評しています。
 20世紀に入り、様々な芸術家たちが、「城壁」を壊す試みをします。
 それはすぐに「視覚的」に分かるものを創らずに「思考的」に素晴らしいものを創っていくことで、「アートという確固たる枠組み」、つまり「城壁」を壊そうとするアプローチをするわけです。
 アンディ・ウォーフォールが「食器用洗剤のデザインを真似たあの奇妙な箱」の作品(ブリロ・ボックス)を描きますが、これは芸術品として美術館に展示されます。つまり、城壁の中に入ったわけです。
 マルセン・デュシャンが作った「泉」は、中古の小便器にサインをしただけの当時としては、問題作とされました。この作品も多くの美術館に展示されました(『最も影響を与えた20世紀のアート作品』にも選ばれています)。見た目は美しくないこの作品と出会った時、人々は考えさせられます。「視覚的」には分からない「思考的」な領域へ広がることでアートは一段階進歩したのではないか、と思います。
 ここまで挙げた芸術家だけではなく、マティスやピカソ、カンディンスキーたちが当時の美術の「常識」という「城壁」の中で上手くそれを壊すものを創っていました。

 さて、昨日の夜、久々にSKE48で「城壁」を感じることがありましてね。
 SKE48の10期生、五十嵐早香さんの誕生日だった昨日は、彼女がメイド服にコスプレしてケーキを作るという配信でした。
 メイド服の衣装のデザインからか、料理の最中やコメントを読む際に胸元をはだけてしまいそうになりました。
 そのせいか、何度も配信はSHOWROOM運営側からBANされます。
 配信の途中には何度もマネージャーさんから電話も来ていたそうです。
 結果として、楽しい誕生日記念配信のすぐ後に、彼女は服を着替えて、「皆さんを不快な気持ちにさせてしまって」と謝罪の配信をすることになります。
 SHOWROOM側から運営にクレームがあり、彼女はメイド服禁止となります。また、視聴者からのクレームとして、「SKE48は何なのか考えてほしい」、という指摘もあったそうです。
 奇しくも僕は、どちらの配信も最初から最後まで観ていました。
 まず、ここからは一視聴者として観た感想を書きます。

 彼女自身のトークとしては、全くいつも通りでした(当然ですが、いつもはBANされていません)。大人になったということで、お酒を呑んだ話や途中に澤田奏音ちゃんがプレゼントを持ってきてくれたこと、そして、ファンの方々への感謝を繰り返し述べていました。また、メイド服の胸部があらわになりそうなことを指摘しているコメントから、何度か胸部に気をつかったり、「グラビアまで胸は見せない」というようなことも語っていました。つまり、意図的なものではないと思います。

 ただ、不快感を感じないか、というとそうではありませんでした。
 これは早香先生に対してというわけではなく、コメント欄に対してです。
 明らかに胸部を見る為に、俯かせようとするコメントもいくつかありました。
 あまりに酷いコメントは、通報しました。
 多分、この映画に出て来る眼だけの連中と同じ目でコメント書いてるんだろうな、と思いつつ。

 自分の推しだという偏った視点で彼女を観ていましたが、こういう消費の仕方をする人もいるのか、という久々にとんでもないコメントを見ました。
 コメントを書いた本人は冗談で書いているかもしれませんが、視聴者の中には彼女と同世代の女の子もいるかも知れないし、メンバーも観に来ていたわけですよ。いや、早香先生だってバカではないので、意図に気づいたかも知れません。そこに生じる不快感を想像してみろよ、と思います。
 ほとんどの視聴者やコメントをしている方はまともだっただけに、悪目立ちしていると感じました。
 あくまで個人の感想なんですがね。
 

