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誰かのための言葉たち


 近頃、批評家の小林秀雄の著作で読んでいないものをどんどん読んでいます。なかでも数学者の岡潔と対談した「人間の建設」がなかなか面白くて、様々なことを見つめる時のヒントがあります。
 その対談の中で小林は知り合いの骨董屋の親父のエピソードを語ります。骨董屋の親父が李朝のいい徳利を持っていて、小林は何度もこの徳利をねだりますが、なかなかもらえません。やがて、小林は親父と知り合って28年目に徳利をポケットに入れて持って帰ってしまいます。そして、「お前が危篤になったら電報をよこせ」と言うんですね。すっごいエピソードですが、これには続きがあって、親父は結局小林に電報を送らずに死んでしまいます。そして、彼の息子が親父が書き続けていた俳句集があったことを小林に明かします。その句は詞書きとして「小林秀雄に」とあり、「毒舌を逆らわず聞く老の春」、「友来る嬉しからずや春の杯」という上記のエピソードを連想させられる句もあります。
 小林は俳句としては駄句だが、親父の人間性を知っている自分にはとても面白い、と語ります。
 そして、松尾芭蕉の句が名句として残っているが、もし、松尾芭蕉の人間性を知っていたら、生きている時に付き合っていたら、もっと名句として味わえていたのでは、と語ります(だから、芭蕉の弟子たちの)。芭蕉と付き合った人達だけにわかる味わいがあるのではないかと。

 僕はここまで読んで、ふと松井珠理奈のことを思い浮かべました。
 彼女はアイドルとして、48グループの最前線を体験し、プレイヤーとして活躍しながら、徐々に作詞に目覚めていきます。
 そこには、小学生の頃から芸能の世界に身を置き、プロデュースされる側だった彼女が、徐々に、誰かの言葉ではなく自分の言葉で伝えたい、という一人の人間としての成長を僕は感じます。
 彼女が書く歌詞(特にソロアルバムの曲)は暗に示すというよりは、直接的な表現が多いです。悪く書くと余白が少ないと感じる方もいるかもしれません。それを浅いと読みとるのは簡単ですが、本当にそうでしょうか?
 松井珠理奈という人を含めて歌詞を読み取っていくと、小林秀雄の言葉を借りれば「面白さ」が生じてきます。
 では、具体的にどんな曲が挙げられるでしょう?
 

 まずは、彼女の卒業曲である、「Memories~いつの日か会える日まで~」です。

 この曲は、卒業曲という対象を連想させられやすい曲ということもありますが、彼女の歩みを連想させられる歌詞がたくさん登場します。
 「あの階段」は、「大声ダイヤモンド」のロケ地やマジすか学園の階段を連想させられますし、「オレンジ色をしたあたたかさ」は、SKE48カラーを連想させられますね。
 自分の卒業曲を自分で書いたというのは、48グループでも初ではないでしょうか?
 彼女のドラマを知っていればこそ、この曲の味わいは変わってくると思います。自分のアイドル人生を終える曲の言葉たちを誰かの言葉ではなく、自分の言葉で彩る。それは、彼女ならではの挑戦だと思います。

 次に挙げたいのが、Black Pearlに書いた「Change Your World」です。
  

 まるで後輩達に向けて呼びかけるようなサビの歌詞が印象的です。
 自分がこれまで居た芸能界やSKE48で生き残る厳しさを語りつつも、それを乗り越える行動力を語るこの歌詞は、松井珠理奈を知っているからこその説得力があるのでは、と思います。これまで、様々な困難を乗り越えてきた、だからこその説得力。勿論、この歌詞を書いている自分に言い聞かせているのでは、という読み取り方も出来ると思いますが、卒業シングルだったことを考えると、後輩へのメッセージを込めたという解釈の方がしっくり来るのでは、と思っています。

