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Vol.1 れいこっぷとパッション-前編-

みなさんこんばんは!パッションです!

ついにこの日がやってきました!!ドキドキワクワクでパッションのパッションが震えております!!

今回のインタビューについて、詳しい経緯などはこちらをご覧ください。

そんな記念すべき第1弾は、テンラボ以外にカンケリデザインSOILS(ソイルス)といったチームにも所属する”れいこっぷ”こと河野礼奈さん!

いやー、もう名前だけで親近感湧きまくりですよねぇええ!!
れいこっぷとパッション。(ごめんなさい!)

最近はZOOMを使ったオンラインマルシェ「テレモール」の仕掛け人のひとりとしても注目された、れいこっぷさんにあれやこれや聞いてみました!

それではインタビュー、パッション!!

◆”れいこっぷ”は卒業!?

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今日はよろしくお願いします!!

れいこっぷさん(以下”れいこっぷ”)
お願いします。

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すごく緊張しますね(笑)

れいこっぷ
なんでですか(笑)緊張もなにもないですよ(笑)

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いやー、なんですかね(笑)自分からやりたいとは言ったものの、1つの記事として出来上がると思うと緊張してしまいますね(笑)

れいこっぷ
良いんじゃないですか?(笑)みんなのこと知れるし、今までこういうことなかったし。大丈夫ですよ。ちなみにパッションが特に聞きたいこととかあるんですか?

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んー、皆さんのことを知りたいっていうのは前提にあるとして、同じテンラボにいて皆さんがなんでテンラボに入ったかとか、テンラボがしてることって一般的にまちづくりって言われたりするけど、まちづくりがよく分からなくて。だからそこに対して今までテンラボやテンラボ外で活動してきて、それを働きながらどう感じてるとか、自分は地元大崎町で何かしたいなって思っているけど、実際に何がしたいっていうものがないから、そういう参考にもなればなと。あと…(省略)

れいこっぷ
ながいなぁ(笑)どっちがインタビュアーだよ(笑)まあ想いがあるんだなと伝わってきました(笑)

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はい(笑)それでは、はじめていきたいと思います。まず自己紹介をお願いします!

れいこっぷ
1992年生まれの今年28歳になる河野礼奈です。みんなからはれいこっぷと呼ばれています。パッションっていうイロモノな呼び名が増えたのでそろそろれいこっぷは卒業してもいいかなと企んではいます(笑)

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えっ、ダメですよ(笑)

れいこっぷ
(笑)普段は、紙媒体のチラシを作ったり、ロゴを作ったり、たまに似顔絵を書いたりしています。あとはグラフィックレコードをしていて、要点がどこにあるかを人の話を聞きながら整理したり大事なところや全体像を可視化した上で、一番効果的な課題解決は何だろうって考える時にデザインって力があるのかなーというのは最近思っているところです。

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れいこっぷさんが書く”グラフィックレコード”

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ありがとうございます!れいこっぷさんといったらデザインですもんね。ここはまた後ほどお聞きしたいと思います。れいこっぷさん出身ってどこなんですか?

れいこっぷ
出身は指宿市で、人口900人くらいの福元という地域にずっと暮らしていました。
そこで何かできないかなっていう想いからテンラボに入ったんですよ。

__
そうだったんですね!地域とかデザインに興味を持ち出したのはいつ頃からだったんですか?

れいこっぷ
高校が指宿商業高校という学校で、割と指宿の農家さんや企業の人と商品開発するなど地域の人と関わる機会が多かったんです。
私は美術部だったのでケーキ屋さんが「倉庫に絵を描いて欲しい、ポップを作って欲しい」っていうのを部員と一緒に作ってました。

誰かと作っていくのがその時からすごく好きだったし、話し合いしながら「そのイメージってこんな感じですかね?」って書き表して、それが「そうそう!そんな感じ!」って形になった時のみんなの納得感というか、そういうのがすごく楽しくて。
漠然とデザインとか地域のこととかにすごく興味を持つようになりました。

__
いまデザイン関係をやられているのは美術部での経験が大きいんですね。

れいこっぷ
そうですね。あと美術部ってすごく先生が自由なんですよね(笑)全体的にやりたいことはやらしてくれる先生たちだったんですよ。結構真面目な生徒だったんで、ある程度「全然やりなよ!」みたいな感じでなんでもチャレンジさせてもらったし、いろんな研究発表もさせてもらったり。
高校の先生全体的に背中を押してくれる先生たちでした。



◆もっと地元でできることがあるかもしれない

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高校卒業後はどうされたんですか?