 SHOWROOM配信のルールを完全に把握しきれていなかったことや、マネージャーさんからの電話に気づけなかったこと等、早香先生の落ち度を拾い上げていけば、キリがないかも知れません。
 でも、20歳でアイドルとしてのキャリアがまだまだの時点で、完璧に全てをこなすというのはなかなか難しいと思います(皆さんが20代の頃、何一つ失敗せずに過ごしてきた方でしたら、話は別ですが)。
 失敗しながら、徐々に「SHOWROOM」や「SKE48」という中で自分の個性を出すにはどうすれば良いのかを見極めていけば良いかと思います。
 僕が好きな批評家、小林秀雄、吉田健一、吉本隆明、この3人が共通して語っていることの中に「芸術性と社会性は反比例する」ということがあります。彼らが生きてきた時代の芸術家たちは、必ずしも社会と上手に握手できる人ばかりではありませんでした。
 時には、「城壁」からはみ出してしまうこともあります。
 でも、「城壁」の中にいながら、デュシャンやウォーフォールのように少しずつ新しいものを創っていき、最終的に「城壁」の扉を開いた人もいます。SKE48の過去のメンバーでいえば、松村香織さんや白井琴望さんのバイタリティとアイディア。そして、松井玲奈さんや大矢真那さんがどれだけ大人に意見を言いながら可能性を広げてきたか。


 勿論、マネージャーさんを悪者にしようとは思いません。
 管理しなければいけない人数、SKE48というブランドを守ること、SHOWROOMとの関係。
 お忙しいとは思うんです。
 ただ、メンバーが時間を使って考えたことや作ったものに対して、もう少し時間を作ってほしいんです。
 ブログをボツにするのは簡単です、配信のアイディアをボツにするのも簡単です。禁止するのも。でもね、忙しいのは分かるんですが、ボツにした後、禁止した後に対案を一緒に考えて欲しい。もし、上司の方がチェックしてボツや禁止にしたのをメンバーに伝えるだけなら、ただの伝書鳩で終わってしまいます。どうか、メンバーを大事にするとか、メンバーの才能を生かす、というのはどういうことか、釈迦に説法だと思うんですが、面倒なことだとは思うんですが、メンバーに寄り添って欲しいなと思います。
「この手は出来ないですが、この方法ならいけるそうです」とか「これはSKE48の公式ブログでは載せられないですが、この文芸誌に売り込んでみます」とか、「フィリピンにおける日本人作家の進出率を分析して、タガログ語で書いた作品を出版できないか、売り込んでみますね。おそらく日本のアイドル界では初ですし、全く違う読者層やファン層を獲得できますし、SKE全体にも還元できそうですね」とかね。
 管理者ではなくて、仲間でいて欲しいですね。
 五社英雄監督が、作品の脚本に書かれた裏方の役職名を全部消して、仲間と書き直したように。


 五十嵐早香を過剰に「天才」ともてはやす気はないです。
 文章や小説のことだって「SKE48」という「城壁」の中だけの話なので。外に出たら、彼女以上の才能が毎年、6月や12月にごろごろ誕生して消えていきます。
 でもね。
 彼女の作品に彼女自身の人間性まで入れると、それはカンディンスキーがモスクワ時代にモネが書いた「積みわら≪日光≫」に出会った時のように、完全に何なのかは分からないのに、惹かれるものがあります。「探求の目」が刺激されるんです。
 何度も書きますが、五十嵐早香推しという偏った視点からですがね。
 だから、彼女が意気消沈して謝罪配信をしているのは、辛かったです。
 彼女だけが悪いわけでも運営だけが悪いわけでもなく、様々な要因が重なってこうなったのではないかと思います。普段よりもお客さんが多かったですしね。
 どうか、早香先生にはこれからも失敗を恐れずに、様々なアイディアを外に出して、「城壁」のサイズを計ってみたり、時には「城壁」の外に出てみたり。
 そして、1ファンである僕は、メンバーに後出しじゃんけん的な正論を語らずに(それは多分、マネージャーさんたちや先輩メンバーがしてくれるはず)、彼女の魅力を見つけて発信していこうと思います。
 

 20歳の始まりの日は、物凄い混沌で始まりました。
 20歳の終わりの日には、彼女はどんな顔をしているのか。
 

 「城壁」の中は安全ですが、様々な規律があります。
 「城壁」の外は危険ですが、自由があります。
 早香先生には、3つ目の選択肢、「城壁」の中で自由を作っていくことが出来るのでは、と信じています。

※なんとなく、イメージした曲を貼ってお別れです。

こんな大変なご時世なので、無理をなさらずに、何か発見や心を動かしたものがあった時、良ければサポートをお願いします。励みになります。