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Vol.4 りえとパッション-前編-

みなさんこんばんは!パッションです!

今日は財布を持たずに市電に乗ってしまいました。めっちゃ焦りました。パッションです!

今回の記事で少しでもテンラボにいる人のことを知ってもらえたらいいなあと思っております。パッションです。

今回のインタビューについて、詳しい経緯などはこちらをご覧ください。

パッションインタビュー第4弾は、霧島市横川町を愛してやまず、最近では横川町での動きがものすごく活発になっている白水梨恵さん!

そんな横川のまちの魅力や、まちと関わって感じることなどりえさんにあれやこれや聞いてみました!

それではインタビュー、パッション!!

◆まちづくりの原点は”お酒”

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ではよろしくお願いします!

りえさん(以下”りえ”)
お願いします。

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まず自己紹介からお願いします。

りえ
はい、白水梨恵です。出身は鹿児島市で、3年半前に鹿児島市から引っ越して今は霧島市に住んでいます。主に鹿児島市内と霧島辺りのエリアで活動をしていて、テンラボの仕事以外ではWEBの記事を書くフリーライターをしています。
一つはタッキュー(Touch your Qshu)っていうサイト。九州の観光ガイドに載ってるような情報じゃなくて、そこに住んでいる人だからこそ知ってること、九州のいろんな田舎の出来事とか、面白い動きを真面目にじゃなくてかなりエンタメっぽく発信するサイト(笑)そこで鹿児島ライターをしています。
もう一つはソトコトオンライン。4月中旬にライター募集情報を見つけて試しに応募してみたら、通っちゃいました(笑)これはもうソトコトオンラインを鹿児島記事でハックするしかないぞ!と思って(笑)ネタ募集中です。

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以前、タッキューでカップ麺の記事を見ました!(笑)
(詳細は下記のリンクからご覧ください。)

りえ
あぁ〜!カップ麺のやつ書いた(笑)夜中に食べた(笑)まあ、そんなことをしています。あとは霧島の横川町で宿と飲食店の開業を目指していて、その古民家改修作業が6月2日から急激に動いています。ちなみに子どもは5歳、3歳、1歳。3児の母です。

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横川はいまものすごいアツいですもんね!この話はまた後ほどお聞きします!
りえさんお休みの日は何をされていますか?

りえ
ちょうど昨日は子どもの保育園がお休みだったので、霧島神宮までふらっと行ってきましたよ。

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ふらっと(笑)アクティブなんですね。

りえ
家の中でゴロゴロするみたいな日はそこまでなくて、だいたいどこかに行きますね。霧島はとにかく行く場所がたくさんあって、お金をかけずに行けるからそれだけで1日楽しめる(笑)
鹿児島市内に住んでいた時は、休みの日はイオンとかアミュに行ったり、お金を使う休日の過ごし方しかしてなかったんですけど、霧島に住むとショッピングモール行くより、全然自然の方が楽しい!って思っています。

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自然が豊かな霧島市。写真は”霧島神宮”

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自然っていいですよね。
あと、りえさんはお酒が好きってイメージがあります。

りえ
お酒は好きですね(笑)
でもお酒って結構、私のまちづくりの原点が関わっているんですよ。

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ええ!?気になります(笑)

りえ
大学は、大分県別府市にある立命館アジア太平洋大学に行っていたんですが、ここが休学とか留学をどんどんしてねっていう自由な大学だったんですよね。当時はだいたい1学年の三分の一は休学していたので、5年以上大学にいることが全然珍しくなくて。私が入学した時に、2年休学して帰ってきた1期生の先輩たちがたくさんいて、そんな変な先輩たちに憧れて、その先輩たちの言うがままに別府市のまちづくり活動をするサークルに入ることになって(笑)

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おお(笑)

りえ
もともと別府市ってまちづくりの先進地域で面白い動きをしていて、別府のまちづくりをしたい市民の集まりが定期的に開催されていたんですよ。行政職員とかお店やってる人とか大学生とか一般市民が50人くらい集まる会で。そこにサークル活動の一環で参加したら、年代問わずたくさんの大人たちに出会えて、それがとても楽しかった。まあ、まちづくり系のおじさん達ってすごくたくさん飲み会するんですよ(笑)

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してそうですね(笑)

りえ
一緒に飲んでると別府市のいろんな話が聞けたりして面白くて。それでおじさんたちと仲良くなって、「猪とか鹿が獲れたからおいでー!」って誘われて、行ったら地域の人が集まって外で大宴会をやってたり(笑)
あと月下美人っていう一晩だけ咲いて朝にはしぼんでしまう花を植えてるお家があったんですが、そろそろ咲きそうだからって月下美人の花見大宴会が盛大に開かれたり(笑)
そんなことを大学1年生の時にいきなり体験してすごく楽しくて。もちろん大変なことやしんどいこともそれなりにあったんですが、まちの色んな人たちと一緒に乗り越えていく。そういうのひっくるめて”まちに関わる醍醐味”だなって思って、それが「将来はまちづくりを仕事にしたい」って思った原点なんですよ。

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そうだったんですね。まちづくりのサークルってどんなことされるんですか?