れいこっぷ
高校を出て、地元の旅館に約5年仲居として勤めました。

__
旅館に最初勤めたのは「地元で何かしたい」みたいなのがあったからですか?

れいこっぷ
そうですね。漠然となにかできるかなって。旅館かもっと違う仕事か。ハローワークの求人の中から選んだ感じですね。

__
仲居って具体的にどういうお仕事をされるんですか?

れいこっぷ
仕事は着物を着て、おもてなしですね。その中でも山の中にある離れ宿を担当していたんので、掃除もするし、準備もするし、もてなしもするし、会計もするし。調理以外のことは全部していましたね。

__
そうだったんですね。鹿児島を出たいみたいなのはあんまりなかったんですか?

れいこっぷ
なかったですね。みんな出るし、ひとりぐらい出なくてもね(笑)

__
なるほど(笑)5年間の中では仲居のお仕事をしながら絵を描いたりとかはされていたんですか?

れいこっぷ
引き続きやっていましたね。喫茶店のポスター描いたり、指宿で活動している人たちのお手伝いに行ったりとか、そんな感じのことはしてましたね。「本業以外のことをやって」って叩かれたりもしました(笑)

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そんな人たちもいるんですね。旅館を辞めたきっかけとかはあったんですか?

れいこっぷ
きっかけとかはなくて、とりあえず4年以上働こうって。

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最初から決めていたんですね。

れいこっぷ
そうですね。3年働けみたいなのをよく言われるし、「あんたなにすんのね!」って親も心配させちゃうんで。とりあえず3年はやったよっていうのが欲しくて。それと3年目以降が楽しいだろうなと思って、少なくとも4年は続けてみようかなっていうのを最初に決めてました。

__
特に理由があったわけじゃなかったんですね。

れいこっぷ
「4年頑張ってみよう、お金貯めよう」って感じですね。

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辞めてからはどうされていたんですか?

れいこっぷ
半年ほど
ふらふらしてましたね。旅行に行ったり、いろいろやっている人のお手伝いに行ったり。アドビのソフトの使い方を勉強したり、デザイン周りを勉強したりしてました。

__
デザインがやっぱり好きだったみたいなのがあったんですか?

れいこっぷ
そうですね。一番チャレンジしたいと
思ったし、教えてくれる人もいたから。職業訓練の学校も丁度行けそうだったのでそこに行ったり。あと美術部の先生の知り合いとかと話しながらデザインを勉強してました。

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テンラボと繋がったきっかけは何だったんですか?

れいこっぷ
職業訓練学校に1ヶ月インターン期間があったんですよね。自由に自分で探せる感じだったので、私を1ヶ月使ってもらえそうな所を探していたら、美術部の先生に面白い人いるよって永山さんを紹介してもらったのがきっかけです。

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テンラボに決めたのはなぜだったんですか?

れいこっぷ
仲居をしているときは、県外とか市外から来た人にまた来てもらうにはどうしたらいいかってことをずっと考えて働いていました。
ある時、地元の運動会に参加したら、テントが少なくなっていて本当に人がいないんだとか、子供たちが走っていてもおばあちゃんが顔もわからんでって応援していない姿をみて、それがすごい衝撃で、

もっとここでできることがあるかもしれないと思って。

それを美術の先生に言ったら、こういう人がいるよって永山さんを紹介してもらいそれで決めました。

__
それが地元に目を向けられたきっかけというか…。

れいこっぷ
もっとやることあるなと思って。わかんないですけどね(笑)
私って結構「あ!なんかあるかもしれない!」みたいな感覚で選択をする事が多いんですよね。



◆自分には何ができる?何がしたい?

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実際にインターンを1ヶ月行ってみてどうでしたか?

