見出し画像

遊びを考え直す第5回「ボードゲームその2 欲望と重さ 」

※ この記事は第2回のボードゲーム記事を読んでおくと、更に楽しめるはず!


 先日、宇和島市で行われている「ホリバタボードゲームクラブ」にまたもや参加してきましてね(月に1回開催されています)。
 こちらの「ホリバタボードゲーム」は主催しているmugiご夫婦が所有しているボードゲームを、月に1度ぐらいのペースで無料でやらせていただいてましてね。
 個人的には、あまりにも申し訳なさすぎて、1回1回の使用料を支払いたいぐらいなんですが、勝手に収入を得るわけにはいかない職業をmugiさんはされているので、申し訳なさは増すばかりでしてね。
 こうなったら「収入」にも「課税対象」にもならないように、毎回僕がボードゲームを盗む、mugiさんが捕まえる、「示談」に持ち込む、示談金を払う(無課税)ぐらいかなあ、とバカなことを考えている毎日です。

※mugiさんのnoteはこちら!ボードゲーム好きは是非、フォローしてみてください。


 さて、先月も「ERA」というボードゲームをさせていただき、ボードゲームの面白さの片鱗に触れたんですが、今回は「ブラス:ランカシャー」をプレイさせていただきましたよ。
※ブラス:ランカシャーについてはこちらをチェック!


 まず、やってみた感想としては、「ルールを知る者が勝てる」。

 毎回、ゲーム前にルール説明をしていただくんですが、ルール説明を聞けば聞くほど、「ううっ、これ全部覚えてやるんですか?僕以外の他のプレイヤーはふむふむ言いながら聞いてるけど、僕みたいなバカが混じって大丈夫か?」とかなり不安になりました。
 いやいや、最初にやったタペストリーを思い出せ。
 ルールが難しかったけど、やってみたら結構面白かったじゃないか、ヨウジヤマモトのTシャツにも「なんでもやれ、全部やれ、能書きはそれからだ』って書いてたじゃないかと自分に言い聞かせながらプレイスタート。
 手元のボードと全体のボードはこんな感じです。

画像1


画像2

 詳しいプレイルールは未だに完全に説明しきれないので、ぜっくりと流れを書くと産業革命の時代を舞台に道を作ったり、色々な建設物を建てたり、時には借金したりしながら、勝利点トップを目指せ!時代も変わるよ、みたいな感じだったと思います。時代が変わると残るものと残らないものがあるので、プレイスタイルにも工夫が必要になります。

 で、ルールをろくに理解しないまま、進めた1回目は、とにかく自分のプレイと他の方のプレイの差がかなり激しくてですね。ルールを知っているからこそ、選択肢の幅が広がるなあ、と感じさせられる展開でした。
 ううむ、今度からルールの理解をしっかりしていかねば。
 ちなみに、1回目はだんだんとみんなから置いていかれる中、どうしょうまなくなり、借金することの面白さに芽生え、ひたすらカウカウファイナンスに走り続けるというかなり危険なプレイを続けました(知らない人は『闇金のウシジマくん』を観よう)。
 その結果、当然、鴉の「巣立ち」が似合う最下位という順位で終了しました。

※イメージBGM

 ううむ、ならば、お金を借り過ぎないプレイをすれば良いのでは、と思い、2回戦はお金が無い時は借金をせずに「パス」をしていたんですが、そうなると、他のプレイヤーはガンガン色々なものを建てている中、僕だけ指をくわえて見ているというターンが発生し、結果としてやっぱり最下位で終わるという展開になりました。
 