りえ
サークル活動のメインは、別府市の中で1番由緒ある神社のお神輿を出すお祭りの運営。100人くらいの担ぎ手やお囃子隊を集めて、神輿担ぎながら2日間かけて別府市内を一周するっていう無謀なことを毎年やっていました(笑)
学生だけでは神社の大切なお神輿を扱わせてもらえないから、お神輿の保存会のような活動をしている地元団体の方々にも全面的に協力、というか面倒をみてもらっていました。夜な夜な街中に借りてた事務所に集まって話し合いして、飲んで、たまに地元の大人たちに怒られて、反省して、また頑張るみたいな汗くさい感じ(笑)そんな感じで学生と地元の方々とで実行委員会を組んで、神社のお祭りを運営する活動をやっていました。お神輿の休憩所を出すので自治体の人にお願いをしたり、祭りの運営費200万を集める為に地域の企業さんに協賛をお願いしたり。
とにかく大学よりも別府の街中に出てる日の方が多かったですね(笑)

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神輿担いで別府市内を一周する祭り"泉都大祭"

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大学ではサークルでの活動が大きかった感じですか?

りえ
そうですね。あとは、大学2年の終わりから1年間休学して、BOOKOFFでインターンシップをしていました。

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なんでBOOKOFFだったんですか?

りえ
大学2年生の時に、お神輿の運営の協賛費を集めてくる部署のリーダーをしていて、その時にチームワークとか一緒にひとつのゴールを目指していくチームのつくり方にすごく問題意識を感じて。自分の至らなさも痛感したので「もっと勉強したい」と思っていたところに、当時BOOKOFFが100人起業家を出すって方針でインターン生の受け入れをしていることを知ったのがきっかけですね。

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実際やってみてどうでしたか?

りえ
泥臭かったよね(笑)経営って数字をカタカタするかっこいいイメージがあったんですけど、いくらパソコンの前で計画立てたところで、お客さんまで伝わらないと効果は出ない。
とにかくアルバイトの子たちと一緒に動いて、忙しさも大変さも全部一緒に味わいながら、少しずつ大事なマインドを伝えていくってことをしていました。仕事だから仕方なくやるんじゃなくて、「自分がこの店のCDコーナーの売上げを上げたいから、こういう工夫をしてみよう」そんな自発的な動きを引き出すことが私のインターンシップのミッションでしたね。



◆鹿児島に帰りたい、大事な場所に関わる仕事がしたい

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大学を卒業してからはどうされたんですか?

りえ
全然まちづくりには関係ない、東京のIT企業に入りました。

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えっ、どうしてIT企業だったんですか?

りえ
インターンから戻る時点で、将来は絶対にまちづくりを仕事にしようって思ってたんですけど、まちづくりって稼ぎにくいなとも思っていて。これパッションを前にしていうのあれなんですけど(笑)いきなりまちづくり業界に入ると稼ぎ方が学べないなって思ったんです。お金がないと継続していけないってことをインターンでめっちゃ学んだので、稼ぐクセを自分につけたくて、とにかく儲かってるベンチャー企業に行こうと思って。そこがたまたまIT企業だったって感じです。

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なるほど。まちの仕事がしたいっていうのはずっとあったんですね。
まちの仕事をし始めたのはいつからだったんですか?

りえ
IT企業を辞めてからNPO法人ETICというところで働きました。そこからが、ずっとやりたかった仕事のど真ん中です。
新卒1年目が終わる頃の3月に東日本大震災が起こって、その時に稼ぎ方がどうのこうの言ってる場合じゃあないっていうか、「鹿児島に帰りたい。大事な場所に関わる仕事がしたい」って思って転職を決意しました。
ETICはインターンを長期間でやりたい学生と企業をつなぐっていうコーディネート業務をやっていて、それこそBOOKOFFのインターンはETICに仲介してもらったんですよ。その時の担当コーディネーターさんとはインターン後も連絡を取り合っていたので、その方にまちづくりの仕事に転職したいことを相談したら「いきなり鹿児島帰っても、やれることはあんまりないよ。経験値を貯めるために1回ETICで修行してから帰りなよ」って言われて。結局、ETICで2年働いて鹿児島に帰りました。

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ETICではどんなことをされていたんですか?

りえ
全国各地のまちづくりコーディネート団体のネットワークをつくって、一緒に勉強会したり情報交換やイベント開催をやったりしながら、地域産業の活性化につなげていくという「チャレンジ・コミュニティ・プロジェクト」の事務局スタッフをしていました。他には震災復興の事業に少し関わらせていただいたり、インターンシップ事業のコーディネーターも担っていて担当学生を数名持ったりしていました。

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ずっとやりたかった仕事のど真ん中”ETIC”での写真

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なるほど。鹿児島帰られてからはどんなことをされていたんですか?

りえ
鹿児島帰ってからは、マチトビラっていうインターンシップをコーディネートする団体の会社に入って、そこで鹿大、国際大、志学館の学生たちのメンターみたいな、コーディネートを担当していました。その時の受入先企業としてテンラボがあって、なので永山さんと初めて会ったのはこの頃ですね。永山さんやテンラボは私にとってはもともとお客さんっていう立ち位置でした(笑)

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”マチトビラ”での写真

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そうだったんですね(笑)
ETICでもマチトビラでもインターン事業をやっていたのには何か理由があったりしたんですか?

りえ
大学生の時にまちづくり活動をしてた頃、同じ活動をしていても面白いってやりがいを感じてはまっていく人としんどいってなってドロップアウトしていく人がどっちもいるなって思っていて。その差を埋めたいと思っていたんですよ。それでなんでそんなに差を埋めたいのかを解像度を上げて分析すると、結局頑張るって気持ちがある人に適切に頑張れる場を提供していきたい、頑張る人の後押しをしていきたいってことが自分のテーマとしてあるなっていうのに気づいて。そこがETICとかマチトビラにいた時は、対象者が大学生とか若手社会人だったので、特に10代後半から20代の若者世代の頑張る人にチャンスをつなげていきたいって思っていました。


<後編へつづきます>


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