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不要不急について

 先日、D・グレーバーの「ブルシット・ジョブ(どうでもいい仕事)」という言葉についての記事を読みました。そのなかで、イギリスの世論調査で37%の方が「自分の仕事は世の中に意義のある貢献をしていない」と回答していたそうです。

 また、「コロナ後の世界を語る 現代の知性たちの視線」という著作の中で、養老孟司さんは、「不要不急」という言葉に触れ、これは「不用」とも通じるが、人生というのは、「不要不急」ではないか、という答えを出されていました。

 僕は9月の1ヶ月間、大好きなSKE48について、毎日ブログを更新しました。なかなか辛かったですが、良い経験になりました。そして、10月の頭からは創作のコンクールに集中するために、SKEの情報をシャットダウンして仕事以外は、そちらに集中しよう、ブログの更新もストップしようと決めました。

 たった4日間のことですが、物凄いストレスに襲われました。 
 僕が働いている職場は、元々、残業時間も多いですし、まだまだ転職して間もない職場なので、思い通りにならないことも多いのですが、いつも以上に負荷を感じ、眠れなくなりました。幻聴が聴こえ、春に一度なった右目が明るいところで開かなくなる現象が再来し、蕁麻疹ができて、激痛が走るという日が続きました。
 集中するはずの創作もピタリと止まりました。

 そして、昨日。
 僕は職場の階段で倒れました。 
 貧血になったことのある方なら分かると思いますが、目の前に黒い幕が降りるような感じでした。倒れたことを誰にも言えず、そのまま業務を続けました。
 落ち着いたところで、直属の上司にもうここを辞めたいということを話しました。かなり好きな業界で新規事業も評価され、やりたいこともありましたが、あまりにも負荷が大きかったです。気付かない人は気付かないままのことが気になる癖に、実務に関することはサッパリ覚えられない自分に苛立ちもありました。ああ、自分はこの職場には要らないんだ、という意識から、社会にとっても要らないんだ、という意識が広がっていました。それが限界まで膨らみ、弾けたんだと思います。
 
 終電に揺られながら、ふと僕は思いました。
 ああ、趣味って好きなのに我慢するもんじゃないな、と。ここでいう趣味とは、「SKE48」のこともそうですが、「書くこと」も含まれると思います。創作とは違う方ですね、ブログとかを「書く」ということです。

 今の社会において、どれほど重要か分かりませんが、僕の好きなものたちは、少なくとも僕にとっては「不要不急」ではないです。
 「要る要らない」とか「役に立つ」だけじゃない、趣味の大切さ。それは時に痛みを逃がし、明日への活力になるんだなと身に染みて感じました。それは、自分を同化する危険も含まれていますが、うまく切り分けて、これからも自分の好きなものと手を繋いだまま、生きていきたいと思います。
 趣味の持つ「熱」は、僕自信をこれからも動かし続けると信じています。

こんな大変なご時世なので、無理をなさらずに、何か発見や心を動かしたものがあった時、良ければサポートをお願いします。励みになります。