 前回のタペストリーがビギナーズラックであるということが、分かる結果でした。

 ちょっとゲーム内の話をすると、1回目のプレイの時は、石炭を作ることが出来る施設をガンガン作ったものの、あまり他のプレイヤーからは使われず、時代が変わった時に自分が作ったものがほとんど残らずに、手元のボードではろくに開発されてないものが残っていたという残念な感じになったところで、雲行きが怪しくなっていましたね。
 それに対して2回目のプレイの際は、最初の時代である程度紡績工場や港を作り、毎ターンのお金も多めにもらっていたはずが、時代が変わる時には資金は残るものの作ったものは残らなかったというスタートになりました。
 まだ2回しかプレイしていませんが、このゲームは最初の時代での立ち回りがどれがベストなんでしょう。


 それから、一つのエリアに何が建てられるか、今、建てた方がコストは少なくて済むのか、それとも他の手札が回ってくるまで待つべきなのか、という毎ターンの判断が必要なゲームでもあります。
 その判断の基準になってくるコントロール性に関しては、毎ターン回って来る手札がカギを握ってくるんですが、何かプレイする度に手札を捨てるんですね、このゲーム。それにも関わらず、僕は何回も手札を捨てるのを忘れてしまい、他のプレイヤーさんに迷惑をかけてしまいました(カードの手順が変ってしまう)。
  

 個人的には2回プレイしてやっとルールが飲み込めてきたところだったので、もう一度プレイしたゲームの一つですね。
 もし、次にやるとしたら、ちゃんと産業革命の時に成功した資産家たちの思想に基づいてプレイしてみるのも面白いかもしれませんね。「世界の工場」と言われた第1次産業革命の時のイギリスのように、どんどん紡績工場を作って世界に出荷していくもよし、第2次産業革命の時のドイツのようにガンガン鉄道を敷いていくもよし。
 そう考えてみると、まだまだ「ブラス ランカシャー」の入り口に立ったばかりという気もします。

 で、ここからは、ボードゲーム外の話になってくるんですが、僕がボードゲームというスマホゲームと比較した時に、「かなり面倒なゲーム」をしようと思ったかというと、「ながらプレイ」がしにくいところなんですね。
 たとえば、スマホゲームの場合、僕は自宅でネットフリックスをしながらプレイすることが多いです。
 前回書いたプラモデル「30MINIUTS MISSON」のコンセプトも「すべてを忘れて没頭する30分間」でデザインされています。
 何かスマホで出来ることとは、違う「没頭が出来る質量のある何か」を今の僕は求めているのかも知れません。
 
 ボードゲームの場は、一人でゲームをする時とは違う、対面ゲームならではの緊張感や礼儀意識も働きます。相手は初めて会う人が多いし、本名を知らない人も多いです。でも、その関係が今の僕には、丁度良い距離感です。
 家族とも職場の人とも、友達とも違うコードの人とコミュニケーションを取りながら、ボードゲームをしていくこと。
 これは、先ほども書きましたが、「かなり面倒なゲーム」を自分からしていることの理由は未だに分かりません。ただ、今住んでいる田舎で「面白い人」を探しているのかも知れません。その「面白い人」の片鱗を知ることが出来るのがボードゲームの場なのかも知れません。それは、学校的なコミュニケーションが未だに活きている田舎では、はっきりと明確化しにくい「大きい声は出さないけど面白い人」、そういう人と出会えるのはと思っています。
 SNS上でコミュニケーションを取る「面白い人」とは、少し違う自分の生活圏の中に「面白い人」が居て欲しいという欲求。それを探求する場として、今はボードゲームに参加しているのかも知れません。

 それから、ボードゲームは複雑になればなるほど、面白くなるのではと思います。毎回、ボードゲームをする度に、ゲームデザインをしたクリエイターに敬服しますし、実社会のその部分をゲーム化して持ってくるか、と感心させられます。
 「重い」と言われているゲームの方が、より複雑さを飲み込める土台がある気がします。
 時間を使うことを「重い」と定義するか「豊か」だと表現するかは人それぞれだと思いますが、「重い」とは違う概念を見つける為に、もう少しだけボードゲームに触れてみようかと思います。 
 

こんな大変なご時世なので、無理をなさらずに、何か発見や心を動かしたものがあった時、良ければサポートをお願いします。励みになります。