れいこっぷ
ちょうどワークショップが盛んにある時期だったので、その場の空気がすごく楽しかったですよ。
最初は曇ってた人の表情が、「あ!こういうことか!」って明るくなる感じが最初は印象的でした。
それと同時に自分が何がしたいのかが分からないのを突きつけられる感じもありました。「何がやりたいの?」って聞かれるのが超辛かったですね(笑)

__
れいこっぷさんも最初の頃は何がやりたいかを考えていたんですね。

れいこっぷ
うん。自分に何ができるか全然分からないし、何がしたいんだろうとかもわからなかったです。
でも周りの大人たちは、「なんでここにいるの?」ってすぐに答えを求めようとするんですけど、漠然と興味があって、いたいからいるんだけどなって気持ちでいました(笑)テンラボって県外でバリバリ仕事や活動をしてきて、自分はこれができるんでこれで入りますって人もたくさんいるけど、私はアシスタントから地道に年月を重ねてきたと思います(笑)関わりも最初はアシスタントだったし、事務をしてた時もありました。それからディレクターになって、デザイナーの肩書きになって、いま役員をしている。多分一番名刺の肩書きをステップ踏んでる感じじゃないですかね(笑)

__
ステップアップされてますね(笑)最初はテンラボ以外のことも色々していたのですか?

れいこっぷ
最初からテンラボは専業禁止だよって言われていたし、最初はバイトをバリバリしていましたよ(笑)ホテルでバイトして、テンラボのお手伝いに行くという生活を1年くらいはしてたと思います。

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れいこっぷさんが合流した時のテンラボってどんな感じでしたか?

れいこっぷ
最初は当日のお手伝いだけだったので、あまり内部のことを知らなくて1年目のテンラボはこうだったってよくわからないんですが、確か1年目は脱永山化計画みたいなのが動いていた気がします(笑)

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脱永山化計画!?(笑)

れいこっぷ
テンラボ=永山さんみたいなイメージが強くて、そこを払拭していこうってやってるすごい力のあるメンバーがいましたね。



◆”やりたい”とか”やりたくない”はやった先にしかない

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最初の頃、自分がなにがしたいのか分からない中で、どんなことを考えながらテンラボと関わっていってましたか?

れいこっぷ
そうですね、私はあんまり考えていないというか(笑)
最初の頃は、地元にもってかえれるものがあると思ってやっていました。「テンラボで学んで、地元の人たちと一緒に何かするぞ!」ってモチベーションでした。何か方法がわかるかもしれないとか、何をやってみたいかがわかるかもしれないって感じだったと思います。

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そのモチベーションは変わっていきましたか?

れいこっぷ
変わったのはだんだん自分がやることが増えていった時ですね。

あんまりこだわらなくてもいいなって思って。あまり求められていないというか。なにがなんでもこの町を良くしなきゃいけないっていうエネルギーがプラスに働くかは全部が全部そうじゃないんだと思って。

地元に帰ると「帰ってくるだけでいいんだよ」って言われることもあるし、その時々で違うなって思って。じゃあ自分のやりたいことをちょっと優先した方が良さそうだってなって、やりたいことをやろうと思ったんですよね。

最初、地元でみんなが教え教えられっていうコミュニケーションが大事だと思って、こどもが先生にもなるし、おじいちゃんとかも先生になる教え合う場づくりをやったんですが、やってみて「私は教えることはやりたくない」って思って(笑)やってみてやりたくないことに気付いた(笑)そんなにやりたいって思ってなかったなって。

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やって気付きますもんね。

れいこっぷ
そうですね。その時に京都の移住計画の人から、
「やりたいとかやりたくないとかやった先にしかないから」って言われて、「仰る通り!」って(笑)

それ以来、自分がやりたいことってなんだろうってあまり考えなくなって。やってみてこれよかったかな、どうだったかなを考えるようになってだいぶ積み上がった気がします。分かんないですもん(笑)考えても答え出ないので。その分すごいご迷惑をおかけすることもあると思いますが…。

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2019年の書き初めは『暴』”思いっきりやってみる”

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んー、考えるより先に手を動かすみたいな。

れいこっぷ
完全に私はそれですね。感覚というか直感です。たまに「これだ!」ってなる時があって、どうしようかな?じゃなくて、いやもうこうするしかない!ってなります。今までそれで選択してきた感じです(笑)
どこかで考えてると思うんですけど、迷うってよりはこうだ!って感じでやってきました。

<後編へつづきます>



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