 卒業と関連した曲が続きますが、SKE48に最後に残した「オレンジのバス」も松井珠理奈を知っていれば味わいが変ってきます。
※動画の2分20秒頃に流れています。 

 この曲は「オレンジのバス」という「SKE48」に居た日々のことを書いていると思います。出だしのバスに乗ってから「もう何年経つのかな」という部分からも、ただバスに乗っているというではない、ということが分かります。
 彼女が描いたSKE48でのアイドル活動やグループ像が見えてきます。
 中でも松井珠理奈を意識させられる歌詞が「心無い人に傷けられたら」のところが凄く印象的で、思えば彼女ほど「心無い人に傷つけられ」てきたメンバーもいないのでは、と思います。
 少し話がそれますが、先日ネットフリックスでテニスの大阪なおみ選手のドキュメンタリーをまとめて観ました。その中で、全米を制覇して一躍スターになった彼女は、「勝つのが当たり前」という感じになり、負けた時には、インタビューでわざわざ「誰に負けたのか教えて?」というような嫌がらせも受けます。結果、彼女はどんどん眠れなくなり、ストレスと戦いながら再生していきます(他にも理解者の死や自分よりも若い才能の台頭など、試練だらけです)。
 この映像を観た時に2018年総選挙の松井珠理奈を思い出しました。あの時の48グループには、もう指原莉乃も渡辺麻友もいませんでした。おそらく宮脇咲良との一騎打ち。そして、過去の順位を比較した時に多くのファンから「勝つのが当たり前」と思われていたのではないでしょうか?
 それでも1位を勝ち取った彼女を待っていたのは、残酷なぐらい大きくなった批判の声でした。これに関しては、以前にも書きましたが、価値観と育ちの違いだったのではないかと僕は考えています。
 AKB48との差別化の為に全力のダンスに特化し、一時期は完全にカウンターとして機能していたグループと、アイドルが持つ楽しさや自由さに特化していったグループ。大きな48グループという幹から分かれて行った二つの枝ですが、気付けば遠く離れてしまったのかも知れません。そこから休養を経て復帰した彼女は、もう総選挙で戦わなくてよくなったというところもあるかも知れませんが、優しさや柔らかさを感じる場面が増えたように感じます。
 今でも「心無い人たち」はいます。なんならこの記事を書く為に色々と調べている時にも、わざわざ珠理奈を悪者にしようと一生懸命な動画があったので、悪質なものとして報告しておきました(恐ろしいぐらい創作されたものでした)。
 総選挙という闘いが終わっても、世間やアンチとの闘いは今も続いているのかも知れません。だからこそ、「オレンジのバス」の中に出てくる「味方」という言葉が響いてきます。
 そして、このSKE48についた「オレンジ」という色に対して沢山の色を「自由につければいい」と語り、この曲は感謝と共に終わります。
 この辺りは、SKE48のセンターとして自分が作ってきた価値観に囚われずに新しい価値観を生み出して欲しいというメッセージのようにも読めます。いずれにせよ、メッセージソングとしての要素が強いのではと僕は考えています。

 さて、先にシングルのカップリング曲を挙げましたが、ソロアルバムである「Privacy」に関しては、実は松井珠理奈という人物を外しても成立するような歌詞が多いです。勿論「あの日交わした約束」や「KMTダンス」なんかは、松井珠理奈を知っていると、より味わい深くなるんでしょうが、松井珠理奈という固有名詞を外して20代の女性の物語としたとしても、十分に成立するような気がします。
 どちらかというと、誰かに向けて創った歌詞の方が、彼女の要素が強くなるし、説得力が増すのは何故でしょう?
 それは彼女の誠実な優しさから来るのでは、と歌詞を読んでいると思います。誰かの背中を押したい、自分と同じ試練に立ち向かう人たちを応援したい。そんな気が僕はしています。
 もうアイドル松井珠理奈はいませんが、彼女が書いた歌詞の中には生きています。それは彼女が芸能界からいつかいなくなってからも言葉として残ります。
 彼女の次回作が公に発表されるのがいつか分かりませんが、彼女の「面白さ」をじっくりと味わうために、誰かのための曲をまた書いてほしいなと僕は期待しています。

 時が流れて松井珠理奈を知らない世代の子たちが、「オレンジのバス」をどんな気持ちで歌うのか、どんな風に心に響くのか、ずっと先のことですが、どうか未来の世代の支えにもなる言葉であればいいなといいなと思っています。

こんな大変なご時世なので、無理をなさらずに、何か発見や心を動かしたものがあった時、良ければサポートをお願いします。励みになります。